平成に甦る安岡正篤先生警世の箴言」6

平成20年4月

安岡正篤先生ご存命中の膨大な講義は、人間的営為、大自然の造化、和漢洋の歴史等の深い思索と造詣があり、そしてそれらの中の安岡哲学は、時代を越えたものである。本講義は35年前のものであるが恰も現在の警告の如くに見える。平成の大乱世となった今、安岡正篤先生警世の真言を考えることは現代的である。

平成19年12月       徳永日本学研究所 代表 徳永圀典

 第五講 丑・甲

平成20年4月

4月1日 ()(かん)四患(しかん)

明けましておめでとうございます。昭和49年甲寅の年頭講座にあたりまして、一休さんではありませんが「めでたくもあり、めでたくもなし」というような新年かもしれません。でも、やはりおめでとうが本当です。

数日前、東京は大変冷え込んで猛吹雪となり、全部が雪に閉ざされて、高速道路では車が停滞して交通麻痺の状態でした。例年厳しい寒さを迎えますと、きまって「五寒」という中国の格言を思い出します。
4月2日 (りゅう)(きょう) 五寒については前にこの講座でもお話に引用しました様に、中国・前漢の終わりに出た(りゅう)(きょう)という学者の論であります。ご承知のように漢には前漢と後漢がありまして、前漢の初めの皇帝が武帝で、司馬遷の「史記」でもよく知られた人であります。 この人が中国の勢力をアジア大陸に押し広げ世界的大国にしました。(元来、中国とは、黄河と揚子江の間でありました)。又、武帝は儒教を国教にして学問を奨励しました。(りゅう)(きょう)は、この漢末に儒教を学問的に組織した偉い学者であります。 
4月3日 五寒 この(りゅう)(きょう)が「五寒」ということを説いております。
一、「(まつりごと)(はづ)
二、「(はかりごと)()
三、「女(はげ)
四、「卿士(きょうし)を禮せず政事敗(せいじやぶ)
五、「内を修むる(あた)はずして外を務む
4月4日 この五つは
古来の名言
古来、この五つは名言として、今日でも専門の学者がよく引用するものでありまして、極めて簡にして要を得た政治に対する戒めであります。 国には色々と冷え込むことがあり、国民が凍えることがあるが、それは雪や氷のことではないと言っている。
4月5日 政外(まつりごとはづ)る」 その第一を「政外る」としております。外ははずれるので、政治のピントがはづれることです。政治というものは、やはり筋が通り、肝所がぴったりと抑えられていないといけません。それがピントが合わず、勘がはづれて、ぼけてしまう。 政治というものは元来無駄が多く、ピントの合わぬことが多い大変難しいものです。日常の会話などもそうですね。何かくどくどと言って要領を得なかったり、つぼが外れておるような話し方では、交渉に成功しません。特に政治のピントが外れてだらしがないというのは一番いけません。これが第一寒であります。
4月6日 謀泄(はかりごとも)る」

第二は「謀泄(はかりごとも)る」。前と同じく簡単な言葉でうまく捕えています。即ち謀りごとが洩れること。

秘密を要する色々機微の問題がどんどん抜けてしまうことでありまして、ニクソン大統領のウオーターゲート事件等はこれに属します。 

4月7日 「女(はげ)し」 第三は「女(はげ)し」。巧い簡単な、しかも日本人には一寸使えない言葉で、大変面白い文字です。
「「(はげ)」という字は、荒砥のことでそこから荒々しいという意味になり一転して疫病、流行病というような

色々の意味に転化するのでありますが、この場合は女が女らしさを失って、荒々しくなるということであります。

現代は、世界中がこの女獅フ問題で困っておるのではないでしょうか。

4月8日 国が栄える時には必ず女が立派であります。徳川氏が三百年の長い間続いたのは、少なからず武士の妻、武士の娘のお蔭です。男だけなら百年も持たなかったでしょう。

これは歴史学者、社会学者の等しく肯定する処であります。この頃の新聞の社会面を見ておると女獅フ数々が現れておりますが、中国の昔においても同じであったとみえてこれを挙げております。 

4月9日 「卿士を尊敬しない」 第四に「卿士を尊敬しない」と、政治が段々堕落する。卿士とは大事な要職にある為政者、政治家を言い、その代表は大臣であります。ニクソン大統領の失政の一つは、 国務省というものがあって、国務長官がおりますのに、これを疎外してキッシンジャーを使って忍者外交のようなことをドシドシやったことであります。後にキッシンジャーを国務長官にしましたが、政会の裏表の筋が通りませんと、政治は退廃します。
4月10日 「内を修むる(あた)はずして外を務む」 最後の第五は「内を修むる(あた)はずして外を務む」
内政をうまくやることが出来ない為に、これをカバーする目的で、特に外に問題を構えて国民の目を之に向ける。
世界の国々を注意しておりますと、この方法によって対外工作をやっておる国が多く見られます。これは政治家に限らず、人間のよくやることです。
4月11日 ()(かん)

