チャイナの本質を探究  その二

初めに

今年は、習近平がウソの歴史を世界に喧伝する「対日歴史戦争」の年、日本人は真実の歴史を学び、国民一人一人が自信を以て彼らに対抗しなくてはならぬ。鳥取木鶏会では、今月より各月して講話する。     平成27年3月2日    徳永圀典  

1日 29.
官吏はお金を生む金の卵

「官」は皇帝が任命した人、「吏」は官が自分で雇う人である。官は科挙をパスした人しかなれぬ。科挙は至難な試験、合格すれば「金づる」だから商人が群がった。税金徴収の権を持つ官の県知事は、「お金」中心の人間関係となりシナ文化は即お金次第という文化として現在まで定着しているのである。シナはお金次第なのである。

2日 30.科挙に就いて

皇帝の官になる為の試験が科挙。科挙は先ず地方で、県試、府試、院試の三つの試験を受けて国立学校入学資格を取得し学生となる。その後、三年に一度の郷試に合格、その翌年には北京の貢院で実施される会試に合格した後、皇帝臨席の下で受ける殿試により順位が決まる。科挙は、漢字、漢文というシナ唯一のコミュニケーション手段に精通しているかどうかを見る試験。全国から秀才の集まる狭き門。10年単位の猛勉強を要すると言われ一生を棒に振る人間もいた。

3日

31.村や町は要塞の城壁の中にある

地主階級は開拓者で宗廟を持つ、自警団も持ち、清国時代に地方軍となっていた。町全体は要塞のような城壁に囲まれ、日中は外に出て畑を耕し夕方に城壁の中に帰るのである。日本の村の開放性と大違い。シナは同族の血がつながっている人だけ信用する。シナ宗族のネットワークだが毛沢東が文化大革命で壊してしまった。
4日 32.
日本は一衣帯水でもなく同文同種でもない
大変な間違った認識をしている人が多い。儒教は本質的には葬式の儀礼であり、宗教でも倫理でもない。科挙の制度は隋に始まり、清朝末期まで続いた間に、儒教の経典の四書五経が出題となり、科挙を受けるには四書五経を学ばねばならなくなった。日本人は、ここを勘違いして儒教の礼節がシナ人に在ると思ったから大きな判断ミスをしてきたのである。論語は科挙の試験問題であった。古典を引用して身についていない格好いいことだけのシナ人を育てたのだ。声高に論じさえすればいいシナ人なのだあり日本のように論語の精神を身につけていないのが真実であろう。
5日

閑話休題

33. 
韓国の儒教ファンタジーの悲劇

韓国は歴史上、政治的に責任ある立場に立ったことがない。だから現実的でない、それは儒教の教理を教条的にそのまま受け入れたからである。韓国は現実との乖離を聊かも気にしない原因である。だから、ありもしない慰安婦とか植民地支配などを提起すれば外交上、日本より優位に立てると信じている。ファンタジーの領域にいるのだ。中国は超現実的で、言った方が勝ちと信じている、然し、言ったことも信じておらないのも中国人である。そして、言った事と、行動とははっきり峻別している、実際は実際であり、言う事は言うことと思っている、建前と本音が違うのである。韓国とは違い大人である。

6日 34.
中国人にとり正直は大事なことではない
元々四書五経に書いてあることしか学んでいないから言うことだけは立派なことしか言わない。中国人にとり文章とは誰からも文句の言えないようにお題目的に書くべきものと思っている。打ち明けた正直な話はしない。建前だけの話しかしない。現実と乖離が大きい。だから、政治家とかの話をまともに取る人はいないのだ。今度は、こう来たか程度に思っておればいいのだ。日本のメディアも政治家も国民も中国人の言うことは言わせておけばいいのだ。正に指桑罵楷(しそうばかい)の国なのである。(桑の木を指して本当は楷の木を罵倒)
7日 35.
日本人の論語
日本人は論語の良いとこだけ取れ入れている。論語の四割しか取り入れていない。日本の風土や習慣に合うものしか入れていない。論語が庶民の規範になったのは江戸時代からである。徳川幕府が治世の学として儒教を採用したからである。武士階級だけは鎌倉時代から論語を学んでいる。
8日 36          
日本が取り入れていない論語とは

孔子が論語で述べている「孝」である。もし父親が泥棒だった時、息子はどうすべきか。孔子は父親を守るのが正しい官憲に訴えるのは「不忠」だとした。だから、シナ人は、家族の為、宗族の為、国の為ならウソをつくことは良いとなるのだ。どんなウソでも身内の為ならいいとなる。だからシナ人はウソをつくことが悪いとは決して思っていない。ここが日本人と決定的に違う。

