今、なぜ関西なのか

 日本海新聞に連載されたもの。
 平成3年4月10日から15日迄 筆者当時の年令満60才 

関西と深く結びつく「ヒト・モノ・カネ」 

[T]三十五年目の鳥取

鳥取県に生まれ、育ち、かつ学んだ。主として関西の各都市で働き、三十五年ぶりに帰郷してはや四年を経た。"今浦島"と自称しつつ、先輩や同窓各位のご支援を 得て地元銀行に勤務。この四月、還暦を迎えたのを機会に計画どおり退任した。
フリーの立場で、改めて生まれた故郷を眺めてみた。"独断と偏見"を率直につづってみたが、地元を思う人間の一人としてお耳障りな点はご容赦賜りたい。

@山岳地帯の県東部(クルマ社会を拒む鳥取市?)


県東部は山岳地帯だなと、今更乍ら実感している。小さい鳥取県だが、それでも中 部から西部へとゆったりした大地が広がっている。航空写真を見ると、紛れもなく東部は山の皺だらけ。中学、高校と智頭谷から鳥取へ通学したころは、鳥取平野は 広いなと思ったものだが、今は小さい盆地にしか見えない。鳥取市ですが私には現代のクルマ社会を自ら拒否しているようにさえ映る。・・・・観光バスが市内に見えない。観光客が市内で買物をしていない。その駐車場すらないに等しい。これが城下町で県庁所在地かと疑いたくもなる。JR鳥取駅と県庁の間で行き詰まり。従って観光客も車も市内には入らぬから商店街も寂しい。発展の支障となる。名勝山陰海岸は久松山のすぐ裏にあるのだがリンケージが悪い。神戸の国立公園六甲山にはトンネルが二つできて後背地が発展したのを思い出した。母校、久松山下にトンネルを掘る?発想とダイナミズムを夢みてみる。

A陸の孤島"鳥取"

二年ほど前、九州からの帰途、岡山駅で鳥取行きのグリーン車に乗るのに指定制が 無いためホームで立ち並び順番待ちをしていた。その時、当時の商工会議所八村会頭ご夫妻も立ち並んで待っておられた。鳥取財界のトップが立ち並ばねば座れないとは実に残念に思ったことが忘れられない。(昨年解決)実はその折、ブリッジでどのホームに降りて乗るのか探したのだが遂に鳥取の表示が無かつた。津山方面のみであった。鳥取は全く認識されていないと口惜しい思い残った。まだある。ついに大阪ーー鳥取の直通も優等列車もなくなってしまった。大阪は車にせよということであろうか。それに比べて、どおですか白備線は。一部  複線でもあるし、米子、松江は北陸線並みのスマートな優等列車が秀峰大山を仰ぎながら快適に走っている。鳥取は陸の孤島になった。中国縦貫道という大動脈へのアクセスも米子に先を越された。私の感触では中国地方の南北線に松江−福山ル−トが優先されるだろう。予定されている智頭鉄道で大阪迄の高速化の実現を期待したい。

B"大山、宍道湖地域共同体?"
鳥取県東部に比べ、県西部と島根県東部。私はあの地域、すなわち大山と宍道湖をコアとした米子、境港・松江の地域は一つのいわば[地域共同体]として独立して力強く歩み始めていると思う。バイパスが完成すると有数のリゾート地域として大きく発展するに違いない。国境すらなくなりつつあるのだ。

