徳永の「神道・神社の解説」 その一

日本人が2千年に渡り信心してきた神道に就いての世界を理解し、日本人らしくなる為にも、正しい知識を得ておくことは大切なことである。なせなら、日本の風土で育った我々は決して無関係ではないからである。自覚の有無に関わらず日本人は日本の神様の世界で生まれ且つ育ってきたからである。己のルーツを確認することにもなろう。神道にまつわる言葉と意味を中心にまとめてゆく。     平成243月  

4月1日 天津(あまつ)(かみ) 

「天津神」とは、高天原にいる神や、天から降り立った神、その子孫の神々の総称。中でも、「天之(あめの)御中主(みなかぬしの)(かみ)」、「(たか)御産(みむ)()(ひの)(かみ)」「神産(かみむ)()(ひの)(かみ)」を造化三神という。また、「別天津神」とも言われる特別な天つ神である。 

4月2日

国津(くにつ)(かみ)

次に現れたとされる、国之常立神、豊雲野神から始まり、伊邪那岐、伊邪那美にいたる「神代七代」までが高天原の神々で、地上に降り立った伊邪那岐が生んだ多くの神々も天津神とされている。天津神に対して、もともと日本の国土に土着する神々が「国津神」である。「地祇(ちぎ)」とも言う。スサノオやその子孫の大国主命などがその代表である。日本に古くから存在する支配神である。

4月3日 本居宣長の分類

天津神と国津神の分類に関しては、江戸時代の国学者・本居宣長が「古事記」で示唆した上述の分類が一般的。だが古事記での記述では解釈が難しいものが多く、記紀に登場する総ての神について天津神か国津神かを明確に分類することは難しいと言われる。また、大和政権により平定された地域の人々が祀っていた神々が国津神となり、皇族や大和政権と関わりの深い氏族が祀っていた神々が天津神になったとも考えられている。

4月4日 氏神(うじがみ)

「氏神」は、氏と呼ばれる家系に基づいた集団の守護神として祀られた神々。多くは特定の氏族の祖先だが、古くは氏族に縁の深いその他の神々が択ばれることもあった。

4月5日 産土(うぶすな)(がみ) その人が生まれた土地の神のことを指す。この産土神は、土地を離れても一生守ってくれるとされている。
4月6日 稲荷(いなり)(しん)

渡来系の有力豪族・(はた)(うじ)により開かれた伏見稲荷大社から広まった信仰である。稲荷社では、農耕神である宇迦之(うかの)御魂(みたまの)(かみ)、又の名を、倉稲魂神、或は、保食神と言うが、もともと稲荷とは、稲の成育を意味する「(いね)(なり)」が語源と考えられており五穀を司る農業神であった。だが、中世以降、流通業の発展により商工業が盛んになると農業のみならず、商工業にも霊験新たなる万能の神とみなされて江戸時代には商売繁盛の神となった。

4月7日 御幣(ごへい)

「御幣」とは、幣束(へいそく)の敬称である。幣束(へいそく)は、神が宿る依代(よりしろ)で、木の軸の先端に「()()」と呼ばれる紙を取り付けたものが一般的である。それは、幣帛(へいはく)、或は、みてぐら、とも呼ばれる。古くは、神に奉献するもの総てを「みてぐら」と称していた。

4月8日 ()()

()()」に関しては、かって稲妻とともに神霊が地上に降りてくると考えられていた為、雷光の形を模したと考えられている。「()()」は、御幣のほかに注連縄(しめなわ)などにも付けられ神が宿ることを示す役割も果している。

4月9日 (さかき)

「榊」とは、山林に自生するツバキ科の常緑樹である。冬になっても葉が落ちない常緑樹は古くより神聖な力があると考えられて珍重された。その代表である榊は、文字通り「神」と「木」を併せた合字で、古くから神事、神棚などに欠かせぬものである。榊の語源として、神域と人間世界との「境」を示す木、即ち「境木」が転じたとする説がある。

4月10日 (さかき) 

また、「(さかえ)()」や「(さか)()」が転じたとする説もある。元来、榊という語は、固有の植物名ではなく、神に関わりある木の意で用いられていた言葉だつた。榊が自生しない地域では、同じ常緑樹である杉や(もみ)(かし)などを代用している。榊は()()を付けて玉串にするほか、神の宿る神籬(ひもろぎ)とするなど様々な用途がある。

4月11日

大祓(おおはらえ)

多くの人々は知らないのではないか。6月と12月の晦日(みそか)に行う神事である。知らずに犯した罪や過ち、心身の穢れなどを祓い清める為に行われる。平安時代の初期には既に宮中の年中行事となっていた事が当時の法制書「延喜式(えんぎしき)」に記録されている。現在は各神社の氏子や参拝者が茅や藁を束ねた輪をくぐる「茅の輪くぐり」が行われている。また紙の人形に穢れを移して川などに流す或はお炊き上げして祓う神事も行われている。

4月12日 祈年祭(きねんさい)

