日本の「叡知」(遷宮年を寿ぐ) その四   

平成25年4月

1日 考えて見ると戦後人は

どうであろう、考えて見ると、戦後の日本人は、聖なるものとか、清らかなるものとか、というようなものから程遠い、カネまみれの人間になっている。聖なるものに近づくという思想・概念を喪失している。

2日 欣労

日本人の労働は、欣労(きんろう)(喜びの労働)だと私は申しているが、それは天照大神の機織り以来の働く神こそ日本人の究極の原点である。キリスト教とか西欧の原理は、労働は罰の価値観からきている。伊勢遷宮では、遷宮の八年前から70人を超える宮大工等日本最高の伝統技術者が懸命に働いているのだ。

3日 日本の心魂

そして1600点もの神宝やら調度品、装束が心魂を入れて式年遷宮の準備をされているのである。香しい白木の正殿、数々の神宝は奉仕者が精魂込めて、丹精こめて、経済合理性に適合しないものを作り上げ、磨き上げる、実に素晴らしい、魂の風景が展開しているのだ。これぞ、「日本の心魂」と叫びたい。

4日 鏡は自分の心

八咫(やたの)(かがみ)が伊勢神宮に奉斎されている。もとより三種の神器の一つで、御神鏡で御神体であろう。鏡は自分の心を見つめ直すものだ。多くの神社のご神体も鏡である。心即ち魂が穢れていないか確かめる「(かがみ)」とも言える。

5日 「斎」

愚生の好きな言葉に「斎」がある。愚生の雅号は岫雲斎で斎を入れている。これは、神道から来た言葉で、斎は「いつく」と言う、神々の(いつ)く場である。お祭りの時に神様の前で心と身をととのえる。斎は学問の書物の前で、「身を調える」と言う意味もある。私の好きな感性ある語で、学問にも相応しい言葉でもある。神様が(いつ)かれるのである。

6日 戦後人は知らぬ
上座
下座

上座、戦後人は、人を接待していても、招いた方を平気で下座に坐らせ、自分は上座に座っているのが平気な人間が増えている。聞く処によると、上座は「神坐(かみくら)」を現すという。神々の(いつ)く神聖な空で神々が降りてお座わりになる場という意味もあるらしい。下座には自分が坐り、神様に近い上座に客人を座らせるという「おもてなしの精神」が原点である。

7日 自然征服の西洋文明

私は、しばしば西洋文明は荒々しい文明だと申す。それは登山でも欧米人は山を征服するという、私の感性ではとても言えない、登らせて貰うという感情しか持てない。自然征服なんて傲慢と思える。大自然の中の森羅万象の一つの人間は他の動植物と対等の立場を感じるのだ。共存であり共栄が自然の原理であろう。神道にはその観念があるが一神教のゴッドは唯一絶対神で傲慢に思える。神道は共生であり21世紀の地球保護神だと喝破している。世界にこれを啓蒙してゆきたい。

8日 日本人の心の原点

こうして、神道を考えてくると、日本人の心の原点だと痛感する。みな当たり前となり今更確認しないだけで、よくよく考察してみれば神道は実に大自然に適ったものだと理解できよう。日本人には余りにも当たり前となっており自覚しないだけである。神道は日本人の美意識、日本人の魂、日本人の心の原点に確り根付いているのだ。その象徴的な神社が伊勢神宮と言えるのではないか。将に心のふるさと伊勢神宮である。伊勢への郷愁、憧憬、意識回帰により蘇る日本人なのである。

9日 手締め

手締め、日本独特の風習。これは「けじめ」の意味である。古事記で国譲りを求められた大国主命は長男・事代主神に返答を求めたら、何も言わず手を打って承知の旨を伝えた。これが手締めの起源という。手締めの初め「イョーッ」の発声は「祝おう」が転じたものだと言われている。 