C県東部の地勢学的宿命

そして、東部。狭い山岳地帯ですね。そこに県の行政の中心がある。行政は広島にある國の出先行政機関を向かねばならぬ。経済団体も同様。しかしながら東部の実 体が深く身を寄せているのはどこか。姉妹都市の姫路ではない。池田藩ゆかりの岡山でもない。もとより西の松江ではない。どこか。関西ですね。実体経済は広く深 く関西と結びついている。その例をあげてみたい。
東部進出企業の圧倒的多数は鳥取三洋電機を筆頭に関西からです。幹部の方や従業員の方も鳥取の風土と人情と静けさを好んで土着している方が多数ある。鳥取人より積極性のある関西から来た人の事業的成功者が実に多い。
次に但馬地区。鳥取但馬会に百三十人出席したとの日本海新聞の報道の通り、関西人ともども保守的な東部経済を刺激し活性化した重要な役割を歴史的に演じてきており県経済への貢献は著しいものがあると言わねばならない。
 県の転出入者の約30%は関西圏。
 自動車学校生徒の40%−50%は関西圏からという。
 日交特急バスは私も月に3回程度利用しているが京・阪・神への混雑ぶりは明らかにそれを示している。
 津ノ井ニュータウンの申し込みの15%は京阪神が最も多いと聞いた。
 統計はないが子供の進学先に京阪神が最も多いと言われるのもうなずける。
 休日に家族がドライブを兼ねて日帰り、あるいは泊まりがけで20−30万円のショッピングを楽しむ人も結構いる模様だがいずれも行き先は京阪神。 鳥チョン企業人で毎週末には関西方面の自宅に帰る人、あるいは逆に関西から鳥取のわが家に帰ってくる県人は数知れない。
これらは恐らくほんの一例であろうがヒト・モノ・カネとも関西といかに結びつきが深いかが分かろうというものだ。だから私は帰鳥後、東部は「西近畿圏入り」しつつあると言ってきた。智頭鉄道や姫鳥線ができると完全に組み込まれる。そのことに早くしっかりと気づいた方が良い。

鳥取と但馬が県境を越え提携を
地勢学にそった発想を−−観光とは偉大なるフィクション

このように東部は実体的には西近畿圏に属すると思われる。中国地方の行政の中心である広島とか東部人の好きな東京との関係以上に関西に目を向ける必要がある。前回述べた通り、西部は"大山・宍道湖地域共同体"に官民の集中投資が進行中である。すでに県というパラダイムを越えてしまった。こうなってくると、地図の上の県境ではものが見えなくなってくる。聞く処によると鳥取空港の利用者に但馬の 人も多いらしい。県境の枠組みで考えると経済は見えないし発展に制約が生じる。
例えば、山陰海岸。素晴らしい海岸線である。決して北陸海岸に劣らない。しかしながら、全国規模でみるとイメージが弱い。観光遊覧船をみても、浦富周辺、浜坂 周辺、そして日和山とか、小さく限られた地域でやっているに過ぎない。これを、もっと大きい目でとらえ、城崎、日和山から鳥取砂丘までの観光ルートを開発する事業家が現われぬだろうか。砂丘近くに海中公園とか水族館もつくる。もちろん、大リゾートホテルを誘致する。付近にはゴルフ場もあるし、湖山池もあり温泉もあるではないか。こうなってくると久松山のケーブルも生きてくる。人が集まるシステムができる。観光とは偉大なるフィクションであると誰が言ったか記憶にないが、時日と共に歴史そのものになってくる。鳥取市も大きく開放して観光バスの導入を図る。東部の町村とか但馬地区とも提携してそれぞれが個性的なものをつくり人々の周遊を図る。循環周遊こそ経済発展の決め手だと思う。

こうなって初めて最近言われている環日本海構想に鳥取市がクローズアップされてくるのではないか。そして、鳥取市を関西の裏玄関にできるのではないか。それには、先ず但馬と鳥取が県境を越えて手を結ぶのです。城崎の客をこちらに誘引できるし、鳥取から送ることもできる。関西圏に組み込むわけです。このように考えると、智頭鉄道を計画中だが大阪鳥取間を特急2時間程度の時間距離にしなくてはなるまい。さすれば飛躍的なものとなろう。私は更に鳥取−岡山間を1時間半程度でつなぐ超特急があれば新幹線を通じて全国ネットにリンクするので素晴らしいことになると思う。
昨年の日米構造協議で今後10年間で430兆円の公共投資をすることとなったが NTTなど旧公社の別枠を入れると450兆円。姫鳥線は早くて10年と聞く。これでは県東部は日本の最終バスにすら乗り遅れはしないかと心配する。東部は西近畿圏として勝負すべきだ。地勢学から見ても。

東京以上にもっと関西に目を向けよ

貧乏県鳥取は予算やら陳情やら情報入手のため、政界も官界も財界も東京に行かねばならない。これはよく理解できる。しかし、これほどまでに関西と深く結びついているのだ。そのかかわりをさらに大きくするのが経済発展の原則にかなう正しい方向だと思われる。人・物・金・情報で、もっともっと関西に注力して欲しいと思う。


