1日 |
古墳の黄金時代 |
また以前のように葺石などは用いられず、埴輪がだんだん衰微してくるのが特徴として挙げられます。さらに、中期ま場合には内部主体として竪穴式の石室が造られたのですが、後期には横穴式の石室が造られ、しかもその構築される位置が墳丘のはるか下、底辺近くの深いところに築かれるのも特徴です。 |
2日 |
手の込んだ形 |
さらに、非常に手の込んだ形の石棺、家形石棺とか、横に死体を出し入れする口がつけられている横穴式の石棺、あるいは石ではなくて焼き物、陶器で作った陶棺などがみられる内部主体の特徴として挙げられます。副葬品としては中期に続いて馬具とか金環などの副葬が一般的ですが埴輪を並べるというような方式は衰退を示しています。
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3日 |
註 |
帆立貝式古墳
円墳に小さな方墳が連接したもので、平面形がホタテ貝の貝殻の形に似ているのでこの名がある。
竪穴式石室
古墳の内部構造で棺を収蔵する施設。封土に墓壙を掘り込み、割石類を四壁に積んで天井石を載せて閉鎖し土をかぶせる。
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4日 |
石室 |
石室
古墳時代の墳墓の埋葬施設。石で構築した遺骸を置く部屋。竪穴式石室と横穴式石室に大別される。小石室は石棺との区別が不詳、時期により石室の構造にも変化がある。
舟形石棺わが国独特の石棺の一。古墳時代前期の後半から中期にかけて行われた。身の形が和船に似ているためこの名がある。 |
5日 |
上円下方墳 |
古墳時代の墳形の一。上部は平面円形、下部は平面方形の二段造築。方墳の変形。実例は天智天皇陵。蘇我馬子の墓とされる大和の石舞台古墳も上円下方墳であったとされる。 |
6日 |
円墳 |
古墳時代の墳墓形式。墳丘の平面形が円形をなす。日本では、弥生時代末に小規模のものが出現。古墳時代には各時期を通じて大小様々の円墳が造られた。 |
7日 |
横穴式石室 |
古墳の埋葬施設の一。石を組み合わせて造った墓室で、普通は棺をおさめる玄室と、それへの通路である羨道とからなり、夫々の入口を玄門、羨門と呼ぶ。 |
8日 |
地下式横穴 |
古墳時代末期の埋葬施設。羨道が井戸のように垂直で、さらに横に掘って玄室を造った横穴。 |
9日 |
陶棺 |
埋葬施設。古墳時代後期から末期になり近畿・中国地方で盛行。土師質と須恵質とがあり、蓋と身が分かれる。 |
10日-21日 |
仏教的色彩を帯びる末期古墳 |
第七世紀の末期古墳は、明らかに数が減少しています。
第六世紀の後期古墳のように家族墓的な群集墳は見られなくなり、分布地域も限定され、さらにその古墳の中に仏教的な色彩を帯びてくるものが見られるようになります。平野には殆ど古墳の分布は見られず、山沿いの地に限って分布するというのが第七世紀、末期古墳の一般的な特徴です。そして、巨大な墳丘をもち高塚は消滅し、小規模な盛り土の円墳か、さらに横穴と言われる墳墓の形式が発達してくるというのが外観上の特徴として挙げられます。内部主体としては、地下式横穴あるいは横穴、或は小石室をもつもの、そして卦形の陶棺などが用いられることが特徴となっています。
この時期の古墳には副葬品がほとんど出土せず、鉄器とか刀剣などの類を少量副葬する程度です。然し、高松塚古墳のように、壁画を玄室の壁面あるいは副室の壁面などに描いた「壁画古墳」と称されるものがあり、そうした様式がこの末期古墳の一つの特徴として指摘されるようになりました。 |
22日 |
古墳の分類と特徴 |
時期
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年代
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一般的特徴
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封土外観の特徴
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内部主体の特徴
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副葬品
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初期
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第三世紀
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数が極めて少なく、突如として近畿大和に発生。丘陵上の構築。
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円墳・前方後円墳・方墳など自然を利用した墳丘を造りだす。
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粘土や礫で地固めした上に、木棺。粘土棺を安置する。
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宝器類の副葬・伝世鏡など少数を副葬。
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前期
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第四世紀
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小高い丘陵上に自然地形を利用した墳丘に、葺石や円筒埴輪を並べ、数は大きなものが一基乃至数基散在する。
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前方後円墳が圧倒的に多く、規模も比較的大きいものがある。葺石が認められる。
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棺は木棺か粘土棺で、墳丘内に浅く安置され粘土・礫などで地固めをする。
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宝器類の副葬・伝世鏡・筒型銅器・玉・武具など。
