佐藤一斎「(げん)志後録(しこうろく)」その十二 岫雲斎補注  

平成24年43月1日から4月30日  

1日 52. 
心は胸の内外に在る

人は須らく心の腔子(こうし)(うち)に在るを認むべく、又須らく心の腔子の外に在るを認むべし。 

岫雲斎
人間の心は、胸の内にも外にも在ることを認めなくてはなるまい。

2日 53.   
魚貝は水の存在を知らず
(りん)(かい)の族は水を以て虚と為して、水の実たるを知らず。 

岫雲斎
魚貝の類は、水の存在に気づいていない。

3日 54.          

存在するものは皆滅す
火は滅し、水は()れ、人は死す。
(せき)なり。
 

岫雲斎
火も何れは消える、水は何れ乾いて無くなる。人間も必ず死ぬる。これは大自然の創造進化化育の過程である。

4日 55. 

日々の心得

志気(しき)は鋭からんことを欲し、(そう)()(ただ)しからんことを欲し、(ひん)(ぼう)は高からんことを欲し、識量は(ひろ)からんことを欲し、造詣は深からんことを欲し、見解は実ならんことを欲す。 

岫雲斎
心の勢いは鋭く、行いは端生であるべく、品性や人望は高いのがよい。見識や度量は広くありたい。学問や技芸の造詣は深いものでありたい。物の見方や理解は(じつ)あるものでありたい。

5日 56
余は無芸無能

余は()と無芸無能なり。然れども人の芸能有るを(いと)わず。之を諦観(たいかん)する(ごと)に、但だ其の理の(えき)()に非ざる無きを見る。 

岫雲斎
自分は無芸無能だが人の芸能あるを厭うものではない。芸能を鑑賞する時、芸能の理が易の理、即ち天地自然の理に適っているかいないのか見るのである。

6日 57.         

身体と易理 その一

人の一身は上下を以て陰陽を(わか)てば、(じょう)体を陽と為し、下体(かたい)を陰と為す。上陽を下体に降し、下陰を上体に(のぼ)せば、則ち上は虚にして下は実、(かん)して地天(ちてん)(たい)を成す。又前後を以て陰陽を分てば、前面を陽と為し、後背(こうはい)を陰と為す。前陽を後背に収め、後陰を前面に移せば、則ち前は虚にして後は実、又函して地天泰を成す。 

岫雲斎
地天泰は易の卦である。泰は良き卦で、陰の気が降り、陽の気が昇る形、天地和合して万物を生み育て、上下和合して心の通じ合う卦である。更に申せば、内面に活発な健康力あるも外は控え目、才能に富み、満々たる迫力があるも外に表さない、穏やかに保つ。地天泰は、上下和合、泰平の卦である。

7日 58.         

身体と易理 その二

(めん)(はい)は又各々三段に分つ。(けん)の三陽位、前に在り。初を(しん)と為し、中を(かん)と為し、上を(ごん)と為す。(こん)の三陰位、後に在り。初を(そん)と為し、中を()と為し、上を()と為す。其の陽の顔面に在る者は、之を背上(はいじょう)身柱(しんちゅう)に収め、陰と相代れば、則ち前兌(ぜんだ)後艮(こうごん)を成して、(めん)(ひやや)かに(はい)(だん)なり。胸陽(きょうよう)之を背中(はいちゅう)・脊髄に収めて、陰と相代れば、即ち前離・後坎(こうかん)を成して、胸は虚にして背は実なり。腹陽(ふくよう)之を背下(はいか)腰上(ようじょう)に収めて、陰と相代れば、則ち前巽(ぜんそん)後震(こうしん)を成して、腹は柔かにして気を蓄え、腰は(こわ)くして精を(あつ)む。前の三陽皆後(みなうしろ)の三陰と相代れば、則ち(かん)にして前坤(ぜんこん)(こう)(けん)を成し、心神(しんしん)は泰然として呼吸は天地と通ず。余は(こん)(はい)の工夫より之を得たり。

岫雲斎


身体を乾坤の卦から説き起こし、身体と天地と相通ずる有様を易の各種卦の解釈から説明している。

8日 59.          

