十五、「衛霊公 第十五」
平成29年3月度
原文 | 読み | 現代語訳 | |
3月23日 | 一、 衛霊公問陳於孔子、孔子対曰、俎豆之事、 則嘗聞之矣、軍旅之事、未之学也、明日遂行、 |
衛の霊公、陳を孔子に問う。 孔子対えて曰く、俎豆(そとう)の事は則ち嘗ってこれを聞けり。軍旅の事は未だこれを学ばざるなり。明日、遂に行く。 |
衛の霊公が軍隊の陣立てについてご質問された。 孔子は答えて申し上げた、 「儀礼のことであれば過去に学んだことがありますが、軍事のことはまだ学んだことがありません」。その翌日、先生は衛の国を去られた。 |
3月24日 | 二、 在陳絶糧、従者病莫能興、子路慍見曰、君子亦有窮乎、子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣、 |
陳に在りて糧を絶つ。従者病みて能く興つ(たつ)莫し。子路、慍みてま見えて曰く、君子も亦、窮すること有るか。子曰く、君子、固(もと)より窮す。小人は窮すればすなわち濫る(みだる)。 |
陳の国にいる時に糧食が無くなってしまった。孔子の弟子達は病み疲れ、立ち上がることもできない。子路が憤激して孔子に拝謁して申し述べた。君子であっても食に困窮することがあるのでしょうか。先生がおっしゃった、「君子でも当然困窮することはある。しかし、小人は困窮すると混乱してしまうものだ」。 |
3月25日 | 三、 子曰、賜也、女以予為多学而識之者与、対曰然、非与、曰、非也、予一以貫之、 |
子曰く、賜よ、女(なんじ)、予を以て多く学びてこれを識る者と為すか。対えて曰く、然り、非なるか。曰く、非なり、予、一、以てこれを貫く。 |
先生が言われた、 「子貢よ、お前は私が多くの学問を修めて多くの知識を持つ人物だと思うか」。子貢、お答えして言う。そうです。そうではないのですか。先生が言われた、「私は博識な物知りなどではない。私はただ一つの道を貫いてきただけなのだ」。 |
3月26日 | 四、 子曰、由、知徳者鮮矣、 |
子曰く、 由よ、徳を知る者は鮮なし。 |
先生が言われた、 「子路よ、道徳を本当に知っている者は少ない」。 |
3月27日 | 五、 子曰、無為而治者、其舜也与、夫何為哉、恭己正南面而已矣、 |
子曰く、無為にして治むる者はそれ舜か。夫れ何をか為さん。己を恭々(うやうや)しくし、正しく南面するのみ。 |
先生が言われた、 「何もせずに上手く天下を統治したものは舜だけであろうか。あの人はいったい何をしたのか。ただ自分の身を慎み、へりくだり、帝位に就いていたというだけだ」。 |
3月28日 | 六、 子張問行、子曰、言忠信、行篤敬、雖蛮貊之邦行矣、言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉、立則見其参於前也、在輿則見其倚於衡也、夫然後行也、子張書諸紳、 |
子張、行わるるを問う。子曰く、言、忠信にして、行(こう)篤敬ならば、蛮貊(ばんぱく)の邦と雖も行われん。言、忠信ならず、行、篤敬ならざれば、州里と雖ども行われんや。立てば則ち其の前にしかなるを見、輿(よ)に在れば則ち其の衡に倚るを見る。夫れ然る後に行われん。子張、これを紳に書す。 |
子張が、自分の思想が実際に行われるにはどうしたら良いかと質問した。 先生がお答えになられた、「言葉に真心あって偽りがなく、行動が誠実で恭しければ、南蛮・北狄の野蛮な異民族の国でも、お前の思想は行われよう。反対に、言葉に真心がなく嘘があり、行動に誠実さがなければ、小さな郷里の中でさえお前の主張は行われ行われない。立てばまっすぐに正面を見て、車に乗れば前にある横木に寄りかかっているのが見える。そのように正しい挙措を守り、はじめて思想が行われるのだ」。子張は、この言葉を広帯の端に書き留めた。 |
3月29日 | 七、 子曰、直哉史魚、邦有道如矢、邦無道如矢、君子哉遽伯玉、邦有道則仕、邦無道則可巻而懐之、 |
子曰く、直なるかな史魚。邦に道有るときも矢の如く、邦に道無きときも矢の如し。君子なるかな遽伯玉。邦に道有れば則ち仕え、邦に道無ければ則ち巻いて懐にすべし。 |
先生が言われた、 「まっすぐだな、史魚は。国家が正しい秩序があるときは矢のように動き、国家に正しい秩序がないときも矢のように動く。君子だな、遽伯玉は。国家に正しい秩序がある時には役人に仕官し、国家に正しい秩序がない時には自分の才能を巻いて懐にしまえる」。 |
3月30日 | 八、 子曰、可与言而不与之言、失人、不可与言而与之言、失言、知者不失人、亦不失言、 |
