峠と岬 徳永圀典
峠
山関係の講演では現役登山家を自称、峠に心惹かれる話をすることがある。峠は険しい山脈や、やや低い山地の鞍部を越える通過点である。峠という呼称は鎌倉時代以降の和製漢字らしい。トウゲはヤマト言葉で神仏に供え物を捧げる手向けに語源がある。
峠に立つという言葉がある。それは山でも人生でも組織の中でも、ほぼ頂点を極めたかなとの響きがある。山頂も山麓も見渡せるし自他共にほぼこの辺りかなとの思いもあろう。己の現在の姿が客観的に見える場所でもあるからだろう。
確かに稜線に近く、山頂も近いなと思わせて気分的に何かホットするのが峠である。どんな山でも峠に達すると必ずホットする。あの安らぎのある、優しさというのか、峠に立った時の不思議な感情はなんであろう、登りつめたという安堵の自覚感なのであろうか。
日本最高度の峠は飛騨乗越海抜3020米、次は立山の別山乗越2750米、真砂乗越2750米、雄山の一の越峠2698米。峠を素通りし何の感情もなさそうに過ぎ去る人々、ワイワイガヤガヤとお茶やお菓子を食べる場所と思う人もあろう。低山の峠に立つと、その昔、海から魚や塩を運んで里に下る汗臭い男衆がそこらの朽木に腰掛けて一休みしたであろうかとか、里からは老婆が野菜を背に海浜に魚を求めて一休みしていたかも知れないなどと思う。人間臭ぷんぷんの匂いを峠に感じる。やはり日本人の感性から生まれた字と言える。
峠に立つと向こう側には画然とした別の世界が広がっている場合が高山ほど多い。峠は自然的には地形、気候、植生など顕著に異なる。低山の峠は身近な人間臭が濃く、塩の道、魚の道,トトヤ道、人と物が交流する峠道である。それ故であろう、石仏とか道祖神が風雨に歳月に洗われて佇むのは低い峠に多い。
大菩薩峠1897米、名前もいいが絶好の富士山展望場所だ。南アルプスの夜叉神峠1770米、響きがいい名前だ、昔の人は命名がうまい。ここの下の川はよく洪水が出てその悪い神の怒りを鎮めるため峠に夜叉神を祭ったという。安曇野は古の道・島々谷から徳本峠2140米、この峠に初めて立った瞬間、眼前の黒ずんだ穂高連峰に圧倒された場所。奈良生駒山の暗峠455米、何の変哲もない狭い石畳、飛鳥人の通ったことに思いをはせてイメージが膨らむ、涼しい風がよく通る。
世界的にはアフガンとパキスタンの国境にあるカイバル峠1070米はアーリア民族のインドへの侵入路だし、アレキサンダー大王が超えた峠であり仏教北伝の経路でもある。感慨深いヨーロッパアルプスのブレンナー峠1375米はゲーテ、モーツアルト、チャイコフスキー等がイタリアに行く時に越えた。欧州の峠は人文的で、二ツの文化圏が合い半ばし、争い或いは調和する場所の印象を持つ。
岬
岬、海とか湖中に突出した陸地の端だ。私は宿には海の見える場所をよく選ぶ。洋々たる大海原を見ていると大きな気持ちとなり空想とロマンが湧く。そして潮騒は母なる地球の子守唄のような思いがする。静謐なる深夜ふと目覚めて聞く、寄せては返す波音に母親のような地球の息吹きを感じ、小さい小さい己れが抱かれておるのを実感する。そして優しく穏やかに潮騒は私を抱き再び深い眠りへと誘う。
岬といえば足摺岬の断崖絶壁上の露天風呂で遥か南方の南十字星?と勝手に決めて眺めた夜は忘じ難い。
まみなみの海の果てしに大星が
赤くまばたく語るがごとく
室戸岬山頂の風力発電と海岸沿いの家屋より高い塀は強風の中の暮らしを想像するに余りある。九州の都井岬の野生馬は珍しい。大隈半島は佐多岬の雨、愛媛佐田岬の瀬戸内海と宇和海の明るさ、デコポンのおいしさ、列島の地形は飽きることはない。
青森県西端、日本海に突き出た艫作崎、奇岩怪石乱立の雄大な景観は小さな感情を打ち砕く思い。伊豆は川奈崎ゴルフの強烈な思い出は明るい海と富士山の麗姿がもたらした。奥石廊崎も潮岬も、今、自分は半島の最先端に居るという思いが気分をハイにさせるのであろう。積丹岬の海の美しさ、東北とか北海道の岬の先端は更に深い感傷を生む。
岬も峠も情感が高く涌くから印象深いのかもしれない。経ヶ崎、珠洲崎など日本海の岬は海の色が濃く、時に灰色で心も沈む。太平洋岸の海は明るく心もウキウキしてくる。相模湾のコバルトブルー、房総半島の洲崎、知多の伊良子岬、御前崎、西伊豆波勝崎、真鶴岬、室戸、足摺など記憶が深い。志摩の大王崎は俗化して往年の良さは消えたが、少し東の安乗崎の灯台は心の和らぐ場所だ。九州は開聞岳山麓の長崎鼻は東シナ海を見晴らせて更に明るい、開聞岳山頂からの眼下の眺めは申し分なし。
海の色は空の色、空の色は海の色
日本全国の海岸線を妻とほぼ一周したが、日本は美しい!