東大ブランドは投売りだ

永田寿康議員

東大出と言えば、そのバカさのシンボルは永田寿康衆議院議員であろう。

あの児戯に似た、身の処し方は、もうこれが社会人と言えるのか、これが選良と言えるのかと言うブザマなものであった。

間違えた場合、失敗した場合、人々に迷惑をかけた場合の最低の礼儀が身についていない。神聖なる公の場の国会議事堂で、突如として武部幹事長に思いつくままに挨拶するなど、失礼千万でありこの感覚はどうにもならぬ無作法、幼稚さである。

また、危機に際しての対応と見通し、詰めの甘さ、戦略はゼロである。大甘である。こんなのが、偉そうに「魂を売るものだ」とウソのデッチアゲをして攻撃するのだから、ゲーム感覚に違いない。

この永田が東大出て、大蔵省で大きな顔して活躍していて議員となれるとは、実に日本という国は甘っちょろい人物ばかりとなる。大蔵省とか議員とか税金で、のうのうと生活してきた人間の出来具合は、この程度の人物しか生まぬということになる。

これが東大出身ということになれば、東大というブランドも地に落ちた、投売り物である。

岡田克也前民主党党首

そう言えば、32日の予算委員会で民主党の党首までした岡田が総理とやりあっていた。岡田も東大卒である。やはり、おかしいのである。

岡田は、小泉総理に対して、「人生というものは、云々・・・」という、部下に対し説教口調であった。表情も成長も見られず強ばっている。魅力の無い男ではある。

少なくとも岡田は総理より年少である。あのもののいう方は、年少者に対するものの言いようとしか感じられない。

岡田は民主党党首をしていた時、総理と討論した時、総理に対して「無礼」と言ったのを正確に私は記憶している。無礼という言い方も、実は年長者とかに言うべき言葉ではない。東大出は日本語の情緒、教養ある表現能力が身についていないのである。 

東大ではないが、あの野田国会対策委員長、あの顔は頭脳は明晰ではない。切れない、情勢判断能力が欠けていたのであろう、緻密な洞察力が抜けていた。苦労が足りないのであろう。

鳩山由紀夫

東大出と言えば、あの鳩山由紀夫もそうだ。人間は悪くないが、元々、こんな修羅場の処理能力は無い人物である。

あの表情のない、余韻の欠けた、苦労知らずのボンボンでは、解決能力は無いと思っていた。 

結論としては、民主党議員に限らないのだが、実にお粗末な国会議員ばかりである。

ああ日本の未来が心配だ。

                                      平成1833

                    徳永日本学研究所 代表 徳永圀典