鳥取木鶏研究会 3月レジメ   徳永圀典

日本の「自然美に衝撃」

私は高校時代の英語の勉強にこのラフカディオ・ハーンの作品を大変よく読んでいた。彼の言葉を思い出した。

いったい、日本の国では、どうしてこんなに樹木が美しいのだろう。西洋では、梅が咲いても、桜がほころびても、かくべつ、なんら目を驚かすこともないのに、

それが日本だと、まるで美の奇跡になる。

その美しさは、いかほど前にそのことを書物で読んだ人でも、じっさいに目のあたりにそれを見たら、あっと口がきけなくなるくらい、あやしく美しいのである。

日本の「自然美に衝撃」 

ハーンは日本に来て様々な文物に驚き感嘆した。

日本贔屓で日本に傾倒し、西欧を「野蛮」とさえ言ったのである。特に、その日本の風景、自然の美しさに衝撃を受けた。

木々の美しさについては、

「ひょっとしたら、この神ながらの国では、樹木は遠い昔から、この国土のよく培われ、人によくいたわり愛されたので、遂には樹木にも魂が入って、樹木もまた心を入れて、木ごころを現すものだろうか」。

日常品も芸術品と感嘆

日本の日常品は、精緻な工芸品とも言えるとした。「日本の物なら、なんでもかんでも繊細で、巧緻で、驚嘆すべきものに見えてくる。例えば、小さな絵入りの紙袋に入れた、どこにでもある白木の箸、妙なる文字を三通りの色で書いた包み紙に包んである、サクラの木の爪楊枝・・・しまいには、乗っている俥屋(くるまや)が汗拭きに使っているスズメの飛んでいる柄のついた浅黄(あさぎ)の手ぬぐいまで、のどから手が出るほど欲しくなり、恐ろしくなって店を飛びだしてしまう」と云っている。 

しかし、買いたいのは、店全部どころかその町や住民全部、いやもっと「一点の雲なき空にかかっている白妙の富士の山も・・いや、正直なことを言えば、この日本の国をまるまる全部、手品から出たような樹木も、光りみなぎる大気も、世界中で最も愛すべき四千万の国民も、そういうものを全部ひっくるめた、この日本の国」をとまで述べたのである。