《閑話休題》

 県東部は松江より水が豊富だし智頭杉と千代川のイメージも悪くない。大阪のキオスクで缶詰めウォーター"出雲の銘水"を見たことがある。銘水"千代の銘水"を智頭で売り出したらどおであろうか。やはりイメージの売り込で負けている。水は ビール工場にもよいしIC工場にも必要だ。もっと早く全国的に、あるいは中央に売り込んでいれば・・と思いたくなる。ビジネスには絶えざる創意工夫とバイタリティあふれるマインドが不可欠だ。わが鳥取はこのような土壌では無いらしい。超保守的?公務員の独壇場?商業蔑視?農業本位?等々を彷彿とさせる。


  世界に注目される国家的プロジェクト 

 [U]なぜ関西なのか−−−世界都市"関西"


 関西二府四県(大阪、京都、兵庫、奈良、和歌山、滋賀)の人口は二千万人。国民総生産は約48兆円。これは世界で第七位の國に相当するGNPである。経済大国"関西"なのだ。英国は第六位。関西はカナダより大きい経済力をもっている。韓国は九州程度だと記憶している。
これすなわち、県東部の隣に世界第七位の経済大国があることと同じです。東京はいくら巨大でも遠すぎる。この点は松江、米子より条件としては不悪であろう。民間経済の恩恵は関西の方が東部にとってはるかに高い。問題は時間距離である。私は長らく関西の商業都市で活動してきたためか何か経済活動マインドに物足りな さを覚えるが東部はどおやら江戸の精神風土に似ている処があるらしい。ご案内の 通り、江戸は城下町で武士の町。大阪は18世紀のころは人口約40万人。そのうち、武士は五百人程度の庶民の町で民間活力あふれる町であった。私は関西のバイタリティとビジネスマインドを学べと叫んでいるものです。なぜか。その関西はわが國はおろか今や世界的にも注目されていることはご存じだと思います。時代を先取りした大規模な国家的プロジェクトが数多く21世紀にむけて推進中です。例えば関西国際空港、京阪奈学園都市、明石大橋、大阪湾ベイエリア構想等々。このうち、ベイエリアへの投資は十億円以上のプロジェクトが百三件、事業費12兆円。これだけの大プロジェクトが密集している地域は現在、世界のどこにもないと言う。[世界都市関西]をめざして類を見ない試みがなされようとしている。関西地域全体で、事業費の固まったものが四百五十件、二十八兆五千億円ある。その波及効果は百兆円に達すると言う人もある。その主なプロジェクトを俯瞰してみよう。
                                             
 関西の主なプロジェクト概観−−日本のパイオニア関西

第一段階

その中心は何と言っても[ベイエリア]構想。そのイメージを描いてみる。

大阪湾にポッカリ浮かぶ24時間営業の"大国際空港"。明石海峡には世界最長 のつり橋"明石大橋"。その対岸の淡路島山頂にはフランスからの記念モニュメント。米国の自由の女神に代わる神殿風のモニュメントが高さ385米の威容を誇り、明石大橋を眼下に見下ろす。都市工学美からも素晴らしく、関西の、いや世界の大景観となるであろうと言われている。そして、大阪湾岸道路は淡路島から紀淡海峡(和歌山南)までリニアモーターカーが周遊する。さらには紀淡トンネルビジョンもあると聞く。内陸部はどおか。情報の発進源、学術都市"けいはんな"が京都、奈良、大阪の 県境地帯に完成しつつある。(JR福知山線も大阪市の地下を通ってリンクする)。
京都と奈良の千年をかかえる歴史的背景を踏まえて見ると、阪神はまさに[歴史の首都]と言える。これほどのメガロポリスは世界的にもまれと言われる。世界で最も注目を浴びているのは当然であろう。

 第二段階

夢ではないプロジェクトはさらに述べる。明石海峡から西の瀬戸内海です。今世紀中に瀬戸内に大橋が三つ完成すると四国とは一体化する。そうなると広島は一段と発展する。(しかし、その恩恵波及は前述のいわゆる"共同体"まででしょう。今のままでは県東部への影響は薄いと思われる。)このように、"多島海せとうち"は関西圏と一体化し世界的な大リゾート地帯に発展する。大阪から岡山、広島、そして四国沿岸に沿って鳴門大橋から淡路島を縦断し、再び明石大橋からベイエリアに入る周遊交通システムも考えられている と聞く。循環し周遊することが観光やら経済の発展に結びつく。鳥取は益々とり残されてくる。姫鳥線は当然ですが私が岡山−鳥取間に"超特急が必要だと主張するのはこのような背景があるからです。                    

