失った歴史回収を企図するチャイナ 

中国の習近平は「中華民族の偉大なる復興」と言う言葉を頻繁に使用している。総書記就任時には「中華民族を世界諸民族の中で強力な存在とさせる」と発言した。

さらに中国共産党政治局常務委員6人を同道し国家博物館で講話をした。「アヘン戦争敗北以来170年余にわたり屈辱の歴史を背負わされてきたわが中華民族が、ついに偉大なる復興への道を探り当て、世界を瞠目させる成果を収めつつある。中華民族の偉大なる復興こそが近代以降の中国人が最も強く待ち望んでいた夢である。この夢には過去のいくつもの世代の人々の深い思いが込められている」と。
 

さもあらん、アヘン戦争後の「中国近代史」は屈辱以外に何物でもないからである。現在、遂にGDPで日本を追い抜き米国に次ぐ世界第2の経済規模を擁するに至った。これは中国にとり、歴史的快事であろう。全国民が奮い立つような痛快な気分を味わっているに違いない。
故に、習近平の言う偉大なる復興とは、かかる中国人の胸に宿る思いの表現なのである。偉大なる過去への回帰欲求が鮮明に現れている。多分、それは古代ではなく、思いは大清帝国の事と思われる。

 清国・乾隆帝の時代、中国は最盛期を迎え、モンゴル、チベット、ウイグルを取り込んだ史上最大版図の王朝である。面積で明王朝の3倍、異民族を包みこんだ広大、強力な中華帝国であった。

西洋諸国の産業革命頃のこの大帝国は世界の圧倒的大国であったが弱く欧米に侵蝕され滅亡した。以後、今日までの経緯はご高承の通りである。習近平がアヘン戦争以来の屈辱にこだわる歴史認識の根底はこれであろう。

 将に、「民族屈辱の歴史回収」である。アヘン戦争以来、欧米列強により収奪された国富、権威の回復が、中国人の胸中に、ありありと存在する。わかるような気持ちである。だから、中国の「膨張主義」はさらに進化し、今後益々高い民族感情へと膨れ上がって行くであろう。

汎世界史的にみれば、日本も万国法により明治時代は欧米諸国により収奪され日本人は苦労したが、負けじと、中国とは異なり近代国家の成立を果たし成功した。

然し、この500年間、欧米諸国は自在に世界を植民地化し富を収奪をし栄耀栄華をしており、当時の気概なき故の中国ほどではないが日本も被害者である。

本来ならば、世界史的に私の指摘するこの視点を中国も持たねばならぬ。万国法即ち国際法をアジア法に取り戻す絶好の機会で、日本と連携してよい筈だが、チャイナにはその度量も、視点も、智慧も成熟も、人類史的観点も欠如しているからわかるまい。

現在の中国の夜郎自大の感覚は、普遍性もなく、成り上がり者の域であり、世界から本音では軽蔑され忌避されるであろう。地球破壊者の類いに属する。だが、既にイギリス、ドイツとすり寄っているやに見える。

 尖閣諸島の挑発行動は、日本人にはいかにも不快である。歴史的、国際法上、日本固有の領土であることは明確、中国の領有権主張は無法である。

しかし、思い上がった中国は領有権主張を主張し続け領海侵犯を続ける。彼らの目的は「歴史の回収」であり国際法無視である。

これは世界への挑戦であり、欧米諸国は声高く中国を非難すべき大問題である。中国は軍事力を確立し、アメリカは弱体化した、本気で日米同盟を発動すまいと見ている。

 中国は92年2月に領海法(中華人民共和国領海及び隣接区域法)と言う国内法を作り、南シナ海と東シナ海、即ち中国に面する一帯海域を自国領とし世界に認めさせようとしている。実に無法極まりなく尊大である。

傍若無人な中国には無法の自覚もない。既成秩序の国際法の無視である。共産党大会冒頭でも胡錦濤の政治報告で、「国家海洋権益を断固守り海洋強国を建設する」と宣揚した。中華民族復興は海洋強国建設と表裏一体で尖閣問題で中国が引き下がることはあるまい。

 然しながら、中国がこの問題で日本と本格的に事を構えるのか。

貧富格差、官僚腐敗・汚職、環境劣化、少数民族問題等の舵取りを誤れば暴動につながりかねない危険の要素を内に抱え深刻度を増している。

外国投資減少不況の不気味な足音も聞こえる今、紛争と戦争にエネルギーを注ぎ込む余裕は、今の中国にはないであろう。

それ故、中国は領海・領空侵犯、レーダー照射など、武力行使すれすれの際どい手段を使い、日本がこれに耐えられず屈服する日まで恒常的、長期的に用い続けるものと覚悟せねばならぬ。

 中国の尖閣挑発的行動は、恒常的、長期的となるであろう。挑発抑止力の整備を早急に確立しなくてはならぬ。

抑止の構えを毅然とし、且つ日米同盟による集団的自衛権行使即時容認の国論をまとめ上げねばならぬ。

さもなくば、日本は中国に対抗は愚か共存することさえ難しいものと自覚しよう。

将に、第二の元寇である。

日本人は覚悟しなくてはならぬ。

            平成2538

  徳永日本学研究所 代表 徳永圀典