順境にいて逆境を忘るな

進歩中に退歩を忘れず。故に(つまづ)かず、臨の?(ちゅう)に曰く、「(おおい)(とお)(ただしき)(よろ)し。八月に至りて凶有り」とは是れなり。 

岫雲斎
人は進む時に退くことを忘れなければ蹉跌しないものだ。臨の卦に八月は陽気が盛大で太陽の月であるが、その中に自ずから陰の卦を生ずる。だから進むに急では退くことを忘れ失敗することとなり凶を迎えるのである。

9日 60.  

誠と敬三則

その一

天に(さきだ)ちて天(たが)わざるは、(かく)(ぜん)として(たい)(こう)なり。未発の(ちゅう)なり、(せい)なり。天に後れて天の時を奉ずるは、物来たりて順応するなり、己発(いはつ)の和なり、敬なり。凡そ事無きの時は、当に先天の本体を存すべく、事有るの時は、当に後天の工夫を()くべし。先天、後天、其の理を(もと)むれば則ち二に非ず。学者の宜しく思を致すべき所なり。 

岫雲斎
天運が巡り来り、天理に違わざるは浩然の気であり、天の本質そのものであり、(ちゅう)であり誠である。天運のままにものを為し天と順応して行くのは当に和であり敬である。無事の時は、天の本質である誠を以て事に当り、有事には、誠と敬もて対処すべし、その理は同じだからである。学者はこれに思いを致さなくてはならない。

10日 61         

事を処する法二則
その一

人情、事変、或は(しん)(かん)()して之を処すれば、(かえ)って失当(しっとう)の者有り。大抵軽看(けいかん)して区処すれば、肯綮(こうけい)(あた)る者少からず。 

岫雲斎
人間の間に発生するもめ事や、社会の事変は深く考え過ぎて対処しようとすると却って失敗することがある。大抵の場合、軽く受け止めてあっさり処分すれば急所を突いていることが少なくない。

11日 62

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事を処する法二則
その二
将に事を処せんとせば、当に先ず(ほぼ)其の大体如何を視て、而る後漸々(ぜんぜん)に以て精密の処に至るべくんば可なり。 

岫雲斎
当に然り。経験的に岫雲斎もそうしてきた。あるゆる事象・事件は一部門にいても全体像・大局観を持つ訓練をして全体の方向性を視て一部門の処理をしなくてはならぬ。

12日 63

人ありて人なし
物其の所を得るを(せい)と為し、物其の所を失うを(すい)と為す。

天下人有りて人無く、財有りて財無し。

是れを(すい)()と謂う。
 
岫雲斎
物が適所を得れば盛となる。その適所を失えば衰滅する。多くの有能な人材が天下にいても、その所を得なくては人材は無いのと同じである。金は有っても適正な使用無ければ金が無いのと同じである。このような時代を衰えた世と云う。
13日 64.
晦に居る者は顕を見る

(かい)()る者は能く顕を見、顕に()る者は晦を見ず。 

岫雲斎
暗い場所からは明るい場所は良く見える。明るい所からは暗い所は能く見えない。(暗い場所を部下、明るい所を上司としたら分かり易い。)

14日 65

過ぎれば害がある
古人謂う、「天下の事過ぐれば則ち害有り」と。雨沢(うたく)()からざるに非ざるなり。多きに過ぐれば則ち?(ろう)す。其の害たるや(かん)と同じ。今善を為すに()(あっ)て、心に任せて自ら是とする者は、皆雨沢の?なり。余も亦往々(かくのごと)き人を見る。然れども他人に非ざるなり。自ら(いまし)めざる可からず。 

岫雲斎
古人は言った、「天下のことは度が過ぎると害がある」と。雨も多すぎると害があり旱魃と同じことだ。善を成したいとする意思があって自分の心のままに気ままにして得意になったら、雨の多すぎて大水になるようなものとなろう。このような人をしばしば見ているが、これは他人事ではなく、深く自分も戒めなければならない。

15日

66. 