夢の第三段階

第二国土軸、これはすでに新聞にも報道された。九州の長崎を起点として大分、四国の松山、徳島、そして和歌山から伊勢へ抜ける。海を越えて豊橋に至る高速 道です。すべて関西中心。素晴らしい近未来が関西に実現しようとしている。一段と経済的期待がふくらみ夢がつのる。経済は心理学だと思っている者ですが、そこには既に先陣争いが起きている。人々の心がうねっている。

県東部は士と農の混淆型                                    

 改めて"経済に県境はない"

今、文化の時代と言われている。梅原猛氏によると、文化とは「学術・芸術・技術」の三術であるという。私はこの三術の発信源として関西は国際的に浮上する必然性をハッキリと備えてきたと思う。
前述の「けいはんな学術都市」が学術の情報発信源。その情報の出入口が世界への窓口となる新関西国際空港(神戸沖にも空港計画がある)。その中間地帯は阪神を中心として産業文化に役立つ施設が開発されつつある。そして、リニアモ-ターカーが明石海峡から和歌山まで周遊・循環する。すなわち、人や物や情報が動き経済の更なる発展を誘発する。

近畿道州制"を唱える大阪府知事

これだけの活性化を進める上での問題点は、矢張り私が指摘している"経済に県 境はない"の通り行政機構のタテワリと言われている。わが國の経済は大発展したが明治以降、百年の行政地図では現実に十分な対応が出来なくなっている。岸大阪府知事は、既に"近畿圏構想"を打ち出している。道州議会制です。詳細は省略しますが、どおやらわが国は明治以来の行政地図を見直さなくては現実にそぐわなくなってきているのだと思われる。
このように関西の近未来は素晴らしい方向に進んでいる。勢い、民間企業は進むべき道を真剣に模索している。それゆえに、バイタリティさえあれば、あるいはベンチャー精神さえあればビジネスチャンスはいたるところにころがっていると言える。

起業家精神あふれる関西

ベンチャー精神と申しましたが起業マインドのことです。伝統的に関西はこれが強い。新しい産業を起こすのが得意なのです。鳥取人よ、もっと関西経済人を学べと言いたい。「お天気とアイディアは西から」の言葉通り、わが国では戦後、多くのニュービジネスが大阪圏から生まれている。
少し古い資料ですが(昭和50年代)、戦後30年の間にわが国ニュービジネス74件のうち、57件が大阪で誕生している。

主なものをピックアップします。家庭電化製品、スーパーマーケット、インスタント食品、ビジネスホテル、カラオケ、地下街、サウナ、有線放送、ワンマンバス、プレハブ住宅、サラ金・・・等々。大阪人のアイディアは中々のものです。関西で発生したアイディアが東京へ出て全国に広まってゆく傾向がハッキリしています。なぜ、そうなのか。これには歴史的背景と大いに関係があるので少し触れてみたい。−−その前に、関西とはもともと、鈴鹿、不破、愛発(あらも)の三関以西の諸国のことですが、現今では東京地方を関東と称するのに対し京阪神地方を関西という。近畿は畿内、すなわち京・大・滋・兵・奈・三重の二府五県。私はほぼ同義語で使用しています。


江戸と大阪のちがい

関西、特に大阪のアイディアは中々のもので歴史的背景があると申しましたが、江戸と大阪の違いをお話しすると理解が進むと思います。
 
江戸

まず、江戸は徳川家康がつくった。そこに住んだのは幕府の旗本武士、地方藩の江戸詰め武士及び家族と家来。要するに武士で成り立っている町。カネを儲けることを全く知らず、"カネを使うことしか知らない人"が中心の町。武士のメンツと建前の町。封建四民制、士農工商の士の町でした。家康は「商は詐なり」と言って商業を嫌った人と言われている。


大阪

一方、大阪は当時(1700年代)人口42万人のうち、武士は五百人くらいの庶民の町。庶民は工と商で生きている。名はいらない。実をとればよい。武士はカネは使うものと思っている存在。しかし、庶民にとってカネは命だから「カネは代物なり」として物と同じように大切にする。従って、江戸末期となると関西の大商人(企業家)は大名や武士に莫大なカネを貸すまでにいたる。庶民は才覚と知恵で他人より変わったことをドンドンやってゆかねば商売に負ける。生きていかれない。大阪はいわば自由経済そのもの、民間活力の町であった。そこには自由な雰囲気があり、自由な言葉がある。従って自由な発想を生む土壌が育っていたに違いない。関西は日本の自由主義経済発祥の地なのだ。多少、風俗、行儀は良くないが、これらが戦後の解放と共に一斉にニュービジネスのアイディアとして花開いたと言えないだろうか。
江戸と大阪の比較は中々に面白く、私も興味を抱き研究してきたが今回はこの程度にとどめたい。こういう土壌が経済の活性化には大切なんだと申したい。このような観点でとらえると県東部はどちらのタイプであろうか。私は士と農の混淆型と思っている。士と農は守ってさえおれば食えたのですね。


