徳永圀典の書き下し「日本国体論」その十  「国体論索引表」

平成21年4月度

 4月1日 万世一系 天壌無窮であるがためには万世一系でなくてはならぬ。宇宙の本体である天津日嗣の霊魂の実態である天照大神の血統を継承するのが特定の唯一的人間・天皇である。 宇宙万物を生成化育する法則作用を身を以って顕現し続けてきた天照大神とは、太陽を表現したものである。万物を生成化育するように人間を斉しく、公平に生成発展せしめる偉大な存在の天皇は宇宙の原理に沿い万世一系でなくてはならぬのである。
 4月2日 天皇の構造

天照大神は南方文明の代表、北方文明を代表するのはスサノオノミコトである。両文明が融合し一体化して、八神を産み、夫々の使命を発揮して大いに神ながらの道を発展せしめた。

それは八幡神の活躍により知ることができる。八神のうち、男神は天照大神の物実・玉より生まれたが、スサノオノミコトとのうけひ(○○○)(受霊)によるものである。女神三神は、スサノオノミコトの物実・剣より生まれた。うけひとは、一方が他方の霊を受け入れて新文化を創るということであろう。
 4月3日

()ろしめす

道を代表する天照大神、力を代表するスサノオノミコトと言うべきか。
追放されたスサノオノミコトは出雲の統治に成功。
だが、孫娘の主人・大国主命の代となり、天照大神は、大和島根を合体して全国統一をすべく出雲と交渉、難航したが、最後に、建御雷神(たていかづちのかみ)が天鳥船神を随え条理を説いて「国譲り」の実を挙げられた。

この時の説得の言葉
(なんじ)(うしは)ける葦原中(あしはらのなか)(くに)は、我が御子(みこ)()ろしめさん国と言よさし給へり。
かれ汝が心いかにぞ」、即ち「うしはく」は所有、領有、私有するの意で「うし」は主、「はく」は下駄をはく、太刀を()くなどことで、物を身につけること。要するに力で国土を領有支配すること、転じて権力、武力、財力などの力による統治を言う。これに対して「()ろしめす」は、知る、知らしめる、真実、事実、真相を知ると同時に知らしめ理解させる。
 

 4月4日 インペラトールではない

日本の天皇は、ヨーロッパ的意味の皇帝ではない。美々しい鎧に身を固め、馬上豊かに騎士団を引き具して行く皇帝の姿は絶対に日本天皇にはない。

天皇は必ず「輿」に乗っている。それはヨーロッパ的に見れば法王に近い。その通り天皇は日本教の大祭司であろう。素晴らしい日本の制度である。
 4月5日 二権分立の叡智 天皇と幕府、言うなれば二権の分立で世界を見ても並立は不能である。
だが、日本ではそのシステムは古代より続いている。

それを日本人自身、積極的にその価値を認めようとしない。

アメリカのJWT・メーソンの著書「神ながらの道」で次のように指摘している。「日本人は外来文化思想を自覚し、且つそれを表現する能力においては、他国の追随を許さぬ程優れたものをもっているず、どういうわけか、自国の思想・神道については全く自覚もしなければ、また表現することも実に拙劣である。 

 4月6日 日本の独自性に目覚めよ 「日本人は好んで仏教教義の深遠さを説き、儒教の優秀性、西洋科学の卓越性をたたえるが、神道が仏教よりも遥かに勝れた精神的原理を有し、儒教よりも内面的見解において深遠であり、また西洋文化よりも一層物質的進歩と精神的理想主義とを調和せしめる力をもっていることに気づいていない」。 

もし日本人が潜在意識的直感を以て、しかも同時に自覚的自己表現的分析力を発達せしめ得るとすれば、日本文化は未だかって他民族の企て及ばざりし高所に達するであろう。
しかし、日本人が自己の内なる独創力を発揮することなく、いたずらに外国文化にとらわれるなら、神道の創造的精神は硬化埋没し、日本は次第次第に無力になって行くであろう。なぜなら、進歩は自己発展、固有性の発揮を通してのみ起こるものだからである」。

