徳永の4月の所見 

民主党に「ちょっとやらせて見せたら」の危険。

民主党は
党内に左翼が渦巻いている。中間派の菅直人らはリベラルという正体不明のグループであろう。
進歩的文化人という言葉があるが、福田恒存氏は、日本の主権回復から二年後の時点で、中央公論に「平和論の進め方についての疑問」の一文を出した。その後、同氏は一貫して、日本に横行した、空想的、或はマルクス主義的な平和論が知的怠惰以外の何ものでもないことを論理的ら解明して徹底的に批判したと言う。

進歩的文化人の妄説

「進歩的文化人」達の説をなぜ福田氏が妄言と考えるかを静かに説かれた。

福田氏は、孤高の、真の文化人であった。憲法論といい、教育論といい、国語論といい30年、40年も前に書かれたものであっても、完全に今日的意義を保っているのを改めて驚嘆する。当時、福田氏は、日本の自然と、国語が保たれる限り、日本は固有の文化を決して失うことはないと力説していた。 

民主党が法制化しようとして自民党が頑張り出来なかった法律案件

1.永住外国人の「地方参政権付与」   2.人権擁護法案の創設

3.選択制夫婦別性の早期実現      4.配偶者控除、扶養控除の廃止

5死刑制度の廃止             6.男女共同参画―ジェンダーフリー推進

7.従軍慰安婦の正式認知と謝罪・補償。

―――民主党にちょっとやらせて見せたら」は極めて危険である。
        ――
国家安全保障政策欠如しているからである 

リーダーが、「しっかりした国家観、歴史観を持っていないから、色々言われるとすぐ左翼に迎合する。結果、支持率が低下、更に左の票が欲しいと迎合する。」

国民も、国家観、歴史観を確立し「国民世論」を盛り上げなくてはならぬ。 

東京裁判は、人道に対する罪として多くの日本人を殺害した。

では、広島原爆、東京大空襲の数十万の殺害は人道への罪ではないか。

戦争終結後のソ連の数十万の日本人抑留と数万人の餓死は人道の罪ではないのか。 

安岡正篤先生の講話より

 福者と貧者

「足ることを知れば、家は貧しといへども、心は福者(ふくしゃ)なり。足ることを知らざれば、家は富めりといへども、心は貧者(ひんじゃ)なり。ここをよく(わきま)へ、かりにも(おご)らず、物好(ものごの)みをすべからず。(ことわざ)()きが身を(ほろ)ぼすといへる心得(こころう)べし」。

足る、不足.満足

たるという字を手ると書かずに、足ると書くことに注意しなければなりません。足は人体の中で一番中心から離れ、重い上体を支えてこれを遠くまで運びます。その上、大地や床等に接するため不潔になりやすく、注意を怠ると腫物ができたり、傷をしたりして、不自由を感じる場合があります。手の傷ですとそんなにも不自由を感じないのに、足の傷は大変です。乗物が発達したため昨今は昔の様に歩かなくなったので足が弱くなり、これが原因で色々な病気にかかって苦しむ人が多くなりました。これなどは足が十分でない、即ち「不足」が原因と申せましょう。そこで常に足を清潔にして鍛錬しておりますと、身体は健康で、その日常生活は極めて「満()」となりましょう。

好きが身を亡ぼす

だから足るという意味がよくわかれますと、貧乏も苦労も苦にならず、心は金持ちでしょう。足るということがわかりませんと、いくら金があっても心は貧乏であります。このところをよく承知して、おごってはなりません。また好きだからと云って色々な遊びにこってはいけません。好きが身を亡ぼすという諺をよく心得ておくと宜しいーとまことに平々凡々であるが滋味(じみ)津々(しんしん)であります。

堪忍第一

「家を(おさ)むるは堪忍(かんにん)を第一とす。(しゃ)をこらえ、欲を抑えて(ほしいまま)にせざるも、皆()れ堪忍なり。

(よろず)の事、心に(かな)はざることありとも、()の堪忍を用ひて怒りののしらざれば、家の(うち)(やわ)らぎ親しむべし」。

ならぬ堪忍するが堪忍

家をおさめるには堪忍が第一である。質素を旨とし、欲望をおさえて自制するのも堪忍の一つである。

不満があっても、堪忍の二字を戒めとして、怒りののしらなかったならば、一家は実になごやかで楽しい。