日本人は情緒的すぎる!!

      --本質と現象と知見--

 

先ず、具体例を挙げて考察する。

1.  細川と小泉元総理

1.   原子力発電所は、無いほうが善い事は、全ての日本人、否、人間ならそう思っていると申してよかろう。

2.   そこで、原子力発電を無くする為には代替えエネルギーを、現在規模で、現在価格で確保することを提案しなくては非現実的である。これは、土井たか子の「平和、平和」と叫ぶのと同じ原理である。平和のお題目だけでは平和は到来しない。同様に原子力発電反対のお題目だけではどうにもならぬ、また東京都民も現実的にものを考えたからこの元総理は東京都民から無視されたのである。

3.   代替え案を欠いて反対を叫ぶとは、余りに無責任である。現実世界は、それでは成り立たないのは自明の理である。

4.   元総理達二人は、だから現実的な世界に生きていない「老齢化し過ぎた存在」である。知見も持ち合わせておらない。だから、あえ無くも現実世界から完全に消えうせたのである。二人はとっとと消えた方が宜しい。

5.   同時に、大方の都民は、現実的に考えていると確信してよいのである。

6.   このように見て来ると、日本のメディアが、いかに非現実的な、非論理的な存在であるかが明白になってくる。日本のメディアは、問題の本質を衝くことができない。知見の欠けた存在で、日本の社会にとって実に不毛の存在であるかがこれまた結論づけられた。

7.   原子力は、やはり、世界最高の知見を真剣に活用するのが現実的な生き方であろう。知見に基礎を置いたものを信用するしかないではないか。原子力に止まらず、あるゆるものに知見に基礎を置いた政策、処方箋に依拠すべきと思う。

 

2.   物事には本質と現象が存在する

あらゆる事象には、本質が存在する。だが、本質は、実に多面的に、多様に、現象として現れるから、多くの人間は、現象面の表面的なもので判断してしまう。

現象というバブルに惑わされるのである。

現代のマスメディアのように現象面を追っかけるだけの存在に堕してしまう。

本質を洞察するには、知見と、見識と、歴史と、人間の営為を多面的に観察した人のみ得られるのだ。

だから、共産主義も社会主義も、言うならば、「その時の風」に過ぎないのに騙されてしまう。共産主義など一種の人間実験で、ロシア国民は70年の惨憺たる悲劇であった。

日本社会党などの社会主義も、とっくの前に崩壊している。社会主義も共産主義も「歴史の時の風」であったのだ。

これらイデオロギーでは人間は食ってゆけぬと言うことなのである。

その点、日本が強いのは、イデオロギーが一時的なものと肌感覚で分かっているのだ。日本は縄文時代以降、大自然国家として繁栄成長した実績があるからであろう。

3            第二次世界大戦の負けた国・日本が

 広く世界を俯瞰して見るがいい。敗戦してどん底の焼け野原から立ち上がった日本、

だが、

日本--世界一の外貨債権国、世界二位の外貨準備。

   清潔、技術の高い生活大国。再び安倍内閣で日本は「坂の上の雲」を見ようとしてオリンピックに向けて驀進中。

 

戦勝国は

アメリカ--大債務国として、疲弊を始めつつあり弱体化中。軍事費の大幅削減、ドル地位の斜陽。200年の新興国アメリカ、余り賢くない。

英国----*--大英帝国は昔話、一部権威を持つ小国。

オランダ-植民地大帝国のオランダは今やスモールな国。

フランス--見識を持つが経済的にはドイツの弟。

中国----大地は汚れ、空気は大汚染、河川は汚泥。国民  

   は、嘘つき、泥棒、暴動激化、道徳欠如、少し 

   も、大国としての矜持も無い品性下劣の国。ウソ大国。

 

韓国、--戦勝国ではないが、日本の援助で二度も三度も助けられておりながら、国家として安定せず難しい局面を迎えつつある。恩を仇で返す習癖の国民ばかりだ。正に、田舎者のもの知らず。

 

シナと韓国の独りよがりには呆れ果てる、彼らは世界の田舎者である。儒教の礼の国とは程遠い国民性である。

 

             平成2641

 

    徳永日本学研究所 代表 徳永圀典