9日 37.
三国志に関して
日本人は、義理人情物語として三国志を愛読する。これは日本人的感性で忠義や恩に報いると思っている。専門家の話によると、シナは義理人情の国と思ったら大間違いだという。極めてドライな感情しか持ち合わせていないのがシナ人であると。毛沢東などは恩ある人を切り捨ててトップになった。自分が生き残る為に、その時、その時だけの事がシナ人の本性であり日本人のように恩を一生かけないと言う。そうしないとシナでは生き延びられないのだ。
10日 38
シナ大陸の特性
歴史を見ると、シナは変転極まりない。その度に人口が激減することを繰り返している。人間が生きると言うことだけでも、とても厳しい世界だということを理解しておかないとシナ大陸のことは分からない。
11日 39.
黄巾の乱と紙の発明

シナ2千年間。間歇的に大反乱が発生している。最初は西暦184年の黄巾の乱、国が分裂して相争う「三国志」物語はこれから始まった。この前に「紙」が発明された。紙に書かれた檄文を見て、きちんと情報が伝わらないと広い大陸での一斉同時蜂起や反乱は不可能。秦の始皇帝の死後は「陳勝呉広の乱」、万里の長城を作った労働者の暴動で史上初の農民反乱と毛沢東が持ち上げた。

12日 40.
義兄弟の国・シナ
国が信用できないから血族の一貫として義兄弟による団結も盛んとなった。道教も仏教も下層階級の地下組織の秘密結社が広まった。シャドーバンキングなどもその現代版であろう。これは互助組織であるが、革命組織として発展した。それを共産党は知っているからいらついて反発するのである。周りはみんな敵だからでもある。
13日 41.
平和な時代の少ないシナ
歴史を見れば、可哀想なくらい平和な時代が少ないシナである。反乱や異民族の侵入に苛まれている。国も政府も守ってくれぬから宗族で団結してきた。宗族以外はみな敵である。であるからどの王朝でも、どの時代でもシナ人は日本人と同様な国・中国があるとは思っていない。シナなら、誰とどのようなネットワークで生き延びるかを懸命に考えている。みな夫々の階層でそれを持っている。シナ史上、最も特権階級は科挙官僚であった。殿試に合格すれば皇帝の直弟子、科挙官僚の一族は深く結んでおり利権も共有した。現在の共産党高級幹部の一族もそうであり、幾ら摘発してもシナ人のDMAであり断絶不能であろう。
14日 42
.
(ぱん)に就いて

(ぱん)とはいい意味に使われないが秘密結社である。シナ人は基本的には、夫々の互助組織を頼って生きている。現在のシナは、文化大革命以来、古くからの互助扶助関係とか上下関係を分断された。紅衛兵を使い親を訴えさせたり仲間を告発させた。共産党国家が宗族や家族関係を相互不信の関係にさせた。最近はそれらに変る新しい互助組織の動きがあるらしいがシナ人は直ぐ裏切るから中々巧くいかないらしい。だから(ぱん)とか秘密結社と言っても固定的でない。

15日 43.
義和団の乱

明治22年、宗教的秘密結社の義和団が、「扶清滅洋(清国を助け西洋を滅ぼす)」のスローガンを掲げ、山東省で蜂起した。義和団とは義和拳という武術をマスターすれば鉄砲も刀も怖くないという迷信を持った人々の集団で、暴動は清国全体に広まった。

16日 8ヶ国の人たちが皆殺しされる危険 清国の実権を握っていた西大后は義和団の味方となり、清国軍を派遣して北京の公使館や天津の租界を攻撃させた。そして清国は北京に公使館を置く列国に宣戦布告した。これにより北京では公使館のある区域が義和団に包囲され、そこにいた8ヶ国の人たちが皆殺しされる危険が迫った
17日 8ヶ国は団結して連合軍 そこで8ヶ国は団結して連合軍を作り、義和団の大軍に合同で立ち向かった。
日本は25人の軍人しかいなかったが柴五郎中佐が率いて抜群の働きをした。他の国の兵士は怖がってなかなか戦わなかった。日本は各国から地理的に最も近いという理由で本国から応援部隊を出すよう要請されたが、野心があると思われるのを避けて応じなかった。
18日 再三イギリスなどから要請されて出兵した日本 然し、再三イギリスなどから要請され、福島安正少将が混成三個大隊を率いて天津に来た。日本軍の活躍で連合軍は天津を占領することができた。
19日 北京を占領した連合軍 その後、連合軍は日本軍を主力として北京に進軍814日に北京の公使館を包囲していた義和団と清国兵を駆逐し、公使館区域の外交官や居留民を救出した。その後、連合軍は国ごとに分かれて北京を占領した。
20日 つけこんで
全満州を占領したロシア
ロシアは義和団の乱がシナから満州にまで及んだときに増派し遂には全満州を占領してしまった。この乱につけ込んでロシアは満州をロシア領にしてしまったのだ。然し、清国はロシアを満州から追い払う努力は一切しなかった(満州からロシアの勢力を追い払ったのはその後の日露戦争に勝利した日本)。
21日 まともなイギリス兵ですら 当時の戦争では軍隊は市民から略奪、強姦するのが当たり前で、北京や上海でも列国による略奪が頻発していた。白人で一番まともなイギリス兵ですら支那人から貴重品をかっぱらっていた。
22日 日本の占領地域だけは軍規厳正