時には自然に親しめ

終年(しゅうねん)()城内(じょうない)に奔走すれば、自ら天地の大たるを知らず。時に川海に(うか)ぶ可く、時に邱壑(きゅうがく)に登る可く、時に蒼奔(そうぼう)の野に行く可し。此れも亦心学なり。 

岫雲斎
年がら年中、都会の中で東奔西走していては、大自然の大なることが分らない。時には川や海で遊覧したり、時には登山して英気を養う、或は青々としたて果てしない原野に出るがよい。これは、心を修める学問にもなるのでもある。

16日 67.          

田園造化急なり

城市紛閙(じょうしふんとう)(ちまた)(きょく)(せき)すれば、春秋の偉観を知らず。田園陞D(かんこう)の地に逍遥すれば、実に化工の窮り無きを見る。()(かっ)て句有りて曰く「城市春秋浅く、田園造化忙し」と。自ら謂う「人を(まん)する語に非ず」と。 

岫雲斎
都会のごみごみした所で、あくせく暮らしているのでは四季の偉大な景観は分らない。田園の静かで広大な場所を逍遥してこそ大自然の造化の妙の窮まりないことが分か。「市井にあっては春秋の眺めも人に感動を与えないが田園では造化の神が霊妙なる技を存分に振るっておられる」と作詞したことがある。 

17日 68
大言者は小量

好みて大言(たいげん)を為す者有り。
其の人必ず小量なり。好みて壮語を為す者有り。
其の人必ず怯だ(きょうだ)なり。
唯だ言語の大ならず壮ならず、中に含蓄有る者、多くは是れ識量弘恢(こうかい)
の人物なり。
 

岫雲斎
世間には大きな事を言う者がいる。そんな人は必ず器量が小さい。極端に元気のいい事を言う者もいる。その人は必ず臆病である。言葉が大きくもなく、元気があるわけでもなく中に深い含蓄のある人は、見識も高く度量も広い人物であろう。

18日 69.

「楽は心の本体」
人生には、貴賎有り。貧富有り。亦各々其の苦楽有り。必ずしも富貴は楽しくて、貧富は苦しと謂わず。

蓋し其の苦処(くしょ)より之を言わば、何れか苦しからざる()からむ。其の楽処(らくしょ)より之を言わば、何れか楽しからざる莫からむ。然れども此の苦楽も亦猶お外に在る者なり。(せき)(けん)曰く、「楽は心の本体なり」と、此の楽は苦楽の楽を離れす、亦苦楽の楽に墜ちず。蓋し其の苦楽を()りて、而も苦楽に超え、其の遭う所に安んじて、而も外に慕うこと無し。是れ真の楽のみ。中庸に謂わゆる「君子は其の位に素して行い、其の外を願わず、入るとして自得せざる無し」とは、是れなり。 

岫雲斎
人間社会には貴賎、貧富があるし苦楽もある。だが、富貴であれば楽しく貧賤であれば苦しいというわけでもない。苦楽という点から言えば、どんな事でも苦しくない、楽しくないということはない。これは外物の刺激により感得するものだから心の外にあるもので本当の苦楽ではない。昔の賢人・王陽明は「楽は心の本体である」と言った。これは他人の苦楽から離れるものではない。この心の本体の楽は、世間の苦楽と共にあるが超然としたものでもあり、遭遇する運命に安んじ何らその外を慕うことはしない、これが真の楽である。中庸に「君子はその位置境遇を自己本来の持ち前と心得て適当な行為をなしその外を願う心はない。だから如何なる境遇にあろうとも不満の念を起すことなく、悠々自適する」とあるのはこのことである。

19日
70.          
人生行路

人の世を渉るは(こう)(りょ)の如く然り。()(けん)()有り。日に晴雨有りて、畢竟避くるを得ず。只だ宜しく処に随い時に随い相緩急すべし。速ならんことを欲して以て災を取ること勿れ。猶予(ゆうよ)して以て期に後るること勿れ。是れ旅に処するの道にして、即ち世を渉るの道なり。 

岫雲斎
人生は旅のようなものである。道中には危険な所もあり、平坦な所もあり、また晴れの日もあれば雨もある。これらは避けて通れない、その時は旅程を緩めたり急いだりするがよい。急いで災いを受けてはいけない。またゆっくりし過ぎて期日に遅れてはいけない。これらが旅行者の心得であり、人生の心得でもある。

