やわらかい心で生きていきましょう
身・口・意
業、ごう、自業、自業自得、業は行為のこと。
善業、ぜんごう、悪業、あくごう。
従って自業自得とは、善悪いずれの行為も「自分のした行為に責任を持つこと」ですね。
いい人生を築くには。当たり前ですが、
第一に、「自分の行為に責任を持つ」こと。
業は、
身業、しんごう、「身のこなし」-。
口業、くごう、「ものの言い方」
意業、いごう、「心の働き」
に分類できるとされています。
この三つの行為、つまり、三業により、
自分の人生が善悪いずれにも築きあけられることになる。
身業、
身のこなし、ですから、自分の身体を身軽に仕事や他の人の為に、「こまめに」動かす、つまり骨惜しみしない。
陰ひなたない誠実な生き方をすれば自然と周囲から信愛される人生が築かれる。ということでしょうか。
口業
ものの言い方です。身と口と意-こころの三業の中で、
善業、悪業のいずれにも最も多くの結果を遺すのが、この
「口業」のようですね。
悪口、軽薄な言葉、嘘をつくのは悪業、
誠実を込めたものの言い方が「口の善業」でしょうか。
どうやら、「口から出る言葉は「招き猫」の働きがあるようですね。「口業」は幸運も不運も共に引き寄せる招き猫ですね。
「人に出会った時の挨拶をおろそかにしてはなりません」と仏教者は言う。
意業
心のことです。結論はこの歌が如実に示している。
「白隠禅師」 江戸時代中期の方
つつしみをおのが心の根とすれば
ことばの花はみごと咲くなり
凄いですね、謙虚さを忘れなかったら、自然に心のこもった挨拶の言葉が発せられ。洞察があります。知恵の言葉です。
「ありがとう」「すみません」「はい」
有難うは「今ここに、こうして生きて有ることの難い—稀なこと-事実を言うのでしょうか。
やがて死する者の、いまここに命あるは難し」
これ法句教に説かれています。
「いのち」の厳粛さを「有り難う」、「有ること難し」と受けとめるのですが、命を忘れていますね。
「すみません」
お詫びの言葉ではないという坊さんがいた。
すみません、は「済みません」で物事がまた完了していない状態の確認する言葉です。
私たちの一生には、きちんと決済しておくべき多くの事柄があります。しかし、未決済の様々な問題がある。
多くの方から数えきれないほどの恩恵を受けています。
恩返しが済んでいない。恩返しがまだ果たせていない心の痛みが、口をついて出てくるのが「すみません」の挨拶語、
だから、私たちの心の「敬虔さ」を「すみません」と挨拶するのだと松原泰道という坊さんの言葉があります。
「はい」
「はい」は他-ひと-に対する返事ではないと言う。
「自分に応える挨拶で、誰かに呼ばれた時、大声で「はい」と返事すると、胸の内が、すかっとして朗らかになれるとこがありますね。散乱していた自分の心が一つに集約されるからだというのです。
つまり、自分に出会えたのだと言われる。
「はい」の挨拶は「めぐりあい」「邂逅」と受けとめる。
ありがとう、すみません、はい」
ですね。
これで、心爽やか、良い人生を築いていきましょう。
令和2年3月2日
徳永日本学研究所 代表 徳永圀典