五寒は前漢のことでありますが、これに対して後漢となりますと、(じゅん)(えつ)という大変名門出身の偉い学者が「四患」ということを痛論しております。

荀悦によれまかと、政治には四つの重大な病気があって、その一つだけでも大変だが、四つ揃えばとても助からぬと申しております。四患は五寒以上に有名な言葉で、私もしばしば引用してこの講座でもお話を致しました。
4月12日 四患 第一「()

第二「()

第三「(ほう)

第四「(しゃ)

第一「偽」。
(うそ)がよくないということ。これは政治ばかりではありません。はイ偏に為すという字ですが元来人の為すことは往々(いつわり)にもなります。

第二「私」。私心があってはならぬ、ということ。 

4月13日 (ほう)」と「(しゃ) 第三「放」
規律を失って、放埓・放縦になってはいけないということ。法律や法則・道徳を守らなくなることです。
第四「奢」
国民が贅沢になってはいけないということ。奢は国民の命取りであるばかりでなく、国政にも命取りになります。
4月14日 あらん限りを尽くしてきた日本 この四つが揃ったら、絶対にうまくゆかないというのであります。処が、日本は今まで、この偽・私・放・奢のあらん限りを尽くしてきたと申してよいでしょう。恐ろしいことです。然も四患だけではなく五寒も揃っています。 これは尋常で済むわけがありません。そこで思い切って大改革をやらなければいけないというのが必然の要請であります。処が人間には因習になづむということがありまして、今迄の悪い習慣を一掃して、国民が瞠目するような大革新をやるということは、言うは易く行うは難い。そのことを本年の干支も明確に指示しております。
4月15日 甲寅の意義 さて今年は(こう)(いん)、きのととら、であります。「甲」はかい(○○)われ(○○)で草木の(りん)()が外に発現する形象(けいしょう)であります。だから始めを意味し始まるとも()みます。処が人間というものは、ともすればこれになれてしまって改革・革新をやらず、

因循(いんじゅん)姑息(こそく)になり、全てにだれてしまいがちであります。
そこで、甲に
けものがついて(なれ)という字が出来たわけです。甲の年というものは、改革・革新をやってゆかなければならないのであるが、旧来の因習に狎れてはかばかしく形勢に即応できない、そういう(うら)みがあります。 

4月16日 「寅」の意義 その甲に組み合わされる支の方は「寅」であります。寅の字の(うかんむり)は、これは建物、組織、存在を表し、真ん中の字は、人がさし向いになっておるという象形文字で、約束する、協力する意を表し、下の八は人であります。従って新しい情勢に応じて人間が手を結んで協力し、どんどんやってゆくという事を意味しております。時勢に対して慎重にやらなければならぬというので、つつしむ、畏れるという意味もありまして、従って(こう)()というような熟語があります。

そうすると時局対策が進展しますので、すすむという意味もあります。演説、演技等の演は進展を意味します。
そういう意味で進んで同志が協力することを(えん)(りょう)と言い、転じて同寅(どういん)と言いますと同僚であり、同僚の(よしみ)(いん)()と申します。
そこで(こう)(いん)の年は、互に慎み助け合って時勢を進めなければならぬ年でありますが、若しそれを誤ると畏るべきことになりましょう。
 

