新年に「日本を思う」――徳永の「正月古代史漫遊」

 荻生徂徠、「学問は歴史に極まる」とは常々私がよく述べております。

皆さん、皆既日食をご存知ですね。その荻生徂徠は江戸中期の人物ですが、こんな発言をしていたのです。

「天岩戸神話」は日蝕のことだと。

実は、私は、田中代行とか、椋幹事と同様に、古代の神話、日本の神様のことをかなり長く興味を抱いて多々読んできています。

私の結論的なものは、

「日本の神様は、古事記とか日本書紀で、稀代の政治家・藤原不比等により、いろいろ脚色されているけど、日本神話は実在の人間のことだと、近年は確信に近い段階に至っております。」

皆既日食は科学的に2000年前までその軌跡を確認可能なのです。

東大の元教授で明治の方ですが、

斎藤国治氏が「古天文学の道」という論文で指摘し検証しています。

紀元247324日 午後5-7時 九州北部

  24895日 午前5-7時  大和地方

の二度、計算により「皆既日食」があったと明らかにされているのです。

実は、卑弥呼の死亡は紀元248年なのですね。

卑弥呼は「ヒメノオオカミ」、比売大神。アマテラスだという学者もいるのです。

天の磐戸の物語はこの日蝕を物語にしたのでしょう。

実は、これだけではないのです。

私は、国立天文台報 第13巻、85-99、2010年を見つけました。

こんな論文がありました。

「天の磐戸」日食候補について 谷川清隆、相馬 充

 ―――2016430日受付――

凄いものですね。英文は 

ON CANDIDATE ECLIPSES OF A SUPPOSED ECLIPSE

IN MYTH “AMANO-IWATO”

凄いでしょう。この論文の中でも、やはり指摘しているのです、引用してみましょう。

古事記の天岩戸の文章を引用して 曰く

「この記事が日蝕を記したものであるとの推測は荻生徂徠 1666-1728 によってなされたものが最初であろう、彼の「南留別志」によると、と荻生徂徠より引用しています。

即ち、古事記の中に皆既日食ならではの特徴的な文言があると。それは

「長鳴き鳥を聚めて、互いに長鳴せしむ」である。

これに関して論文のコピーを持参していいます。

長いので引用は省略しますが、古事記とか神話は実際あった事実を物語りとして、ベールをかけつつ不比等がものしたものと思っています。

天文台のこの論文は専門的なものです。

そして結論は、

天の磐戸の話は、紀元53年の日蝕が該当すると判定しているのです。

紀元11831117日の日蝕、源平盛衰記――98ページ

これによりスサノオが天国で暴れ回る 98

時代を遡るほど皆既日食の恐怖、これを勘案し日本書紀の天の磐戸神話を読む解釈すれば、有力な解釈が浮かび上がるとまで言及しています。

「磐戸籠り寸前に、スサノオを代表する勢力と、アマテラスが代表する勢力が戦っていた。戦場は、アマテラスの根拠地である。そして皆既日食により戦争が中断され、日蝕後、スサノオは諦めて自国に帰った。これが神話化したのが「天の磐戸神話」であると解釈できると現代の天文学者け谷川清隆と、相馬 充氏は開陳しているのであります。

日本の神話は、事実を寓話化したものだとの徳永の解釈は一歩前進したのであります。

処で、古事記によりますと、天地開闢の神々は三神

1. アメノミナカヌシ  天之御中主神 天の中心

2. タカミムスビノカミ 高御産巣日神 

3. カミムスビ     神産巣日神

  1. 天の中心の意味で思想性はない

  2.3.が重要、共通する観念・理念が「ムスビ」

ムスビ 産巣日 産霊 産日

  ムスヒ 万物の生成発展の力

      神道の根源的思想

      自然崇拝の本質であります。

皇居の 宮中三殿には

  天神地祇テンジンチギと天皇守護の八神を祀る

  賢所  皇霊殿  神殿

 五神を祀ってある

  神産日神  高御産日神 玉積産日神  生産日神  足産日神

ムスビの神です。 

ムスビの神々は弥生以前の神々で縄文の神々です。

余談ですが、「おにぎり」とは本来の思想ではない言い方です

「おむすび」なのであります。

お米一粒から稲穂が産れる、そのお米を何百、何千粒まとめたものが「おむすび」なのであります。

無数の命を結び合わせていると言う意味なのです。

「握る」という単なる物理的なものではない意味が本来のものであります。

処で、アマテラス大神の本命、ご存知ですか?

 オオヒルメノムチ ですね。

     大日霊貴  和製文字 ムチは尊号です。

処で、皆さんの時代は変わってしまい何らの意識は皆無かもしれませんが、

私の幼少期は

双子は畜生腹と言い嫌っていたのです。古代から日本は

 双子は 

  上流の人々は 里子に金つけて出した

  下層の人々は 濡れた布とか神で窒息死させた

西洋神には双子はあった

日本の古代で唯一例外は

 12代景行天皇の時 双子とみられる

日本書紀が記述があります。

天皇「一日にして同じ「()」にして双子生れませり」、天皇これを(あや)しみて叫んだ」とあります。大碓―オウス、小碓―コウス

 小碓こそ

 悲痛な生涯のヤマトタケルなのです。

 旧本義では天皇との記録もあります。双子かもですね。

彦 男の子のことですね、媛 女の子 これ ヒルコ  ヒルメ

 夫々 ルを取ると 彦 ヒコ 男の子

    ルを取ると 媛 比売 ヒメ 女の子。

日本書記は当時の正史であり、国のプライドが伺われます。

古事記では、ヤマト言葉を取り入れたばかりの漢字の意味を丁寧に吟味しておらず、シナお得意の「えびす蔑視感」だから

邪馬台国など、邪―よこしまな国ですね、

女王の卑弥呼など、-よこしまな国の、卑しいと蔑んでいますね。

倭などしー小さく(かが)んださま、従う者とかの意味です。つまり「余りいい意味ではない」

古事記は、それを知らぬからそのまま利用したが

日本書紀となると国威を意識しているから

それまで「倭健命」でしたが、日本書記になると

「日本武尊」と書かれていますね。

紀元712年から720年の間に「倭」から「日本」と「訓ずる」ことが正式に決定されています。

処で、伊勢神宮を創建された方ご存知ですね。

神宮参拝に熱心な岩本さんはご存知ですね。

ヤマト姫ですね、11代垂仁天皇の娘です。最初の「斎宮」です。現在の斎宮は、ご存知ですね、黒田さんです、現天皇の娘です。元々、斎宮は「国家の宗教的権威のシンボル」です。

天皇の名代なのですね。

そのヤマト姫です。

先述した、小碓の命、12代景光天皇の次男、ヤマトタケルの叔母がヤマト姫です。

ヤマトタケルは、熊襲を退治したのに東北に派遣される。その出発の時、伊勢のこの叔母を訪ねています。悲しかったのです。その時、伊勢神宮の宝もの、「天叢雲剣」――スサノオが八岐大蛇から得たーーを貰って出発します。これは、関東で火責めにあった時、草むらを払い、草薙剣となり熱田神宮に祀られています。

ヤマトタケルは常陸の国風土記で天皇とされていたのも頷けるものがあります。

日本の神話は本当の話なのですね。

お正月の徳永の

「日本古代史漫遊」であります。

         平成3117

   徳永日本学研究所 代表 徳永圀典