徳永圀典の「論語」A

私は、このホームページで多くの聖賢・偉大なる先人の格言・箴言を数多く引用してきた。人口に膾炙している論語だけは何故か取りあげていなかった。五年経過して漸く論語に触れたいという思いがこみあげてきた。
論語は、矢張り我々の幼少時代から日常生活の中に溶け込み、肌感覚の親しみ、或いは血肉となっているように思える。色んな解釈があっていい、然し、何か悩みがある時、難問・難題に直面した時、年齢に相応したヒントが与えられるのも論語ではなかろうか、かみ締めるような含蓄がある珠玉の言葉ばかりだ。
気の向くままに、日々の制約も無しに、楽しみつつ取りあげて徳永流に意訳してみたい。それが論語の道に適うか。
平成192月13日  徳永圀典

平成19年3月

月日 論語口語訳 原文 徳永圀典の意訳
学而編
3月1日 子曰く、君子、重からざれば(すなわ)()あらず。学べば則ち()ならず。忠信を主とし、己に()かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改むるに(はばか)ること(なか)れ。

子曰。君子不重則不威。学則不固。主忠信無友不如己者過則勿憚改。 

(学而編・第八)
人間的重みが無ければ人の上に立てぬ。学んだものは堅固に守り、常に忠と信を心の主として、友は自分より立派な人を選べ。
過ちは勇気を出して直ちに改めるがいい。
3月3日 曾子(そうし)曰く、(おわり)を慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。 曾子曰。慎終追遠。民徳帰厚矣。(学而編・第九) 喪は礼を尽くし遠忌供養に誠を捧げれば自然と民はその徳に靡くものだ。
3月5日 子禽(しきん)()(こう)に問うて曰く、夫子(ふうし)()(くに)に至るや、必ず其の(まつりごと)を聞く、(これ)を求めたるか、抑々(そもそも)之を(あた)えたるか。子貢曰く、夫子は温良恭倹(おんりょうきょうけん)(じょう)、以て之を得たり。夫子の之を求むるは、其れ()れ人の之を求むるに異なるか。

子禽問子貢曰。夫子至於是国也。必聞其政求之與。抑與之與。子貢曰。夫子温良恭倹譲以得之。夫子之求也。其諸異乎人之求之與。 

(学而編・第十)
子禽が子貢に聞いた、我が孔子は、どの国に行かれても国君より政事の相談受けられるが、国君の要請なのか」子貢は答えた「孔夫子の盛徳の内にあるものが外面に現れ、人との応接にその態度が温良恭倹譲だからみな敬信して問うのである」と。
3月7日 子曰く、父(いま)せば其の志を()、父没すれば其の行を観る。三年父の道を改むる無くんば、孝と謂うべし。

子曰。父在観其志。父没。観其行。三年無改於父之道。可謂孝矣。
(学而編・第十一)

父がおれば意思を察し言われる前に行い、没後は生前の形跡を観察してその行為を継続、三年も変えないならば真の孝子と見てよい。
3月9日 有子(ゆうし)曰く、禮の和を(もっ)(たっと)しと()すは、先王(せんのう)の道も(これ)を美と()す。小大之(しょうだいこれ)()れば、行われざる所あり。和を知りて和すれども禮を以て之を(せっ)せざれば、(また)行うべからざるなり。

有子曰。禮之用和為貴。先王之道斯為美。小大由之。有所不行。知和而和。不以禮節之。亦不可行也。

(学而編・十二)
禮と和の併用が尊い。古代の王も天下を治めたのも禮と和による。ただ寛厳宜しからざれば意思疎通せず交誼を破ることとなる。
3月11日 有子曰く、信義に近ければ、(げん)()むべきなり。恭禮(きょうれい)に近ければ、恥辱に遠ざかる。()ること、其の(しん)を失わざれば、(また)(そう)となすべきなり。

有子曰。信近於義。言可復也。恭近於禮。遠恥辱也。因不失其親亦可宗也。

(学而編・第十三)
他人との約束が全て義に適えばいいが、さもなくば恥を受ける。これは親族に対しても同様である。
3月13日 子曰く、君子は食飽(しょくあ)くを求むること無く、(きょ)安きを求むること無し。事に敏にして言に慎み、(ゆう)(どう)に就きて正す。学を好むと謂うべきのみ。