 4月7日 大国主命の回答

大和島根との合体を申し込まれた大国主命は、国土返還の条件として「私も子らと同様喜んで葦原中つ国を奉還しましょう。ただ私の住む所のために、天つ神の御子の代々御世を継ぎ給うべき天津日嗣のもその御膳をおつくりする御厨である、煙立ちのぼる、富み足りた、天之御巣の壮大な備えと同じほどに、地の底の岩根までも深く宮柱を埋め、

高天原に千木の届くほどに屋根の高い、立派な宮殿を築いて私を祭って下さるならば、私は百に足らぬ八十の曲りくねった道また道を訪ねて行き、遠い黄泉国に身を隠すことに致しましょう。また私の子供である百八十人の神々は、八重事代主神が先駆となり殿りとなって、必ずお仕え致しましょう。一人も背くものはありますまい」と述べている。 
 4月8日 両立併存 道を主とし力を従として両立併存せしめるのが天皇の構造である。
日本の原理は、天皇を初め道を()み行うものである。

力、権力、武力、財力を私有、領有するものでなく、すべての万民を生成化育し発展せしめるものである。 

 4月9日 西洋文明の終焉の論説  
1
20世紀初頭、ドイツのシュペングラーの「西洋の没落」で西洋ヒューマニズム思想の没落を予兆した。フランスのベルジャエフは、第二次世界大戦後、益々その傾向が深まり「現代の終末」を訴えた。 イギリスの歴史学者・トインビーは「歴史の研究」で世に訴えた。
シュバイツァーは、その著「文化の没落と再建」、イギリスのバートランド・ラッセルは「科学的展望」、アメリカのビトリュームと「ヒューマニティの再建」、スペインのホセオルテガは「大衆の蜂起」。
4月10日 西洋文明の終焉の論説 
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ポーランドのゲオルギューは「二十五時」、ドイツのヤスパース、フランスのギュスターヴ・ボン、アメリカのアレクサンダーは「理性無き時代」、フランスのガクソットは「フランス革命」、イタリアのジョウアンニ・バビーニ、カナダのカレルは「教育」、フランスのアンドレー・モロアの「家庭」、イギリスのエリオットは「宗教と文化」、ポルトガルのサラザールは「共産主義の試験台」。

スイスのアミエル、オーストリアのシュット、スイスのヒルティー、ハンガリーのケストラは「現代政治病理学」、イギリスのベンジャミン・キットは「力の学」、フランスのマルセーは「従来は自我の文化であったが、今後は第一義を中心におく文化である。第二義、第三義は自ずから定まる」と言っている。要するに、みな西洋・近代文化思想の行き詰まりと破綻、崩壊を論じているのである。 

4月11日 西洋近代文化について

中世末期のキリスト教会と封建制の行き詰まりを救ったルネッサンスに始まる。ルネッサンスは、暗黒時代の中世キリスト教会と封建制から脱して古代ギリシャ・ローマ文化の復興による人間発見、人間性復活を実現した運動である。
人間とは何か人間性とは何か

が問い質され、人間は教会に隷属し封建制に盲従すべきものではなく、個性と自我と活欲を発現して生きるべきものである。これこそが、人間の根源性であると自覚することだと唱え、中世に於いて唯一絶対の神と仰がれてきた全知全能の神を神の座から引き下し、そしてその神の座に据えられたのが「理性主義の自我・個性・活欲」である。
4月12日 理性主義

教会と封建制支配から解放された自我・個性・活欲は多くの天才を生んだ。歴史上輝かしい文化を創造した。近世となり各界に多くの天才が活気に満ちた文化を創造し長足の進歩を遂げ得たのは、自我と個性と活欲、即ち理性主義の賜物であろう。