子曰く、与に言うべくして共に言わざれば、人を失う。与に言うべからずしてこれと言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦た言を失わず。 |
先生が言われた、 「共に語るに足るだけの人物であるのに、共に語らないのであれば、人を失うことになる。共に語るに足らない人物であるのに、共に語ってしまえば、言葉の価値がなくなる。知者は、重要な人を失うことがなく、言葉の価値も失うことがない」。 |
3月31日 | 九、 子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁、 |
子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害することなく、身を殺して以て仁を成す有り。 |
先生が言われた、 「志士・仁人と呼ばれる人は、生命を大切にしながらも仁徳を傷つけることがない。更に、身を殺してでも仁徳を成し遂げる」。 |
4月1日 |
十、 子貢問為仁、子曰、工欲善其事、必先利其器、居是邦也、事其大夫之賢者、友其士之仁者也、 |
子貢、仁を為すを問う。 子曰く、たくみ、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器をとぐ。是の邦に居るや、其の大夫の賢なるももに事え、其の士の仁なるものを友とせよ。 |
子貢が仁徳を実現する方法を聞いた。 |
4月2日 |
十一、顔淵問為邦、子曰、行夏之時、乗殷之輅、服周之冕、楽則韶舞、放鄭聲、遠佞人、鄭声淫、佞人殆、 |
顔淵、邦をおさむるをを問う。子曰く、夏の時を行い、殷の輅(ろ)に乗り、周の冕(べん)を服し、楽は則ち韶舞し、鄭声を放ち、佞人を遠ざけよ。鄭声は淫にして、佞人は殆うし。 |
顔淵が、国家を統治する方法について質問した。 先生がお答えになられた、 「暦は夏王朝の暦を採用し、車は殷王朝の輅に乗り、衣服は周王朝の冕の冠をかぶり、音楽は舜帝の韶を舞わせる。鄭の音楽を追放して、お世辞を言って君子を惑わせる佞人を排除する。鄭の音楽は美しすぎて淫靡、お世辞を言って取り入ろうとする人間は国にとって危険である」。 |
4月3日 | 十二、子曰、人而無遠慮、必有近憂、 |
子曰く、 人、遠慮なければ、必ず近憂あり。 |
先生が言われた、 人は、遠い将来のことをある程度配慮しなければ、必ず近いうちに心配事が起こってくるものだ」。 |
4月4日 |
十三、子曰、已矣乎、吾未見好徳如好色者也、 |
子曰く、 已んぬるかな、吾未だ徳を好むこと色を好むが如き者を見ざるなり。 |
先生が言われた、 「どうしようもないな。私はまだ、女を愛するほどに徳を愛するという人を見たことがない」。 |
4月5日 | 十四、子曰、臧文仲其窃位者与、知柳下恵之賢、而不与立也、 |
子曰く、 臧文仲(ぞうぶんちゅう)はそれ位を窃むものか。柳下恵の賢を知りて而るに与に立たざるなり。 |
先生が言われた、 「臧文仲は官位を盗んだ者であろう。柳下恵が賢明で優れた人材であることを知りながら推挙し、官位に就けなかったのだ」。 |
4月6日 |
十五、子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「自分自身について厳しく責任を問い、他人にあまり問わなければ、人からの恨みは自然に無くなっていく」。 |
十六、子曰、不曰如之何如之何者吾末如之何也已矣、 |
子曰く、これを如之何(いかん)せん、如之何せんと曰わざる者は、吾れ如之何ともすることなきのみ。 |
先生が言われた、 |
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4月7日 |
十七、子曰、群居終日、言不及義、好行小慧、難矣哉、 |
子曰く、 群居すること終日、言、義に及ばず、好んで小慧(しょうけい)を行う。難いかな。 |
先生が言われた、 「寄り集まって一日中雑談をしながら、一度も言葉が正義について触れることなく、こざかしい智恵を働かせてばかりいる。これでは天下国家について語るのは難しい」。 |
4月8日 |
十八、子曰、君子義以為質、礼以行之、孫以出之、信以成之、君子哉、 |
子曰く、 君子、義以て質と為し、礼以てこれを行い、孫以てこれを出だし、信以てこれを成す。君子なるかな。 |
先生が言われた、 「君子は正義を本質とし、礼に従って実行し、謙遜な言葉で表現し、信義をもって物事を成し遂げる。これが君子というものだ」。 |
