90歳を健康に迎えて

48日で満90歳となりました。

しかも先ず健康であります。

明日の事は分かりません、

自画自賛でありますが、同級生とかの実態を垣間見て

とても有難く感謝しています。

これは必ず永続するものではありませんが、動物として、まあ「良し」とすべきでありましょう。

 

私は、これは安岡正篤教学のお陰と心から思っております。

 

第一に、鳥取木鶏会でも何度もお話しておりますが、

「立腰」、りつよう、の習慣が壮年時代から身についたことであります。

自転車でも、登山でも、歩行でも、立腰を心掛けたせいか、姿勢が良いと云われる。

足腰の痛いとこは全くありません。

現在も毎日ほぼ8000から一万歩の歩行を続けています。

日常生活も停滞しておりません。

 

第二は、人間の本質を洞察しておるからかもしれません。

 

安岡先生は、人間の本質は、

表皮表層に見られる地位でも学歴でもお金でもないと常に云われた。

住友銀行でも、私の周囲は全国的エリートばかりでしたが、私は口にこそ出しませんが、人間観察は安岡正篤の教えという物差しで観察しておりました。

人間の表層に豪も影響を受けたことはありません。

 

習慣

人生の行為に於て習慣は主義以上の価値を持っている。何となれば、習慣は生きた主義であり、肉体となり本能となった主義だからである。誰のでも主義を改造するのは何でもない事である。  それは書名を変えるほどのことに過ぎぬ。新しい習慣を学ぶことが万事である。それは生活の核心に到達する所以である。生活とは習慣の織物に外ならない。
(
スイス・アミエル日記)

 

本質的要素 アミエルの名言であります。

 

本当に、どんな表皮より、習慣そのものが「自分を端的に表している」と確信します。

習慣こそ「自分自身」なのです。

習慣くらい自分の本質を示すものは無い。

 

そこで人間とは何か、

人間には「本質的要素」と「附随的要素」があります。

 

本質的要素というものは、これがなければ、形は人間であっても、人間ではない、つまり人間にとってなくてはならぬ本質をなすもの、

 

言い変えると「習慣」と「徳性」でありましょう。

 

人を愛する、人に報いる、人を助ける、あるいは明朗で清潔である、正直であるというようなことがなくなったら、これは人間ではありません。
これが本質的要素の徳性であります。

 

附随的要素

これに対して附随的要素というものがあり、大別しますと二つに分けることができます。

 

一つは、知性・知能という

今一つは技能であります。

 

ほかの動物と異なり特に発達した知能や技能によって人類の文明が開発されたのですから、                     

当然この知能・技術というものは大切なものには相違ありませんが、

人間そのものから言えば附随的要素にすぎません。

どんなに有用なものであっても、貴重なものであっても、これは属性である。

 

第二の天性                                           

これに対して、

もう一つ本質的な要素、徳性に準ずるものが

「習慣」であります。                   

これは「第二の天性」と言われる如く、非常に大切なものであります。

習慣は知性や技能と異なり「人間の本質的要素」と申せます。

 イデオロギー闘争                           

これに対して、イデオロギー、知性、理論闘争があるが、

これは「観念の遊戯・論理の遊戯」だから物事の本質的解決にはならない。

理論そのものでは絶対に解決にならない

本当の人格・知性によって初めて人間的解決がつく。

正しい生活とは                                  

そこで、人間をつくる上においても、このようなイデオロギーや、技術・技能では駄目で、

 

本当の正しい生活的心構えが必要である。                       

それにより人間は、正しい習慣・正しい(しつけ)を身につけることができます。

我々の正しい生活とは「習慣の織物」でありましょう

従って子供の頃は「良い(しつけ)」を、大人になっては、よい習慣をつけることが何よりも重要。

健康な長命は、これらの延長戦上にあるのではないか。

 

治病(ちびょう)             

人、不善を積むこと多くして心神欝悸(うつき)する。

 

(ただ)(まさ)、己に反り、

過を改め、倫理を改め、倫理を正し、恩義を厚くすべし。此の如くんば(すなわ)ち薬なくして喜あり。 (谷泰山)

 

まあ、90歳で元気なのは、これに近いかなと思う、

 

肉体、心の

自然的原理に適っていたから健康なのかなと

思う次第であります。

 

これを学んだのが現役の管理者時代、登山の本格的活動が始まったころであります。

 

先日も、同級生に会い、歯の全抜け、よちよち歩き、

腰の大きくゆがみ、施設での寝たきり、リューマチなどの同級生を見て感慨深い思いであります。

 

          令和348

 

               徳永圀典