大東亜戦争敗戦の真実「徳永メモ」
1.
ハル・ノート
東郷茂徳外相は、アメリカ国務長官ハル・ノートを受け取った時、「自分は眼も眩むばかりの失望に撃たれた」と述べ、
「米国が今までの経緯及び、一致せる範囲を凡て無視し、従来とった最も強硬な態度さえ超えた要求をここに持ち出したのは、明らから平和的解決に到達せんとする熱意を有しないものであり、唯日本に全面的屈服を強要するものである。(略) これは日本の自殺と等しい。(略)もはや、立ち上がる外ないと言うことであった」と。
A級戦犯として獄中で病死する前に記した。
2.
開戦の詔勅
「今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(戦端)ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得ザルモノアリ豈、朕ガ志ナランヤ」と述べ、
「事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ッテ一切ノ障碍ヲ破砕スルノ外ナキナリ」
胸の熱くなる思い。
3.
白人優位主義
ペリーの浦賀来航以来、驕る白人優位主義と、キリスト教世界観によって日本を屈従させようとした。
ペリーは「日本を国際社会の一員にし、我々の宗教の恩恵のもとに置く事業は始まったばかりである」と述べている。
4.
ルーズベルトの罠
1.日本は罠に仕掛けられた。ルーズベルトの陰謀に嵌められ断崖絶壁まで追い詰められて已むを得ずに開戦したのである。日米開戦の責任はアメリカにあった。
2..ルーズベルトは日本に対し根深い悪意を抱いていたからシナの蒋介石総統を通して日本を踏み潰すことを企図
した。
3..国際法違反=アメリカ兵がシナの正規兵となる。
4..満州は歴史的に「満州族=女真族」の地でシナの一部ではない。
5.日華事変=日本から仕掛けたものではない。戦後、これを日中戦争と呼ぶが互いに宣戦布告したものではないから日華事変が正しい呼称である。
6.昭和12年、7月7日、北京から南12キロの盧溝橋付近で、日中両軍が偶発的に衝突した事件から日華事変は始まったとされるが、今日では、中国共産党の挑発により起こったのは明白である。
7.その年8月に発生した第二次上海事変により、日中の衝突が拡大し戦闘が本格化したが、これもシナ共産党により仕掛けられた策略であった。
8.ルーズベルトは、上記二つの事変を日本が計画的に侵略したものだと曲解した。
5.シナ空軍機の九州来襲
昭和13年、数機のシナ空軍機が熊本県と宮崎県の上空に侵入した。飛行機はアメリカ製のB10爆撃機。
5月30日、再び鹿児島県に飛来し海上に去るなど牽制。
5.
対日追い詰め作戦
昭和14年、開戦2年前、アメリカの極東課長マッコラムが大統領に「日本追い詰め提案書」を提出し即座に承認された。それはシナの蒋介石を徹底的に支援することであり、日本に石油を輸出させないこと、日本を挑発する為に日本近海に巡洋艦を出没させることであった。
6.
日米開戦5月前に日本爆撃を承認
日本は、戦争回避の外交交渉に真剣に取り組んでいたが既に5ヶ月前にはJB-355計画という爆撃計画が仕切られていた。然もシナの飛行機偽装したもので、シナの基地から発進し東京、横浜、大阪、京都、神戸の爆撃計画である。