しかし日本軍だけはそういったことにいっさい手を染めなかった。日本の占領地域だけは軍規厳正で、治安維持が特に優れていた。

23日 ロシアの占領地区ではロシア兵が虐殺や放火、強姦をやりまくり、日本の占領地区に逃げ出す支那人が大勢いた。北京とは遠く離れた所でもロシアは大虐殺を行なっていた。
24日 44.
中国人が分からない原因
中国人でも一人では何もやらない。生き延びる為に抵抗手段として集団を作る、秘密結社も然り、だが目的を達成したらシナ人はそこでバラける。日本人にはここが分からない。日本人なら互いに苦労して目的達成したら更に団結するのだが、シナ人は、新しい目的の為に何が必要かと、その都度、考えて人間関係を組み替えるという。邪魔な人は排除するのだ。悪くないと生きていけないのだ。人が良いとは隙があるのと同じ。いつ寝返られるか常に考えているのだ。近年、倒産寸前の会社経営者の夜逃げラッシュが起きている。手が必要な時だけ一緒にいて、必要が無くなるから逃げる、有り金と共に。
25日 45.
中国人とは必ずカネでもめる
例外なくシナ人がみなそうだと言う話である。シナ人とは必ずカネで揉めて決別してしまうと言うことだ。既得権が当然となるから気を緩めてはならない。夫婦でも然り、ある日会社の帰途にスーパーで買い物を頼んだら最早やそれは当然となる。仕事でも慣れて効率が上がるとこんなによくしているのに変らぬペイだとなり、気に入らず辞めてしまう。最初にカネを渡しすぎると良くない、当然のこととなる。全てカネ、カネ、カネである。現世はカネ次第のシナ人なのだ。
26日

46
シナ人との結婚は利害関係で決定

結論は、シナ人は情緒だけで人間関係は保てない、結婚しないと言うこと。情緒だけではシナ大陸では生きていかれない。自分たち同じレベルの家族同士で姻戚関係を結びさらに勢力を伸ばしたり利益を分け合えるようにすると言う打算が常に存在する。貧乏人と結婚するなど考えられないのがシナ人である。日本人のような純愛は有りえない。
27日 47.
同胞意識など皆無のシナ人
日本人は本音で語り合えることに喜びを感じ親友となる。シナ人は話し言葉が分かる人となる。それは広大な土地で話し言葉が同一でなく多くあるから必然的にこうなる。本音をシナ人に言うと裏に何かあると取られる。自分の利益のためにそう言うと取るのだ。だから我々シナ人という意識が薄いのだ。日本人は同胞意識が強いがそれはシナ人には全く該当せぬことを銘記しておすねばならぬ。誠意を示すなどはシナ人相手にしても裏をかかけるだけだ。
28日 48
妻も敵のシナ人
妻の姓は夫とは別である。別の宗族の者だから死ぬまで同族にならないからだ。シナは基本的には町と町の間には異邦人の住む地域である。毛沢東の親は話し言葉が通じなかった話がある。シナは男系だから男の子が生まれなかったら妻は実家に帰された。死ぬまで同族でないから別姓なのだ。女性の地位が低いので、自分を守る為に、生きていくだけの資産や何かの時の取引材料を持つ、だから夫も妻に財産を掠め取られないようにしなくてはならぬ。日本の夫婦関係とは全く異なる、家にいても裸になれぬ、妻を信用しない。
29日 48.
自分を全て曝け出した人は信用されない。
日本と大違いである。シナは広大で一生安心して暮らす人を見つけるのは至難であった。その都度、人間関係の距離を測りながら生きている。そのように日本人とシナ人の最も違うことは「日本人は全て曝け出して相手の信用を得ようとする。互いに信用すれば「刎頚(ふんけい)の友」=一生の友達、になる。シナでは相手が全てさらけ出せばもう使い道が無いとなる。価値が無くなるのだ。こいつはこれだけの人間かとなるのだ。取引材料を失った人間となり魅力が無くなり軽く見られる。つまりシナ人は、いざと言う時に、利用できる地位とかカネとか、隠れたコネを持っているとか、実力がありそうだと言う相手に対してだけ親しく交際するのだ。シナとはそういう文化の民族なのである。
30日 49
シナ人は徹底した個人主義だ

これは発展の足かせになる。シナ人は集団になると巧くいかない。協調したものが欠けた社会だから近代化が遅れたし、これからも極端な個人主義により瞬時に社会破綻を迎える可能性が高いであろう。文化的にも日本の方が実に高く豊かである。シナにも韓国にもオリジナル技術は無い、模倣である。先端技術で戦後13名のノーベル科学賞受賞を見ても、日本ほどいい国はないと思われる。戦後の日本は今や文明度の高い世界一の豊かな国となったのは協調性の高い民族だったからである。