4月17日 六十年前の甲寅 これを歴史に徴しますと、六十年前の甲寅は、大正三年も1914年でありまして、一月早々桜島が大爆発して、三十億トンの溶岩を噴出し、死者の数は9600名に達しました。三月には、秋田県に大地震があり、富士山が大鳴動したのもこの年です。 又、海軍の大不祥事であるシーメンス事件が暴露されましたが、世界を通じて最大の事件は、何と言っても第一次世界大戦の勃発であります。日本もこの年に対独宣戦をやり、山東省の青島に上陸作戦をやりました。
4月18日 干支の学問的考察 このように考えますと、甲寅の年というものは、歴史的にも大変な年廻りでありまして、古い因習に狎れないで、大いに慎み、助け合って、発展してゆかなければならないことを教えております。従って、干支の示唆する通り着々とやってゆけばよいのですが、これが裏目に出ると、益々時局は紛糾し、停滞し、危険になってゆくということを覚悟しなければなりますまい。 これは独り政府ばかりでなく、民間の企業その他お互いの私事にいたる迄、甲寅の意味をよく腹におさめて、これを活用し、順応してゆけば、問題は解決し、進展することができるわけであります。それを誤りますと、四患・五寒のようなものが益々深刻になって、没落過程を辿るということになります。これが干支の学問的考察であります。 
4月19日 真の意味と違う民間 然し、こういう難しい子とは民衆には通じません。昔から干支の「干」は難しいので「支」の方が普及致しました。昨年の「丑」は、農耕民族が農機具に家畜を使用し、これを活用することを考え出して、馬だとか牛だとかいうものを農機具に結びつける、その代表が牛だというので、ちょうど子をねずみ(○○○)としたように子は増えるという意味がありますから、古代人が一番増えるのに驚いたのは鼠で ありましょう。
そこで「子」をねずみとした。
丑を牛としました。同様に「寅」もその時代の人々に最も警戒し、畏れなければならぬものは何かと考えますと、恐らく虎であったに違いありません。農耕民としてこれは怖かったでしょう。だから、寅を虎としたのであります。何も知らない人は、寅に慎む意味のある事を知らず、何か景気の好いことのように思い込んでおる人が沢山おりますけれども、意味は本当に反対であります。
4月20日 君子(くんし)豹変(ひょうへん)大人(たいじん)()(へん)

「君子豹変す」という言葉の豹変につきましても、実は「豹変」の前に「虎変」という言葉が学問的にあります。この語は余り使われません。或は語呂(ごろ)もよくないのかも知れません。そこで、「君子豹変」の方についてよく使われる意味を申しますと、今まで或ることを主張しておったが、それがぐらりと一転してひっくりかえる、即ち時局の変化に便乗して変節・改論する意味に使います。 

然し、学問的には「虎変」がこの本来の意味にあたりまして、「豹変」というのはその補助的な言葉であります。

「易経」に改革・革新を説いた「革の卦」があります。この卦は大変面白い卦で、革命の原理・原則を実に巧妙、且つ簡素に要約して説いております。
4月21日 易の卦 易は六つの(こう)からなり、夫々六本の爻を下から初爻、二爻、三爻、四爻、五爻、上爻という風に読みます。全体を卦と言い、下三爻を下卦、上三爻を上卦と言います。革の卦は上が「沢」の卦であり、下が「火の卦」となっております。 会社で申しますと五爻が社長、国で申しますと総理大臣という極めて大切な地位を表しております。そして上爻は会長、顧問、相談役と言った地位で、逆に四爻は一般重役、三爻は部課長、初、二爻は社員という風になります。
4月22日 改革・革新断行は そこで、改革・革新の形勢が決定的となって、愈々断行しなければならぬという時に、一番大切なことは、五爻に当る総理や社長というものは、国民乃至社員が襟を正して 仰ぎ見るような、息を殺すような政策を断行しなければなりません。それは、ちょうど虎のように変じなければならぬということで、「虎変」という言葉があります。 
4月23日 動物学的「虎変」 そこで専門の動物学者に尋ねましたところが、虎は夏から秋にかけて毛が生え変わるが、その時の虎の毛は実に鮮明で思わず目を見張るものがあるとことであります。このように、今まで何となく、おっとり構えて煮え切らなかったものが、或は、はっきりしなかったものが、鮮やかに精彩煥発する。つまり総理やるな!社長やるな! というようなやり方をしないと、改革・革新は出来ないということです。
これが「虎変」でありまして、非常に良い意味であります。その総理や社長の虎変に応じて、今度は元老・顧問・会長・相談役といった立場にある人々が総理や社長を助けてうまくやってゆく、これを「豹変」と言います。勿論、豹の毛と同じ様に変わるそうですが、虎のように鮮烈ではないそうであります。
4月24日 先ず上に立つ者が身を以て示すことが肝腎 現代の日本の国内情勢を見ても、ここで説明出来ると思います。狂乱と言われて留まるところの知れない物価に、国民は言わず語らずに不安に陥っております。日本はどうなるのかと思っております。 この時に、あっ!と刮目するような感激を覚えるよな、指導者の信念や面目の発揮がなければなりません。これが国家的にも国内的にも最も大事な問題であります。
4月25日 上の者が形を見せよ 勿論、国民にも訴えなければなりません。また大いに自覚・発奮させなければなりません。然し徒に人に求めて、特に政治の一番大切な衝にあたる者が、「国民よ、しっかりせよ」等と言っても始まりません。会社でも同様であります。