洋の東西を問わず理性主義の波及によりあらゆる分野に天才が現れ、有史以来人類が築いてきた文化の数百倍の文化を創造したのである。近代文化思想の理性主義「自我・個性・活欲」は多大な功績と価値を遺したのである。
4月13日 理性主義の功績 先ず、第一に、身分制と世襲制からなる封建貴族社会を打倒して、万人に自由と平等を与えたことである。実力本意の社会を成り立てたのである。第二は中世キリスト教会の因襲や神秘や隷属や迷妄の世界から人間を解放したのである。 それにより学問を神学の婢から独立せしめ、超越的な権威と権力を退けて人道を樹立し人格の尊厳を成立させ、人間の知性を開発し人類の進歩に大きな貢献をしたのである。
4月14日 人間解放の原動力 近代文化は、先述の三本の柱を軸として理性主義を成り立たせ、人間解放の原動力たらしめた結果、偉大な科学文明を創造したのである。 その偉大なる西洋文化の恩恵を被らない者は誰一人もない。
特に自然科学の偉大さは形容する言葉もないものである。
 
4月15日 理性主義の弊害 然しながら、この理性主義も決して完全無欠の万能者ではなかった。近世四百年の間に、近年、む種々様々な欠陥や弊害や矛盾が発生し、人間生活を根本から行き詰まらせて、動揺、不安、混乱に(おのの)かしめているのである。 殊に、第二次世界大戦後、精神異常者の続出、犯罪の激増、性の乱れ、悪疾の蔓延、原爆の普及、公害の激増など、深刻な事態へと激烈を極めている。それは、神を捨て、理性主義に失望した現代人が恰も難破船に乗り荒れ狂う大洋に翻弄されるが如き暗澹たるものを惹起しているのである。 
4月16日 二元対立の世界 理性主義は、デカルトが「われ思う、故に吾あり」と言い、パスカルが「人間はかよわい葦である、しかし考える葦である」と言う通り、考えるということに特色がある。 考えるから進歩発展し自我が生じ様々な文化を起こるのである。然し、考えるということは、考える主体と、考える客体とに分離し、主客と客体とが対立することである。
だから、どうしても「二元対立」を超えることは不能である。
4月17日 理性主義の欠陥 これが、理性主義の特徴であると共に致命的欠陥なのである。
理性主義は、主体から独立した客観的存在の客体をそのまま認識するところに真理が普遍的妥当性のものとして意欲のおもむくまま没価的に探求を続けて行く傾向を持ち、この立場が理性主義をして自然科学世界を切り開かしめた理由である。
理性主義は、生そのものを主題とする時でさえ、生からの離脱を前提とし客観的にこれを取り扱おうとする。