20日
71

性は天、体は地

人は当に母胎中に在るの我の心意果して如何を思察すべし。又当に自ら出胎後の我の心意果して如何を思察すべし。人皆並に全く忘れて記せざるなり。然れども我が体既に具われば、必ず心意有り。則ち今試に思察するに、胎胞中の心意、必ず是れ渾然として純気専一に、善も無く悪も無く、只だ一点の霊光有るのみ。(まさ)に生ずるの後、霊光の発竅(はつきょう)、先ず(こうお)を知る。好悪は即ち是非なり。即ち愛を知り敬を知るの()りて出づる所なり。思察して(ここ)に到らば、以て我が性の天たり、我が体の地たるを悟る可し。 

岫雲斎
人間は自分が母胎にいた時の心を考えて見るがよい。また出生後の自分の心も考えて見るがよい。みなすっかり忘れているであろう。自分の体は具わっていたのだから心はあったわけである。そこで考えて見るに、母胎内の時の心は、きっと純粋なもので、善も悪もなく、ただ一点の霊妙な光があるばかりである。出生後は心の霊妙な光は次第に発達して、先ず物の善悪を知る、是非である、それにより愛を知り、敬を知るに至ったのである。ここまで思いを致すと、洵に我が本意は天よれり受けており、我が本体は地からであると悟ることが出来る。

21日 72
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誕辰(たんしん)に思う

未だ生れざる時の我を思えば、則ち(てん)(こん)を知り、(まさ)に生るる時の我を思えば則ち天機を知る。 

岫雲斎
出生以前の吾を考えて見ると、混沌たるもので天の本体を知る思いがする。出生後の吾を考えると、僅かに知覚があるのみで、天の妙機に触れる思いがする。

22日 欠番
23日 73.    

聖人の遊観は皆学問的

孔子川上(せんじょう)に在りて逝く者を嘆じ、滄浪(そうろう)を過ぎて儒子に感じ、に遊びて樊遅(はんち)()しとし、浴沂(よくき)に曾点に()みし、東山に登りて魯国を小とし、泰山に登りて天下を(びょう)とす。聖人の遊観は学に非ざる無きなり。 

岫雲斎
孔子は、昔、川の流れを見て「逝く者はかくの如し」と嘆息された。滄浪(そうろう)川を過ぎて子供が「水が澄めば冠を洗い、濁れば足を洗う」と歌うのを聞いて感じ入った。雨乞いの場所では(舞?(ぶう))、弟子の樊遅(はんち)の質問が適切なことを褒めた。曾点の浴沂(よくき)川畔で浴して身を清めるの意見に賛成した。魯国の東山に登り魯国を小さいと言い、泰山では天下は小((びょう))なりとした。このように聖人の遊覧は学問的で無いものはない。

24日 74.         
聖人は学を固苦に修む

孔子(せい)に在りて、(しょう)を聞いて之を学び、()()きて()()を得、宋に之きて(こん)(けん)を得、周を観ては往古を感慨し、宋に微服し、(ちん)(さい)に厄し、(えい)()き、鄭に適き、楚に適き、皆意を得ざりき。聖人の学、蓋し力を遠游(えんゆう)、艱難に得るや多し。 

岫雲斎
孔子は斉で古代の音楽である(しょう)を学んだ。()の国の後に杞の国で(こよみ)の書、宋の国では易の乾坤の書物を得られた。周の国を観回って盛時からの衰微を回顧して感慨を持たれた。宋に微行した時、(ちん)(さい)の野て囲まれて大いに苦しめられた。衛から鄭、更に楚にも行かれたが皆、意見を用いられることなく終わった。聖人の学は遠く遊歴し様々な艱難辛苦に遭い実力を得られたものが多いのである。

25日 75.          
陰徳の真の意味
郷愿一(きょうげんいっ)(ぱい)の人には、陰徳(せき)(ふく)の説有り。余謂う、徳に陰陽無し。(おおやけ)に之を為すのみ。其の陰徳を好む者は、陽報に待つ有り、若し陽報無きも陰徳必ず為さずして可ならんや。禍福も亦天来(てんらい)なり。(つい)に求む可からず。又惜しむ可からず。仮令(たとい)惜しむ可くとも、亦朝三暮四(ちょうさんぼし)の算のみ。之を(きゅう)するに皆天数を()()す。断断として不可なり。 