「としごいのまつり」とも称される。毎年217日に全国の神社で行われる祭である。古くから農作業の開始時期が近づくと人々は春の祈年祭を行う。江戸時代までは、中央では神祇官(じんぎかん)が、地方では国司が中心となり八百万の神々に幣帛を捧げ、祈年祭の祝詞を奏上して豊穣を祈念した。現代の祈年祭は、稲を中心とした五穀の豊穣だけでなく、国の繁栄や皇室の安泰、国民の幸福なども祈願される。

4月13日 延喜式(えんぎしき)

平安時代の律・令・格の施行細則を集成した法典。醍醐天皇により延喜五年(905)8月に編纂を開始、22年後の延長5年(927)12月に完成。503千数百条の条文は、律令官制の28省の役所ごとに配分・配列され、巻1から巻10が神祇官関係である。 延喜式巻1から巻10のうち、巻910は神名帳であり、当時の官社の一覧表で、祈年祭奉幣にあずかる神社2861社(天神地祇3132座)を国郡別に羅列している。

4月14日 式内社(しきだいしゃ)

この延喜式記載された神社が、いわゆる「式内社」である。式内社は、平安時代(10世紀)にすでに官社として認定されていた神社であり、由緒ある神社として知られていたことになる。
 いわゆる六国史〔日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、文徳実録、三代実録〕に記載されている神社を国史現在社/国史見在社と呼ぶ。国史現在社である(平安以前に存在していた)にも関わらず「式内社」として延喜式に記載のない社を「式外社」と呼ぶ。

4月15日 神楽(かぐら)

祭典の時、神前にて奉納する歌や舞のことである。各地に様々な神楽がある。どの神楽でも舞人たちは、鈴や御幣、扇、剣など、神が一時的に依り()くための「採り物」と呼ばれる「依代(よりしろ)」を持つ。神楽の起源は天照大神が天の岩屋にこもった時、天宇受売(あめのうずめの)(みこと)が岩戸の前で踊った舞にあるとされる。神楽は大きく分けて、「宮廷神楽」と「里神楽」に分類される。宮廷神楽は古代、大陸から入った雅楽や伎楽。里神楽は、国内各地方で発生した芸能神事にルーツがある。

4月16日 神主(かんぬし)

神社で祭祀を行う神職の総称である。各神社の最高位である宮司を筆頭に、禰宜(ねぎ)宮司の下で祭祀など様々な業務を行う。(ごんの)禰宜(ねぎ)―禰宜の下に位置する。(ごんの)宮司(ぐうじ)―神社によっては宮司の下に置く。

4月17日 伊勢神宮の神職

一般の神社と異なり、独自の階級性がある。

祭主(さいしゅ)―ー大宮司の上で皇室出身者が努める。

大宮司、少宮司、禰宜、権禰宜、()(しょう)

4月18日 巫女(みこ)

神社で、お守りや、お札の頒布を行うほか、浦安の舞いを舞うなど補助的な役割を担う女性のこと。古代から戦前までは、神社に属さず、「託宣」などを行う独立した宗教者の巫女がいた。現在では恐山の「イタコ」を巫女と言うのであろう。

4月19日 神主の装束(しょうぞく)

正装と礼装と常装の三種がある。

正装―国家的祭祀や神社の主要な大祭、冠を着用。
礼装―大祭の準じる中祭。冠を着用。

常装―その他の小祭。立烏帽子を着用。

何れの場合にも、手に「(しゃく)」を持ち「浅沓(あさぐつ)」を履く。

4月20日

神職の身分と衣裳

特級、一級、二級上、二級、三級、四級の六段階。

身分により、衣裳が異なる。僧侶より簡素簡潔。

 

神職の正装

特級

黒袍(くろほう)()無唐草(なしからくさ)文様(もんよう))、(しろ)(さし)(ぬき)((やつ)藤丸(ふじまる)文様(もんよう))

一級

黒袍(くろほう)()無唐草(なしからくさ)文様(もんよう))、()(さし)(ぬき)((やつ)(ふじ)文様(もんよう))

二級上

赤袍(あかほう)(()唐草(なしからくさ)文様(もんよう))()(さし)(ぬき)(薄紫(うすむらさき)八藤(はちふじ)文様(もんよう))

二級

赤袍(あかほう)(()無唐草(なしからくさ)文様(もんよう))()(さし)(ぬき)(無文様)

三級

紺袍(こんほう)(無文様)浅葱(あさぎ)()()(無文様)

 

四級は三級と同じ

4月21日 女性神職

戦後は女性神職も登場した。男性と同様に正装、礼装、常装が定められた。だが、女性神職の場合、正装と礼装―頭には「釵子(さいし)」(かんざし)を着け、(から)(ぎぬ)(うわ)()(はかま)を着用。常装―頭には(ぬか)(あて)をつけ、表着、袴を着用。 

