福者と貧者

「足ることを知れば、家は貧しといへども、心は福者(ふくしゃ)なり。足ることを知らざれば、家は富めりといへども、心は貧者(ひんじゃ)なり。ここをよく(わきま)へ、かりにも(おご)らず、物好(ものごの)みをすべからず。(ことわざ)()きが身を(ほろ)ぼすといへる心得(こころう)べし」。

()る、不().満()

たる(○○)という字を()ると書かずに、足ると書くことに注意しなければなりません。足は人体の中で一番中心から離れ、重い上体を支えてこれを遠くまで運びます。

その上、大地や床等に接するため不潔になりやすく、注意を怠ると腫物ができたり、傷をしたりして、不自由を感じる場合があります。

手の傷ですとそんなにも不自由を感じないのに、足の傷は大変です。乗物が発達したため昨今は昔の様に歩かなくなったので足が弱くなり、これが原因で色々な病気にかかって苦しむ人が多くなりました。これなどは足が十分でない、即ち「不()」が原因と申せましょう。そこで常に足を清潔にして鍛錬しておりますと、身体は健康で、その日常生活は極めて「満()」となりましょう。 

好きが身を亡ぼす

だから足るという意味がよくわかれますと、貧乏も苦労も苦にならず、心は金持ちでしょう。足るということがわかりませんと、いくら金があっても心は貧乏であります。

このところをよく承知して、おごってはなりません。また好きだからと云って色々な遊びにこってはいけません。好きが身を亡ぼすという諺をよく心得ておくと宜しいーとまことに平々凡々であるが滋味(じみ)津々(しんしん)であります。

堪忍第一

「家を(おさ)むるは堪忍(かんにん)を第一とす。(しゃ)をこらえ、欲を抑えて(ほしいまま)にせざるも、皆()れ堪忍なり。

(よろず)の事、心に(かな)はざることありとも、()の堪忍を用ひて怒りののしらざれば、家の(うち)(やわ)らぎ親しむべし」。

 

ならぬ堪忍するが堪忍
家をおさめるには堪忍が第一である。質素を旨とし、欲望をおさえて自制するのも堪忍の一つである。

不満があっても、堪忍の二字を戒めとして、怒りののしらなかったならば、一家は実になごやかで楽しい。

         安岡正篤先生の講話より