生から離脱した理性主義は、二元対立に始まり、二元対立に終わって、どうしても生の本源に帰ることができないのである。
 
4月18日 理性主義と人間性 そもそも、理性主義は、生命作用や、精神とか感情を保有する人間心理を、物理的原則で規定しようとするものである。 人間は不完全にして、不合理なものである。且つ、未完成な存在である。だが、理性主義は、合理的なもの、完結的なもの、固定的なものとし取り扱うから、そこに大きな齟齬が生じて矛盾を作る。それが誘因となり人間性の崩壊や社会混乱を惹起したのである。
4月19日 人間性の調和崩壊の主因 更に、一方では、理性主義は孤立主義に立ち、他方では抽象的世界主義を伴っている。この両面は、実は内面的に関連しているのであり、それを媒介しているのが近代主義の特質である主観主義、批判 主義、という相対主義、個人主義とか自由主義という西洋思想の根本諸原理が人間の精神文化の領域まで浸透したため人間の調和が崩壊しつつある。
4月20日 人間性の崩壊 抽象的、普遍的法則のみ理性主義により追及して行くと、人間の土壌である風土からも乖離し具体的人間から遊離してしまう。 自由も尊重されるべきだが、創造と建設の為の責任と結合してこそ意味があるのだが、これを忘却すると、やがて共同体への責任を忘れ放縦的自由となり、生存競争、弱肉強食の生物的闘争主義とか物質的利己主義に堕落してしまうのである。 
4月21日 理性主義の弊害
個の崩壊
理性主義は、分析、分化と進む、分化したものは、夫々独立し、更に分化し細分化を続け、分かれた各分野は互いに純粋固有の領域を求めて孤立を始めるものである。 このように細分化してゆけば、やがて各部門を、内的に、統一・総合・調和する能力さえ喪失し、無統制、無秩序となり放縦、自堕落へとなり個の崩壊へと突き進むのである。
4月22日 素粒子と元素 事物を一面的に、どこまでも突き詰めて、分析、分化、才分化するれば最後に「分子、原子、素粒子」となる。素粒子を以って物質の基本単位とし、 素粒子の組み合わせにより様々な元素が出来る。またこの元素の組み合わせにより、色々の物質が出来るというのが科学的に極められた原理である。
4月23日 物質原理(欧米原理)は人間破壊 このような、物質の原理を人間の心理的原理として当てはめるとどうなるか。人間を分化・分析して行くと男女・動物・本能となる。素粒子にあたるのが本能ということになる。 ということは、素粒子に於いて万物が全て同一であるように、本能に於いて天才も偉人も、英雄も聖人も、俗人も悪人も廃人も白痴も同じとしうことになる。みな平等だということになるのが物質の原理である。 
4月24日 物質原理の人間の適用が悪の根源 この原理に立脚して人間を無差別平等に扱うならば、人間は何も修行したり奮闘努力する必要が消滅する。倫理道徳も不必要になる。 さすれば、人は自己を磨き、修身・斉家・治国・平天下人のため、世の為、国のために尽くすという事がなくなる。唯、己のために万物万象ありと、あらゆるものを利用しようとすることになる。
4月25日 素粒子的人間観 善悪、正邪、強弱、優劣、真偽のある人間性を無視して、万人平等の原理を人間に適用しようとするのが、素粒子的人間観である。 これは人間を限りなく堕落させ、無責任、不道徳、不純、不潔、恥知らず、徒に利害に敏感な本能的人間性を助長させ人間を獣化させることとなる。
4月26日 人間精神の統一・調和の崩壊 理性主義は、個性、自我、活欲を根底としている。だから進歩し発展し拡大するにつれて、自己超越的大本から離れ、次第に、自己本意、自己中心、自己満足に没入する。万人が悉く専制者となり互いに拘束し、干渉するという無政府的社会へと行く。近代社会が様々な問題を発生させるのは、理性主義の行き過ぎによるのである。 西洋近代化文化、理性主義は偉大な科学文明を作り上げたが、精神文化は行き詰まった。
総合性、調和性、統一性を失った、為に個々はバラバラにされ解体され、国家社会はもとより、家、親子、夫婦、他人は分断され、我が侭、きまま、勝手放題となり国家・国民の統一性が瓦解を始めたのである。
4月27日

神を捨てた近代人

理性主義を神の座に掲げたことにより現代人はそれが契機となり破滅に向っている。 では、何が人類の中心として心を一つに結びつけるのか。
それは、一元の神仏を多元化して、自己の属する宗教のみを唯一絶対として対立する宗教ではない。
4月28日 唯物万能主義

それはソ連共産主義70年間の実験により、歴史的に人間破壊を招くものと立証された。あらゆる思想は人間が産んだものであり、その思想が人間を支配できよう筈は絶対に無いのである。間違えてはならない。

理性は、生命に支えられて初めて理性の働きをなし得るのである。
一つの思想の絶対化は「人間の自由」を剥奪するのである。
4月29日 精神砂漠 古代とか中世、近世の時代には人間は何らかの形で拠り所となる中心的な心の価値基準を所有していた。 だが、現代は急速に失ってしまい、人間は、物質か利害以外の何ものも認めぬ精神的砂漠になってしまった。
4月30日 日本の成り立ちは大自然の原理に基づいている即ち「天壌無窮」。 人間とは何んぞや、人間は如何に生きるべきかを問い直さなくてはならぬ時代が再来している。人間の作った唯物主義と無神論が結託して益々社会、そして人間を根底かに混乱させているのである。 日本の神道・天皇は自然の本質に沿うものであり、大宇宙の原理に適っておる。
これに基づきさえすれば、日本国は永遠に生存可能、即ち「天壌無窮」となる所以である。
(徳永圀典)