大切なことは、言うよりも先ず上に立つ者が形で見せることです。所謂、虎変・豹変しなければならぬということです。易の卦で申しますと、五爻以上の問題でありまして、四爻以下は補佐ですから、くっついて往っても好いのです。それを逆に国民に向って、「お前達は、どうせい、こうせい」と幾ら言ってもダメだ、ということを易経が説いております。 

4月26日 活学を このように易の原典には「大人虎変し、君子豹変す」となっておるのですが一般にしこれを変節改論の意味に解しておるのは大きな誤りであると共に、残念なことであります。折角、深遠な意味を持っておるこの言葉を無残に誤った使い方をしたもので残念に思います。 正しい意味においては、先ず内閣の総理大臣が大いに虎変しなければなりません。それには矢張り虎のように威厳があって力強い、時には少し凄みがあるというようでなければいけません。猫のようではいけません。然し、そうなれと言いましても偽物の虎ではいけませんから、さてとなると中々難しい問題でありますが、こういう哲学、こういう信念は、我々が身につけておきたい活学であります。  
大衆の堕落は国を亡ぼす
4月27日 マスコミの左傾

そういう意味で今や本当に革新の時期でありますが、然しまことの革新は厳しい問題で、殊に現代の日本人は、保守に辛く、革新に甘いようです。何か保守というと引け目を感じ、革新というと善し悪しを問わず魅力を感じる、というのが民衆の心理であります。革新派などと言うと、一応みんな好意を持ちますが、保守派というと何だか振るいません。

こうなるのには色々原因理由もありますが、一番大きな影響源は何と言ってもマスコミの左傾であります。
今年は、参議院議員の選挙が行われる為に、参議院選挙だけを取り上げて問題にしておりますが、実は全国で沢山な地方選挙が行われます。地方自治体の選挙は大事な選挙でありますのに関心が薄く、候補者を見ておりますと、保守党の候補者が自ら保守党を称することに何か二の足を踏んだり、おじけづいて、凡そ意気地がありません。
4月28日 卑屈、卑劣な無所属 幾つかの市長選挙、或は知事選挙で、自民党でありながら自民党を標榜したのでは損だというので、故意に無所属の看板をかけたり、中でも最もひどかったのは、この間の名古屋市長選挙であります。然も候補者は現職市長であります。田中総理も応援にかけつけて演説しておりますが、本人は、自分は自民党ではない、無所属だ、ということをしきりに陳弁これ努めております。 まことにおかしな話で、このような考え方、態度というものは、ただ煮えきらぬとか遠慮だとかいう問題ではなく、卑屈・卑劣であります。人として信念や識見の無いことを表しております。今日は、自民党か、革新野党かのどちらかなのですから、無所属などというのは甚だ曖昧でよくありません。はっきりしなければなりません。こういう事が許されにいと言うことを本年の干支も教えておるわけですから、堂々と自分の所属を明らかにして、そうして幸いに当選の暁には、その所属する党を立派にする為に情熱を傾けるべきであります。
4月29日 大衆の堕落と
革新政党の衰退
又、今日は、革新ということが野党の独占、専売になっております。然るに野党の称する革新政党というものを見ますと、これが甚だ甲寅の甲けものをつけた狎の状態になっております。日本もそうですが、日本が何でもお手本とするヨーロッパ諸国を見ても明瞭であります。現に、ヨーロッパ各国に亘って労働党、社民党、社会党の衰退が顕著になっております。 一時彼らの言う大衆の時代ということが世界の流行になっておりました。然し、この大衆が堕落してしまって、とっくに新鮮な意義を失い、進歩がなく、スペインのオルテガの指摘しました通り、大衆的人間は旧来のものに何でも反対で、その上、道徳も法律も秩序も無視し、所謂「四患」の、偽・私・放・奢の第三の放になって、大衆政党を通じて、強請りの世の中にしてしまいました。所謂、高福祉政策はその余弊に堪えられなくなり、もう福祉国家というものは最近ヨーロッパではすっかり廃れてしまいました。
4月30日

そして政治の偽善と大衆の後に隠れた奸民たちの横暴は目に余るものがあります。時々見かける公害等の補償運動でも、本当の罹災者、患者は後へやられてしまって、前に立って頑張るのは殆ど専門の運動屋です。こういう大衆を利用する奸民の横暴が大衆国家を破滅に駆り立てておるのです。

韓非子に「乱弱(らんじゃく)(おもねり)に生ず」と論じております。従って、先ず、参議院選挙を始めとして二百近く行われる今年の選挙について、これを(つつし)み清めることは至難であろうが、実際問題としてこれをやりませんと、急速に時局は乱れて、国民生活は混乱に陥り、國際間の問題も一層紛糾し難局に入ってゆくと考えられます。