東京に向ける以上のエネルギーを関西に

[V]おわりに

用瀬・智頭・佐治のトップ鼎談を

いろんな例を引用しましたが、経済の発展に循環とか交流が欲しい。私の住む用瀬の池本町長に聞くと、流し雛の館に年間5万人の来館があると言う。これは、県東部の新規参入の観光拠点としては画期的なものであろう。初めは異様な感じも受けたが流し雛の館も今は周囲にしっとりと融和して用瀬のシンボルと化した。その経済効果の程は聞き漏らしたが事業家の池本町長には次なる計画があるようで今後を大いに期待したい。佐治は1万人か。智頭はどうだん祭りやらで6万人と聞いた。ここで申したいのは、この折角の観光客が三町村を周遊できる工夫ができないかということだ。佐治を越えた岡山県の奥津温泉は車で一時間程度である。誘引できないだろうか。町の枠、県の枠を越えて地域全体の相乗効果をあげる事を工夫しなくてはならぬ時代が到来している事を為政者も住民も銘記する要があろう。アイディアマンの大河原智頭町長にも大いに期待したい。

付加価値こそすべて−−川上から川下までを

八頭郡は木材の名産地であるが、数十年かかって育てた原木を伐採して売るだけ の素材産業にとどまっていては何とも勿体ない。下請けも育たぬし第一、利益が地元に潤わない。高度の付加価値をつける創意工夫を息長くやって欲しい。前述の通り、技術をつける、それに芸術性をつければ立派な文化となる。飛騨高山の木材と飛騨の匠を思い出して頑張って欲しいと思う。例をあげてみます。原木を育てる、製材する。住宅木材(鳥取はここまでか)。銘木、民芸特産品、合板工場、製紙用チップ工場、それらに関連する周辺あるいは物流事業等々。このように地元で完結できる企業群があればどんなに素晴らしいか。地元は雇用から末端利益まで大いに潤う。このケースは中々難しい話ですが、要は川上から川下まで一貫した事業システムが地元にほしいと思う。地元のある業種でそれを完成している企業を知っているが安定した経営をしている。その社長は寝ても醒めても仕事に工夫しているから着眼が実に良い。事業には創意工夫が何より大切だ。それとバイタリティだと思う。これとは別の観点で最近上場企業入りを果たされた日本セラミックの谷口社長のマインドには敬意を表ししたい。事業家は小成に甘んじないで欲しいものだ。ビジネスは創意工夫次第、夢を限りなく追ってほしい。

関西圏と地域ぐるみの交流にまで高めよ

以上、縷々述べたように東部は関西経済圏と深く結びついている。その延長線上 にこそ東部の繁栄があるとみる。各界のトップに一段とその認識を深めていただき指導力を発揮した貰いたい。交流を高め輪を広げる工夫をもっとしてほしい。域内調整のみでは後手に回る。その手がかりはいろいろあると思うが、財界に関して言えば、何といっても進出企業ナンバーワンの鳥取三洋電機。ここは大阪の三洋電機の製造部門で地味にやっておられるが力もあるし下請け企業は地元に多くかかわりが深い。本社は関西財界での存在も大きい。トップとの接触と交流を深めれば、既に鳥取についての理解もあることであり次なる良い知恵もアドバイスもいただけるのではないか。 もちろん、米原商工会議所会頭も昨年大阪の佐治会頭と接触を始めておられる。 外にもドンドン交流を広げ深めて頂き鳥取の存在感を関西にしっかりと認識させてほしい。こちらに目をもっと向けさせてほしい。東京以上のエネルギーを政・官・財界とも一段と関西に注いで欲しい。必ず活性化につながる良い知恵が出てくると心から信じかつ希望したい。
以上、35年ぶりに都会から帰り郷土に住んでみて感じたことをまとめてみました。何かのご参考になれば幸甚に思います。
           (徳永圀典元ふそう銀行代表取締役常務)