4月9日 |
十九、子曰、君子病無能焉、不病人之不己知也、 |
子曰く、君子は能くするなきを病む。人の己れを知らざるを病まず。 |
先生が言われた、「君子は自分はまだまだだと心配する。他人が自分の力量を知らぬからとて悩むことはない」。 |
4月10日 |
二十、子曰、君子疾没世而名不称焉、 |
子曰く、 君子は世を没するまで名の称せられざるを疾む(にくむ)。 |
先生が言われた、 「君子は生涯、何もしなかった人と言われることを恥じるものだ」。 |
4月11日 |
二十一、子曰、君子求諸己、小人求諸人 |
子曰く、 君子は諸(これ)を己に求め、小人は諸を人に求む。 |
先生が言われた、 「君子は責任を己に求めるが、小人は他人に求める」。 |
4月12日 |
二十二、子曰、君子矜而不争、羣而不党、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「君子は誇りを持つが他人と争わない。大勢の人交流するが徒党はくまない」。 |
4月13日 |
二十三、子曰、君子不以言挙人、不以人廃言、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「君子は言葉のみによって人柄を見ないで推薦することはない。どんな人物もよい意見であれば無視はしない」。 |
4月14日 |
二十四、子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人也、 |
子貢問いて曰く、一言にして以て終身これを行うべき者ありや。 子曰く、 其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すことな勿かれ。 |
子貢が質問して言った。生涯、行なうべきものを一言で申せば何でしょうか。 先生はお答えになられた 「それは「恕」だ。自分がして欲しくないことは、他人にもしないことだ」。 |
4月15日 |
二十五、子曰、吾之於人也、誰毀誰誉、如有可誉者、其有所試矣、斯民也、三代之所以直道而行也、 |
子曰く、 吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。もし、誉むる所の者あらば、それ試みしものあればなり。斯の民や、三代の直道にして行う所以なり。 |
先生が言われた、「私が人々に対する時には、誰かを褒め、誰かを否定するということはしない。もし褒めるべき人物がいれば、その実力を試してみてからである。この村の人民は、夏・殷・周の三代にわたって変わりなく、まっすぐな道に従って生きている人たちである」。 |
4月16日 |
二十六、子曰、吾猶及史之闕文也、有馬者借人乗之、今則亡矣夫、 |
子曰く、 |
先生が言われた、「私は、歴史の記述が欠けている部分については言及しないようにしている。馬を持っている人は、自分が乗れなくても誰か(馬に乗れる人)に乗せて貰うことができる。しかし、今はそういった慎重さ・親切さがもうないのである。」。 |
4月17日 |
二十七、子曰、巧言乱徳、小不忍、則乱大謀、 |
子曰く、 巧言は徳を乱る。小、忍びざれば、則ち大謀を乱る。 |
先生が言われた、 「弁舌が上手すぎると徳を害する、小さいことは我慢しないと大きな計画を損なう」。 |
4月18日 |
二十八、子曰、衆悪之必察焉、衆好之必察焉、 |
子曰く、 衆これを悪むも必ず察し、衆これを好むも必ず察せよ。 |
先生が言われた、 「大勢の人が嫌う人であっても、必ずその人物を丁寧に観察する。大勢の人が好む人であっても、同じように必ずその人物を観察せよ」。 |
4月19日 |
二十九、子曰、人能弘道、非道弘人也、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「人間が道を広めるのであり、道が人間を広めるのではない」。 |
4月20日 |
三十、子曰、過而不改、是謂過矣、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「過ちをして改めないこと、これこそが本当の過ちというのだ」。 |
4月21日 |
三十一、子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思無益、不如学也、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「私は以前、一日中食事もせず、一晩中寝もしないで考えたことがあるが、無駄であった。学ぶことには及ばない」。 |
