正月雑談「ニギハヤヒ」徳永圀典

多年に渡りニギハヤヒの固執してきた、関西在住時代、山と古代史の友・森川氏、繁益氏、そして安東氏と、純粋記紀派の森川氏と論争したことも懐かしい。

そこで、正月にあたり古代史漫遊としてまとめた。

 

1.   カムヤマトイワレヒコ、神武天皇である。初めてヤマトに入った時、既にヤマトに統治者がいた、これは「記紀」に明示されている。

それは、神武天皇と同じ天神の子・「アマツカミ」の子のニギハヤヒであった。

2.   ニギハヤヒは「天つ瑞」アマツシルシ、瑞を持っており統治者り自負があった。

3.   神武天皇は驚く。二人は同格である。戦いも互角。

4.   天つ瑞とは何か。古事記に記載はないが書記にはある。「天羽羽矢」ハメノハハヤと、歩靱、カチユキとある。矢と矢筒のことである。

5.   先にヤマトを統治していたニギハヤヒが統治権者で良さそうなのにニギハヤヒは何故か神武天皇に帰順した。記紀に説明はない。ヤマト統治者の地位を何故神武に譲ったのか。その説明はありません。

6.   一書によるとニギハヤヒはニニギの兄という。二ニギとは天孫。アマテラスの孫である。それによるとニギハヤヒの統治していた国は、体制の整った政体国家が確固として確立していた。

7.   記紀はそれを隠したかったのであろう。だから記紀はニギハヤヒの属性を隠した?記紀作者の不比等であろう?

8.   天津神 アマツカミ  ヤマト政権 征服者

国津神 クニツカミ  地方豪族  被征服者

 

9ニギハヤヒの「十種神宝」といいのがある。天孫降臨の時、アマテラスから授けられたものです。

「天璽瑞宝十種」アマツシルシミズタカラトクサ、と申します。神武天皇に譲位して後は行方が分からない。

ある研究家は、しかるへへき場所に斎き祀られている。

推測想像を含めて次のように解読している。

天璽瑞宝十種

1. おきつ鏡 嬴都鏡 八咫鏡 伊勢内宮

2. へつ鏡  辺津鏡 丹後 籠神社の神体

3. やつかの剣 八握剣 石上神宮ご神体 

    ふつのみたまのつるぎ 布都御魂剣

4.            いくたま 生玉 神器 やさかにの勾玉の一つ

5.            まかるかへしのたま 死返玉 やさかにの勾玉

6.            たるたま 足玉       やさかにま勾玉

7.            みちかへしのたま 道反玉  やさかにの勾玉

8.            おろちのひれ 蛇比礼 天叢雲剣とヤマトタケルに授与された

9.            はちのひれ 蜂比礼 天叢雲剣とヤマトタケルに授与された

10.      くさぐさのものひれ 品物比礼 

11.      天叢雲剣とヤマトタケルに授与された

 

どうですか?

これらは殆ど所在が推定できるのです。

鏡と勾玉は天皇家にあります。アメノムラクモの剣は、日本尊の尊により草薙剣となり熱田神宮にあります。

 

ニギハヤヒは神武天皇により滅ぼされ怨霊神となつた、物部氏はその一族の祭祀役であり鎮魂の為生き残った、鏡は崇神天皇に祟りをなした後、ニギハヤヒを鎮魂する為子孫が手厚く祀ったのかもしれません。

 

勾玉の四つはまとめて三種神器の勾玉となり天皇家にあると推定する方もあるのです。

 

       平成3117

 

   徳永日本学研究所 代表 徳永圀典