国家に頼らず自ら行動を 曽野綾子氏 

私たち日本人は、戦後の復興と高度経済成長を経て有頂天になっていた。今回の東日本大震災によって、甘やかされた生活がこれからも続くという夢が打ち砕かれた。 

私は長く海外援助活動にかかわり、アフリカなどへ度々出かけるので、日本は夢のような国だと思っていた。

電気や水道が絶え間なく供給され、交通や通信がいつでも使える。多くの国に比べれば汚職や権力の乱用も無いに等しい。

然し、今回、国の在り方の基本が崩れた

欲しい」と思えば何でも手に入る社会は異常だ 

私は、電気も水も止まるものだと思っているから、普段から、自宅のビンに水を取り置き、練炭、炭、火鉢も床下に保管している。カセットコンロも常備している。

頻繁に停電するアフリカでは、いつも手元のバッグに懐中電灯と水、ビスケットを用意している。 

政治家は「安心して暮らせる社会を作る」と言うが、そんなものはあり得ない。 

老年世代までが、政治家のそんな言葉を信じていた。

政治家も有権者も、自分の頭で考えることをしなくなっている

震災後、政府の不手際や東京電力の失敗はあったかもしれない。然し、犯人探しをしていても仕方ないことだ。

現在のシステムは複雑で、総合的に見ないと日本は復興に向って歩き出せない。

そうした時代に生きる私たちは、国家やシステムを疑い、それらに余り依存しないことだ。 

日本には優秀な技術者や官僚がいるから、被災したライフラインも間もなく復旧されるだろう。 

私もシステムのお世話になっているが、最後は自分で自分を助けることが出来なければ、人間としての義務に欠けると考えている 

国家が全て何とかしてくれると考えるのは違う。

めいめいが自分で考え、行動するクセを身につけることだ。

それは他人の痛みを部分的に負うことでもある。

「痛い」と感じるくらい自らお金を出すことだ。 

出さない人がいてもいい。だが、そうした人は人権だ、権利だと言わないことだ 

東北の人たちが、礼儀正しく、苦しさの中でも微笑をたたえていられるのは、雪深い冬を生き、過去に津波や貧しさを体験し、日常で耐えることや譲ることを知っているからだろう。以前は集団の出稼ぎもあった。

苦しみに耐えてきた人たち、耐えることが出来る人は美しい 

人間は本来、苦しみに耐えるように出来ている。

処が、今の子供たちは欲しいと思うものは何でも与えられて育った。子供にも耐える体験をさせることが大切だ。 

18歳になった若者に1年間、サバイバルと奉仕を体験させるべきだと私は主張してきた。

携帯電話から離れ、大部屋で暮らし、他人と自分を助けるのに役立つ力を持てるよう、心身を鍛えることは必要だと思う。 

アウグスティヌスは「すべて存在するものは善いものである」と言う。この世にあるもの、起こることには意味がある、ということだ。 

今回の事態から何を学ぶか。

一人一人が考えることだ。