もう「誰もが豊になれる社会」ではない 佐伯啓思 京大教授 

民主党政権による政治の混迷、あるいは政治の崩壊は、今になって分かった事ではなく事前に予想されていたことだった。 

この民主党政権の存在意義は、何か思想的な理念や、大きな政策的基軸によって与えられたものではなく、ただ脱官僚化、脱自民党化によって政権交代を果たす、という点にのみおかれていたからである。 

自民党に代って政権を取ること自体が自己目的化し、その名分が「政治に民意を反映するということだった。

従って、ひとたび政権を取ると「民意」を反映するという各種のバラマキ政策を行い、「民意」の支持による政権の維持を最優先させるのは当然に予想できることであった。 

問題が深刻なのは、これがただ民主党に固有の現象というわけではないからだ。まさに民主党を「私たちが選んだ」からであり、「これが私たちが撰んだ日本の政治」なのである。 

従って、民主党問題は、それを選択した「民意」すなわち我々の政治意識の問題だということになる。 

今日、日本は、停滞に陥っているというより、停滞に陥ったという先入観に支配され自信喪失になっている。だから、「悪者」を見つけて責任を追及し、自らの不満のはけ口にしようとしている。 

今日の停滞感は、戦後やってきたこれまでの基準が当てはまらなくなったからである。 

平和憲法、日米安保体制、経済成長追求という三点セットはあくまで成長が見込まれ、冷戦下でアメリカが自由社会の超大国である間にはある程度、現実性があったが、今はそうではない。もう「誰もが豊かになれる社会」ではない。

アメリカは安定した超大国ではない。この転換期には、当然、不平不満が出てくるが政治はそれをもはや解決できない。 

日本の将来像は、もはや成長追及(経済第一主義)では、うまくゆかないという前提のもとに、新たな社会像を描くことから始めるほかない。 

それを提示するのが政治である。と同時に「民意」のほうも、長期を展望した国の将来像にこそ関心を持つべきで、あまり性急に政治に不満をぶつければ益々政治は機能不全になるだろう。