岫雲斎
凡庸な儒者(郷愿一(きょうげんいっ)(ぱい))の中には、隠れて徳を施して幸福を受けるのを惜しむという説がある。徳には陰も陽もない、オープンに徳は施すがよい。陰徳を好むのは、その陽報が現れるのを待っているのである。それが現れないからと言って陰徳をなしても悪くはない。人間の禍福はみな天から与えられたもので、求めたとて得られるものではない。惜しんだからと云って手元に置けるものでもない。惜しんでも、先に受けるか後かの違いのみである。これらの事を考究して天の運命をあれこれ憶測(()())するなどは断じてしてはならない。

26日 76.          

貧賤分あり

人は須らく貴賎各々分有るを知るべし。貴人にして賎者の態を模倣し、賎者にして貴人の事を僭窃(せんせつ)せば、吾れ(はずかしめ)を之れ招くに非ずんば、則ち?(わざわい)に之れ及ばんことを知る。 

岫雲斎
一斎先生と違うのだが、人間に人格としての貴賎は本来的に無いが生来の人間的貴賎は確かに違うものがある。更に、後天的修練、精神の練磨により品性の貴賎は出来る。天分の「分」も確かに存在する。地位の高い人が低い人を真似たり、また下の者が上の者に分不相応に真似たりするのは恥であり社会的災害を受けるのは本当だ。

27日 77.          

口頭の聖賢

聖賢を講説して、之を()にする能わざるは、之を口頭の聖賢と謂う。吾は之を聞きて一たび(てき)(ぜん)たり。道学を論弁して、之を体する能わざるは、之を紙上の道学と謂う。吾れ之を聞きて再びタ然たり。 

岫雲斎
聖人や賢人の道の講義をするだけで自ら実践躬行しない人を口先聖賢という。私は之を聞いてギョッと((てき)(ぜん))した。宋の儒を学び論じるが己の身についていない人を紙上の道学と聞いて私は二度ギョッとした。

28日 78.          

天の働きと地の働き

天は気を始めて地は物を()す。天は変じて地は化するなり。(ここ)に知る造化の二字は地の功を語るを。独り人の地たるのみならずして、而も万物皆地なり。然れども天の気入りて之を主宰するに非ざれば、則ち物も(いか)す能わず。主宰の霊は則ち(しょう)なり。 

岫雲斎
天は気を生じ、地は物を産みだす。天は変化であり、地は化成である。だから造化の二字は地の功用を物語るものだと知る。独り人間が地に属するばかりでなく、万物はみな、地に属している。然し、天の気が入ってこれらを司さどらなかったら物を活かすことも出来ず、人間もまた霊妙なる働きは出きない。このような霊妙な働きをしているのが人間の性である。

29日 79.          

政治の必要条件

(まつりごと)を為すに須らく知るべき者五件有り。曰く、軽重、曰く時勢、曰く、寛厚、曰く、鎮定、曰く、寧耐(ねいたい)、是れなり。賢を挙げ、(ねい)を遠ざけ、農を勧め、税を薄うし、(しゃ)を禁じ、倹を(とおと)び、老を養い、幼を(いつくし)む等の数件の如きは、人皆之れを知る。 

岫雲斎
政治の要諦である。@軽重、財政の軽重、言動の軽重、A時勢、内外の時勢を洞察、B寛厚、人を受け入れることC鎮定、内外の安全保障を確保し人心安定D寧耐、宰相自らの深沈重厚を。更に、賢人を登用し、邪悪な反国家的思想を受け入れない。国の基本である農業を督励、公務員など無駄を削除して税金を減らす、贅沢の風潮を避け、倹約を尊ぶ。老人を大切にし、幼児に慈愛を。菅直人君に、終えてやりたいような内容である。

30日 80.   
三徳の妙理

 

智、仁は性なり。勇は気なり。
配して以て三徳と為す。妙理有り。
 

岫雲斎
智恵と仁徳は人間の本性。勇気は本性から生ずる気であり後天的に鍛錬養生可能。これらを織り成して三徳と云い妙理あるものである。