「衣食足りて礼節忘る?」 徳永圀典

 

 子供の時から体で覚えた格言「衣食足って礼節を知る」。中国の古典「菅子」にある、「倉稟(そうりん)()ちて、則ち礼節を知り、衣食足って則ち栄辱を知る」が出所である。倉の中に物が豊かになると人々は礼節を知り、衣食が十分足りて来ると名誉とか恥を知る、の意。だが現実は全く逆で、戦後日本人は欲望の自制を喪失している。

 日本人は戦前と比較すると、庶民も昔の王侯貴族のような物質生活をしている。物は満ちあふれているが、礼節はいかに。子供に教育する立場の、物に困らない教員が教科書の選定に金銭を受領し関与していたのには、あ然とした。「節」を失った聖職者=人間基礎教育者としては失格である。彼らは恥を理解していないようで、農耕民族の「みんなで渡れば怖くない」の通りである。

 メディアも朝から食べ物の話題ばかり報道する。歩きながら食べる。大口開けて食べる。口の中に食べ物を入れたままおしゃべりする。そして親からキチンと教えてもらっていないのであろう、箸の持ち方の奇妙なタレントや人々のなんと多いことか。我々の世代の日本人は、みなそれは大変に行儀の悪いことと言われていた事ばかりである。おもてなし日本と言うが、世界に冠たる清けき伝統日本はもはや廃れている。

 古代、大ローマ帝国がなぜ滅んだのか。国民に無料でパンとサーカス、すなわち食料と娯楽を与えたことが滅亡の一因となり、人間堕落の象徴とされる言葉になっているが、なんとも似ている現代日本か。

 人間は動物に違いないが精神を持つのは人間だけ。単なる動物とは異なる万物の霊長だとの教育をしなくては、人間たる尊厳の自覚が出来ない。単なる給料取り化した教員たちの教科書問題関与を見て、暗然たる思いを持ったのは私だけではあるまい。