安岡正篤の言葉  鳥取木鶏会3月 徳永圀典選

 

天に帰らねばどうにもならん  

やはり、人間は真実に帰らなければならん。真実に帰るというのは、「天人合一」のことであります。私たちのあらゆる環境、あらゆる経済的、外面的なものは一切、天に内在する。そこからみな流れ出ている。つまり人間というものは天に帰して天から人間を導き出すのであります。

 これを「天人相関」とか「天人合一」と言うのであります。天と人とを相対的に考えるのではない。これを一体として考えるのであります。そして天が一つの形を取って自己を生んだもの、或いは形成したものが人間である。一切は天然である。人間が考えておるような理論や理屈によって存在しているものではなくて、自ずからきたるものであります。言い換えれば、自然と人間とを一貫した創造の理法、則ち真理に帰らんとどうにもならないのであります。

 人生五計

 

 始めあらざるなく、終わりあるは少し

 人間のことと言うものは何と言っても久しい時をかけ、その間に習熟、修練を積まないと本当のものにならないのであります。大抵のものは「始めあらざるなく、終わりあるは少し」と格言にも説いてありますように、なかなか続かないものであります。物体の運動の法則でもそうであありますが、ある方向に動く出してしばらくすると、それがつまり慣れっこになって無意識的に始めに与えられた力の方向へそのまま動いてゆくというようになる。

そこで始めのうちは新鮮な気分でやりだしますけれども、しばらくすると慣れっこになって、だんだん新鮮な心掛け意図というようなことが麻痺してしまって形の如く機械的になってしまう。味もそっけもなくなる、いわゆる因循姑息、無感激になって生命を失ってしまう。終始一貫始めの如き気合・感激・精神をもって続行することは難しいことであります。生命を失わず、初心、素心というものを持ち続けてゆくという、そういう意味で久しくするということは、これは非常に尊いことであります。それで初めて本当の人間、本当の事業、本当の研究が出来上がるのであります。

                    安岡正篤講演集