子曰。君子食無求飽。居無求安。敏於事。而慎於言。就有道而正焉。可謂好学也己。

(学而編・第十四)
理性と教養の人間は腹一杯食べたり、豪奢な住まいをしない。なすべき事は機敏にこなすが、言葉少く出しゃばらない。疑問あれば、その道の人を訪ね正してもらう。このような人こそ好学の士というのだ。
3月15日 子曰く、貧しくて(へつら)うこと無く、富みて(おご)ること無きは如何。子曰く、可なり。未だ貧しくして道を楽しみ、富みて禮を好む者には()かざるなり。

子貢曰。貧而無諂。富而無驕。如何。子曰。可也。未若貧而楽。富而好禮者也。

 (学而編・第十五その一)

貧乏しても諂わず、富んでいても驕らない人間、これは宜しい。然し、貧しくても心豊かに道を楽しみ、富んでいても礼節を好む人間の方が上等だ。
3月17日 子貢曰く、詩に言う、切するが如く()するが如く、(たく)するが如くするが如しと。

子貢曰。詩云。如切
如磋如琢如磨。
(学而編・第十五その二)

学問とは、詩経にあるように職人が骨や角を削り磨き上るように仕上げてゆくものでしょうかと子貢が孔子に問うた。
3月19日 ()(これ)()()うか。子曰く、()や、始めて、(とも)に詩を言うべきのみ。(これ)(おう)を告げて(らい)を知る者なり。

其斯之謂與。子曰。賜也。始可與言詩己矣。告諸往而知来者。

(学而編・第十五その三)
孔子、子貢と詩経に関する話が出来るのを喜ぶ。聡明なる子貢は一を知り十を知るなり。
3月21日 子曰く、人の(おのれ)を知らざるを(うれ)えず、人を知らざるを患うるなり。

子曰。不患人之不巳知。患不知人也。

(学而編・第十六)
真の教養人の学問は自己の修養の為であり、虚栄心のためではない。
3月23日 子曰く、(まつりごと)を為すに徳を以てすれば、(たと)えば北辰(ほくしん)()の所に居りて、衆星之(しゅうせいこれ)(むか)うが如し。

子曰。為政以徳。譬如北辰居其所。而衆星共之。

(為政第二・一)
政治や組織の上に立ち運営する人物が、法律中心でなく根本に徳を以てあたれば、北極星が天空の中心であるように皆が従うであろう。
3月25日 子曰く、()三百(さんびゃく)一言(いちげん)以て之を(おお)う。曰く、(おもい)(よこしま)()し。

子曰。詩三百。一言以蔽之。曰。思無邪。

(為政第二編・二)
詩経の三百一詩は、一言一句とも有りのままのもので邪思が無い。
3月27日 子曰く、之を(みちび)くに(まつりごと)を以てし、之を(ととの)うるに(けい)を以てすれば、(たみ)(まぬが)れて恥ずること無し。之を道くに徳を以てし、之を斉うるに禮を以てすれば、恥ずる有りて

子曰。道之以政。斉之以刑。民免而無恥。道之以徳。斉之以禮。有恥且格。 

(為政第二編・三)
民は、徳を以てすれば、心を正すものだ。これを禮によらず刑のみ用いれば、民心は去るものである。
3月29日 子曰く、(われ)(じゅう)(ゆう)()にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(みみしたが)い、七十にして心の欲する所に従えども。(のり)()えず。

子曰。吾十有五而干学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲。不踰矩。 

(為政第二・四)

十五で学に志し、三十で道を固め、四十には他の道に迷わずとなる。五十で天命に安ずる心となる。六十には毀誉も逆らわずとなった。七十になり漸く、心のままで人の道の中道を歩めるようになった。
3月31日 孟懿子(もういし)、孝を問う。子曰く、(たが)うこと無し。樊遅御(はんちぎょ)たり。子之(しこれ)に告げて曰く、孟孫(もうそん)(こう)を我に問う、我(こた)えて曰く、(たか)うこと無しと。樊遅(はんち)曰く、何の(いい)ぞや。子曰く、生けるには、之に(つか)うるに禮を以てし、死すれば之を葬るに禮を以てし、之を祭るに禮を以てす。

孟懿子問孝。子曰。無違。樊遅御。子告之曰。孟孫問孝於我。我対曰。無違。樊遅曰。何謂也。子曰。生事之以禮。死葬之以禮。祭之以禮。

 

(為政第二・五)
孟懿子(もういし)が孔子に質問した、孝を致すにはいかにすればいいかと。孔子は「違えないことだ」。そのまま孔子が孟懿子(もういし)の家から去る時、門人の樊遅(はんち)という車の御者に、孔子は孟孫子が孝道について聞いたので違わないと言ったが「父母の生前も没後も禮を違えないことだ。」と。