4月22日 |
三十二、子曰、君子謀道、不謀食、耕也餒在其中矣、学也禄在其中矣、君子憂道、不憂貧、 |
子曰く、 君子は道を謀りて食を謀らず。耕せど餒(たい)、その中に在るなり。学びて禄、その中に在るなり。君子は道を憂え、貧しきを憂えず。 |
先生が言われた、 「君子は道を得ようと考えるが、食を得ようとは考えない。食べるために耕していても飢えることはあるが、道を得るために学んでいれば、俸禄はそこに自然に得られる。君子は道のことを心配するが、貧乏なことは心配しない」。 |
4月23日 |
三十三、子曰、知及之、仁不能守之、雖得之必失之、知及之、仁能守之、不荘以位、則民不敬、知及之、仁能守之、荘以位之、動之不以礼、未善也、 |
子曰く、 知これに及ぶも、仁これを守る能わざれば、これを得と雖も必ずこれを失う。知、これに及び、仁能くこれを守るも、荘以てこれに位(のぞ)まざれば、則ち民敬せず。知これに及び、仁能くこれを守り、荘以てこれに位(のぞ)めども、これを動かすに礼を以てせざれば、未だ善からざるなり。 |
先生がおっしゃった、 「知性が士大夫(官吏)として十分であっても、仁徳でその官位を守ることができなければ、結局、これを失うことになる。 知性が十分で、仁徳でその官位を守ることができても、厳粛にその職務を果たさなければ、人民は敬服しないだろう。知性が十分で、仁徳で守ることができ、厳粛な態度で職務を行っても、人民を動かすのに礼節をもってしなければ、まだ十分とは言えない」。 |
4月24日 |
三十四、子曰、君子不可不知、而可大受也、小人不可大受、而可小知也、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「君子は小さな仕事はできないが、大きな仕事は果たすことができる。小人は大きな仕事を受けるべきではない、小さな仕事はこなすことができる」。 |
4月25日 |
三十五、子曰、民之於仁也、甚於水火、水火吾見蹈而死者矣、未見蹈仁而死者也、 |
子曰く、 |
先生が言われた、 「人民の仁徳に対する態度は、水や火に対するよりもずっと大切なものである。水と火に深く接し過ぎて死ぬ人間は見たことがあるが、まだ仁徳に深く接し過ぎて殉死したような人は見たことがない」。 |
4月26日 |
三十六、子曰、当仁不譲於師、 |
子曰く、仁に当たりては、師にも譲らず。 |
先生が言われた、「仁徳を行うに当たっては、先生にも遠慮はしない」。 |
4月27日 |
三十七、子曰、君子貞而不諒、 |
子曰く、君子は貞にして諒ならず。 |
先生が言われた、「君子は正しさを守るが、馬鹿正直ではない」。 |
4月28日 |
三十八、子曰、事君、敬其事而後其食、 |
子曰く、君に事えては、その事を敬みてしかしてその食を後にす。 |
先生が言われた、 「主君に仕える際には、その仕事を着実に果たすことが先決、待遇は後回しにしなさい」。 |
4月29日 |
三十九、子曰、有教無類、 |
子曰く、教え有りて類無し。 |
先生が言われた、 「教育により人間の区別はなくなるのだ」。 |
4月30日 |
四十、子曰、道不同、不相為謀、 |
子曰く、道同じからざれば、相為めに謀らず。 |
先生が言われた、 「目的とする道が同じでなければ、一緒に語り合うことはしない」。 |
5月1日 |
四十一、子曰、辞達而已矣、 |
子曰く、 辞は達するのみ。 |
先生が言われた、 「文章は意を達するのみ」。 |
5月2日 |
四十二、師冕見、及階、子曰、階也、及席、子曰、席也、皆坐、子告之曰、某在斯、某在斯、師冕出、子張問曰、与師言之道与、子曰、然、固相師之道也、 |
師冕(しべん)まみゆ。階に及ぷや、 子曰く、 階なり。席に及ぶや。子曰く、席なり。皆坐す。子これに告げて曰く、某はここに在り。某はここに在り。師冕出ず。子張問いて曰く、師と言うの道か。 子曰く、 然り。固(もと)より師をたすくるの道なり。 |
楽師の冕(べん)が孔子に謁見した。階段のところに来ると先生が言われた、 「ここは階段ですよ。座席に来ると先生が言われた、「ここは席ですよ」。一同の座席が決まると、先生は楽師の冕に、「誰々はここに座っています。誰々はここに座っています」と紹介された。楽師の冕が退席すると、子張が質問した。さっきの先生の言動は、盲目の師に対する礼ですか。 先生が答えられた、 「そうだ。これが本当に楽師を心から助ける作法だ」。 |