山端(やまばな) 

()く春や平八茶屋の麦とろろ 臼井喜之介 

「山端といえば平八」と謳われた洛北の名店だが、有名な壬生狂言に、「山端とろろ」という演目がある。山端にある茶屋に泥棒が入り、使用人はこれをつかまえようとするが、店の女が慌ててとろろ芋の入ったすり鉢をひっくり返してしまう。一同足をとられて大騒ぎになり、泥棒はほうほうの態で逃げる、という話だ。 

山端は、八瀬・大原につながる若狭街道付近の地名であり、舞台となった茶屋とは、現在の山ばな平八茶屋そのものである。
創業は大正年間(一五七六)とされるが、これは主人の名が確認できる二十代前までさかのぼった時点を創業期間としているため。伝承によると、平安初期、延暦寺を開いた最澄の弟子にあたる慈覚大師が巡錫した際、休憩に立ち寄り、湯と果物でもてなしたことが店の起源ともいわれている。

いずれにせよ、若狭街道沿いの茶屋として発祥し、麦めし茶屋と萬屋、あるいは宿屋を兼ねた時期を経て、現在では懐石料理屋・料理旅館として営まれている。
当店の名物として有名なのは、壬生狂言にも登場する「麦めしとろろ汁」であろう。創業以来の伝承料理であり、丹波篠山の最高品質のつくね芋を使用した味わい深いもの。また、若狭の魚を使った「ぐじ料理」の若狭懐石や、伝統の川魚料理を中心とした清流懐石なども根強い人気を誇っている。これらの料理を、江戸後期の寛政十年(一七九八)に建てられた母屋の風格や、かつての街道茶屋らしい風情とともに味わえるのも、平八茶屋の大きな魅力といえる。

流石は千年の都ではあるとつくづく感心した。 

                  岫雲斎圀典