4月22日 巫女の装束

どの神社でも、白の小袖に緋袴だが、祭礼や祈祷の時に、舞や神楽を奉納する際には、千早(ちはや)を着用し花簪(はなかんざし)を頭につける。また、手には、採り物(とりもの)の鈴や()(おうぎ)などを持つ。この姿は平安時代の舞姫の衣裳にならっているとされる。 

4月23日

「神社参拝作法」

正しいお参りの手順がある。

「序」

@一の鳥居を潜ると参道に入る。乗物は降りる。鳥居を潜った時点で既に参拝は始まっているので、帽子やコート、マフラー、手袋などを外すのが礼儀とされている。

A参道の中央は、「正中」とされて神様の通り道であり、参詣者は参道の中央は避けて左右どちらかの端を歩くのが良いとされている。

B清らかな気持ち、神を敬う敬虔な心で進む。 

「禊ぎ」

どの神社にも手水(ちょうず)がある。佐参拝者は先ずここで「禊ぎ」を行う。

禊ぎは、左手、右手、口の順序にで、水で身を清める行為である。直接に柄杓に口をつけてはいけない。 

「拝殿」

@先ず、賽銭箱に賽銭を入れる。

A正面に吊るされた鈴を鳴らす。鈴の音により、周囲を清め、神様に対して来訪を告げる意味がある。

B拝礼の基本は、「二拝・二拍手・一拝」の作法。   だが、

伊勢神宮は「八度拝(はちどはい)八開手(やひらて)」。

出雲大社は「四拍手」。

格調の高い神社では独特の参拝方法をとる事あり。

C正式参拝の際は「玉串(たまぐし)奉奠(ほうてん)」を行う。玉串とは、榊の小枝に()()を付けたもの。その玉串が、神と人との間を取り持ち、願い事を神に伝えてくれるとされる。小枝の下の方を神様に捧げ神棚に置く。 

4月24日 神殿

神社の本殿は祭神を祀る重要な建物だが、古代には、山、樹木、岩などに神を迎えて祀っていた。現在でも、奈良の大神(おおみわ)神社とか長野の諏訪大社の御神体は山であり本殿はない。 神社本殿の建築様式は、稲を納める倉を模して建てたのが起源と言われる。古代人は、生を支えてくれる稲を神聖視していたのである。神の住み処(すみか)として、稲倉を巨大化した形式の神殿は受け容れやすいものであったと言われる。 
本殿に祀られる神の御神体は、鏡、玉、鉾などが多いと言われる。参拝者は入れないし、見られないので、本殿の前に建てられた拝殿を通して拝むことになる。神職は拝殿で祭礼を行う。

奈良時代以降、

伊勢神宮――神明造(しんめいづくり)

出雲大社――大社造

その後、大陸や仏教建築の影響を受けて様式が多様化、

春日大社――春日造

住吉大社――住吉造

宇佐神宮や八幡宮――八幡造

東照宮――権現造

その他、浅間造、流造などがある。

4月25日 千木(ちぎ)鰹木(かつおぎ)

神社建築を特徴づけるのが、社殿の屋根の両端で交差する「千木」と、屋根の上に、水平に置かれている「鰹木」である。

4月26日 千木の起源

三本の木材を交差させたものを建物の両端に立てた古代の建築様式にあると言われる。
(おき)千木(ちぎ)

現在では装飾的な意味合いで屋根の上に設置する「(おき)千木(ちぎ)」が主流。

「外削ぎ」
千木の先端が、地面に対して垂直に切られている。

「内削ぎ」
一般的に、女神を祀っていることを示す。異なる場合もあるとされる。 

4月27日 「鰹木」

鰹木は、棟木の上に並ぶ鰹節のような形のもの。本来は、建物の補強目的のものだったらしい。現在では、千木と同様に装飾性としての意味合いである。両端に金属の薄板で装飾したものもある。使用される鰹木の数はまちまちで、本数が奇数の場合は男神、偶数の場合は女神とされているとされる。だが、千木同様に異なる場合もある。
堅鰹木、堅魚木、勝男木、葛尾木、などの書き方もある。

4月28日 注連縄(しめなわ)の意味

注連縄は、鳥居、拝殿、神楽殿、或は、神木(しんぼく)、霊石、などに張り巡らせて、内と外とを隔て、その神聖性を示す。同時に、不浄に触れさせない為の(わら)(なわ)である。 主として、神域や神木に人が不用意に立入らぬように締める。家庭でも、大漁や豊作を願い、餅とともに飾ったり、悪霊や災難を避けるために締めたりする。 

4月29日 注連縄の起源

天照大神が天の岩屋から出た際に、再び岩屋に戻れぬように布刀玉命が岩戸の入口に張った「しりくめ縄」が嚆矢とされる。

4月30日 注連縄の種類 

形状による。
大根注連(だいこんしめ)
牛蒡注連(ごぼうしめ)

何れも新しい藁を左()いにして造る。注連縄には「七五三縄」と表記されることもあり、これは「しめ縄」に紙垂でなく藁束を垂らす場合に、七本、五本、三本と三ヶ所に垂らすことに因んだ表記のこと。