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中期
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第五世紀
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台地状或は巨大な墳丘・周湟を完成させ円筒埴輪・形象 埴輪が並び盛行。変化に富む黄金期、
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帆立貝式古墳が現れ、巨大な墳丘、周湟・形象埴輪・葺石などが特徴的。
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竪穴式石室、長持形石棺、舟型石棺、割竹形石棺。
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武器・甲冑、石製 模造品などその量を増し、宝器の副葬が消滅。
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後期
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第六世紀
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墳丘は小さく石室は不相応な大きい。墳丘の縮小化の代わりに群集化がみられ家族的性格を示す。
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上円下方墳が現れる。円墳が支配的になる。葺石をしない。埴輪は衰微。
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横穴式石室、家型石棺、陶棺など。
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馬具・金環が普遍的となり 埴輪は衰退を示す。
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末期
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第七世紀
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数も減少しも分布地域も限定。仏教的色彩を帯びてくる。平野には殆ど分布せず、山沿いの地に移る。
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高塚は消滅。小規模な盛り土の円墳か横穴が盛行する。
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横穴、地下式横穴、小石室、家形陶棺など。
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殆どなし、鉄器、刀剣など少量を副葬するものあり。
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23日 |
古墳が教える古代社会 |
以上が古墳に対する一般的な概念であり古墳の特徴ですが、こうした古墳と言われる墳墓がだいたい第三世紀の頃から第七世紀にわたって日本の埋葬形式として発見されているわけです。 |
24日 |
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そして、そうした古墳から出土する色々な遺物をもって古墳時代の文化を考えていくのが、今日、考古学における一つの大きな流れになっています。
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25日 |
埋葬されたのは誰か |
このようにして、考古学では古墳に関して細かい点まで様々な研究が進んできていますが、我々歴史学者としては、いままで述べてきたような古墳の一般的な特徴も封土の外観の特徴とか内部主体の特徴などを基にして、古墳時代の社会情勢や政治機構というものを推測して歴史を記述していくことになります。埋葬されたのは誰か
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26日--30日 |
古墳を基に |
そしてその時代の歴史を考えていく場合、まず最初に考えておかなければならないのは、そもそも古墳に埋葬された人々は一体どのような人々だったのかということです。これが明確に認識できないことには、古墳から得た情報の意味がわからず、その時代の歴史など到底推測できないと云えるでしょう。古墳はいままで見てきたように、時代的に変遷を示していますが、このうち後期にみるような群集墳は家族墓として考えられると述べました。そう考えられる理由として、死者を複数葬るのに適した横穴式古墳の石室などが内部主体としてあること、そして何よりも古墳の数の多さが各家族こどのものであろう事を如実に物語っています。
逆に初期から前期にかけての古墳の数が少ないという事実が意味するものは、埋葬される人々が特殊な人々、いわゆる首長層、死支配層に限られており、それらの人々が死んだ場合に葬られたのがその時期の古墳であるということになります。中期には古墳の数が増えてきますが、これは支配層の数が増えたことによると思われます。そして、古墳に埋葬される人々の数が増えたということは社会の発展を示していると考えてよいでしょう。また、その時期に墳丘が非常に大きくなっていることは墳丘、古墳を構築するのに莫大な労働力が動員されたことを物語っています。それ程多数の人々を使って一人の人間のために墳墓を造ったということは、その時代の為政者、支配層が非常に強大な権力を握っていて、大多数の人々を駆使して墳墓を造らせたことを意味します。そうであれば、そこに労働力の搾取の体制を考えなければならないことになります。
以上は、おおまかに古墳の埋葬者について述べただけですが、こうした見方を前提として本章の後の講義を進めていくことになります。
従って、これらのことは、古墳時代のことを考える基礎知識として少なくとも本章の講義を読み進める間、念頭において頂きたいと思います。
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