“住友さん”は“信愛栄誉賞” 徳永圀典 

パラダイムシフトの金融界

近年、企業社会はマニュアル化し銀行員も面白くなくなった、融資もマニュアル化で目利きが居なくなったとかの風評を聞く。バブル後、融資は保証協会付き本位、担保偏重、リスクテイクしない、だから目利きが消え新規事業を育てないとかの世評も耳に入る。あながち正論ではないがまんざら虚論でもない。これらの論評は超低金利による銀行経営モデルの危機、不良債権問題完了、景気浮揚策等と相関関係があるのであろう。風評の端緒は金融庁長官の銀行検査の抜本的変更から齎され、稚内信用金庫をモデルとした地元企業支援策的目利きを地銀に求める刺激策からと観る。  マニュアル融資はBSをどう判断しているのか知らぬがコンピューターの判定は経営者の人物、眼光紙背に徹する人間的洞察、直観をどう位置づけているのであろうか。                   

だが現実はIT進化が招いた仮想通貨が通貨として機能し始め、キャッシュレス社会夜明け前の観を呈しつつある。金融デジタル化、AI化の知能を超える未来世界は私の想像を絶する。

昔取った杵柄(きねづか)は忘れない

確かに時代は変わってしまった、私の支店管理者時代は今考えれば正に「真剣勝負の手作り管理」と申せましょう。支店管理者として赴任した直後は、優良先、大口先、懸念先等々に顧客を自前に分類、早急に触診で自己査定を固める必要がある。だから毎日午前中は自製の訪問管理表に基き顧客内容把握に自信を得るまで厄介な先程頻繁に訪問し自分の目で判定した。昼食後は企業の血である金の流れの動向判定=血液検査に注力した。即ち交換持帰り小切手・手形類の裏書連続を全て丹念に観察、企業の資金使途の妥当性の吟味、また同時に全被振り込み明細閲覧により流入資金の妥当性チェックに注力した。交換持帰り手形の裏書連続を点検し取引の筋の妥当性などなど毎日吟味していたものだ。それは実に効果的であった。これらの作業は日課だが一種の楽しみに昇華していた。攻撃的外活はその固めが終わってからだ。これらにより企業の不審な資金の流れを発見し未然に倒産前融資撤退=オペを完了した事例が4ケ店で4社は明白に記憶している。中には最後の割引手形の決済日が支店レクリエーション出発日でバス乗車直前、その会社が他行で不渡り倒産と聞き、いい気分で出発した思い出は格別懐かしい。

触診事例1.シャッターが降り営業閉店後に慣習的に貸付係窓口で手続きをする経理担当に不審を抱き資金操作の実態と不当性を発見、倒産前に融資を撤退した。事例2、登記申請授受の間隙に宅建業者と大手火災保険、司法書士の癒着を見抜き違法ローン手続きを発見したことが二ケ店。事例3、不動産登記謄本権利部から隔年に渡る自社グループ企業盥回し増収増益のカラクリを発見、倒産前に融資を撤退。     

企業の資金は血液、日々血流を丹念に洞察して与信管理をしていたものだ。BSなど、経営者の人物次第と思っていたから社長とか会計の嘘を見抜くのも密かな楽しみ。企業訪問の受け付け、社長、会計に同じ質問を工夫して間隔を隔ててやり質問の度に異なるのは信用出来ぬと判定した。地銀では融資延滞率3割を早期に5%に激減化2ケ店、会社門前に全従業員を並列させ銀行トップを迎えた企業の巧妙なBS偽計を発見し倒産前融資撤退。地元有力者は無遠慮に不良先に融資を迫る、私は毫も動じない、あんたが連帯保証したら検討すると答えると必ず撤退した。

本質と現象

本質は多彩に形を変えて現象として現れる、故に多面的に表現される現象から本質を見抜く。常時、問題意識を以て対応、これらは全て自分の心の中での洞察と検討との葛藤であった。

現代の支店与信管理はどうなっているのであろうか、コンピューター管理であろうが人間的要素はあるのだろうか。天気予想も観天望気の方が当たるように思う事もあるが。

“新”日本人

日本人は総じて劣化したと耳にする、日本人はみな、苦労の無い、いい氏のボンボンになってしまったかの感がある。それは時代劇俳優の顔が軟弱で厳しさに欠け、全く迫力が無く面白くないのと同じ。企業トップは不正を謝罪するが、誰一人「不正が発生し誠に恥ずかしい」と言わぬ不思議、管理者が不正を恥と認識しなくてどうして根本的改善が出来ようか。申し訳ございませんのお詫びでは本質的に良くならぬのは自明の理だが。

涙こぼるる“住友さん”    

“昔の銀行は良かったなあ”、今でも大阪の事業者のおばはん達の声が耳に残っている。他行にない、“住友さん”!の肌感覚の愛称は住銀への信頼と敬愛、世間から貰っていた栄誉賞であろう。懐かしい呼称“住友さん”!は諸先人の遺徳の賜物、これは私どもが働いていた時代の最高の勲章であった。           

この年になっても、昔取った杵柄(きねづか)を忘れないでいる。 徳永圀典