来日外国人の言葉集 来日外国人の言葉集
10日 アルベルト・アインシュタイン

この地球という星の上にも今もなお、こんなに優美な芸術的伝統を持ち、あのような簡単さと心の美しさとをそなえている国民が存在している。 アルベルト・アインシュタイン  1879-1955、ユダヤ人・理論物理学者、ノーベル賞受賞、大正11年来日。

11日 アーノルド・トインビー この聖地(伊勢神宮)において、私はあらゆる宗教の根底的な統一的なものを感じる。
 アーノルド・トインビー
1889-1975、イギリスの歴史学者、昭和42年、
伊勢神宮参拝時、神楽殿休憩室で記帳の一節。
12日 ポール・クローデル 私が断じて滅びてほしくない一つの国民がある。それは日本人である。これほど興味深い太古からの文明は消滅させてはならない。
 ポール・クローデル

1868-1955、フランス劇作家、外交官、大正10年から昭和2年まで駐日フランス大使。
 
13日 シーボルト ()いだ海と晴れ渡る空とが一つになり、この地を輝くほどに美しく見せていた。心地よい住居のある、なんと魅力的な海辺の風景だろうか。なんと実り豊かな丘、なんと神々しい神苑だろうか。
フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
 1796-1888886、ドイツの医師、博物学者、オランダ商館医師として文政6年から5年間滞日。
14日 ストロース イスラエル、パレスチナの遺物は、現在とは隔絶された過去のものである。しかし、日本の神社は古代から現在に至るまで連綿と継続し、今なお存在することに深い感動を覚える。
クロード・レヴィ、ストロース
  1908-2009、フランスの社会人類学者、昭和61年、神話研究のためイスラエルの次に来日。
15日 ハンティントン 世界のすべての主要な文明には、二ヶ国、あるいは、それ以上の国々が含まれている。日本が特異な存在なのは、日本国と日本文明が合致しているからである。
サミュエル・フィリツプス・ハンティントン
 1927-2008、アメリカの国際政治学者、日本文明を世界八大文明の一つとして定義した。
16日 ブルーノ・タウト これまで日本が、世界の与えたすべての源、独特な日本文化を開く鍵、何も足すことができない完成した形から全世界の讃美する日本の根元それは、外宮、内宮、荒祭宮をもつ伊勢神宮である。
ブルーノ・タウト

1880-1938、ドイツの建築家、昭和8年来日し、そのまま亡命した。
17日 ゴッホ まるで自分自身が花であるかのように、自然の中に生きる。こんなに素朴な日本人が、私たちに教えてくれるものこそ、真の宗教と言えるものではないだろうか。
フィンセント・ファン・ゴッホ
  1853-1890、オランダの画家、日本の浮世絵に強い影響を受けた。
18日 トルストイ 私は日本人の宗教上の信念に、深い興味を抱いている。私は神道について少し知っている。
私は、日本人の根本的な宗教原理に対する意見を非常に知りたく思う。 
レフ・二コラエヴイッチ・トルストイ

1826-1910、ロシアの小説家、明治39年、小説家・徳富蘆花から送られた手紙への返事。
19日 ギメ 日本人は、最初から自分たちを取り巻く自然環境を畏怖していた。日本人は慈悲深い大地と、海産物が豊富な海を崇拝した。神々が彼らを幸福にしてくれるのだと心底から考えたのだ。 エミール・ギメ
1836-1918、ギメ東洋美術館創設者、明治9年来日。

伊勢神宮物語

伊勢神宮物語

20日

伊勢神宮物語

伊勢神宮には2000年の歴史がある。皇居で二千年前にお祀りしていた天照大神を伊勢の地にお祀りするととなった。間違いなく二千年前からである。それ以前の事だが、天照大神は「大日る(おおひるめの)(むち)」と書かれ、天の岩戸神話で分るように太陽を象徴する女神である。神話の時代には高天原におられた。大神は、孫の瓊瓊(にに)(ぎの)(みこと)に「三種の神器」と「お米」を託して長い旅をさせた。瓊瓊(にに)(ぎの)(みこと)は高天原から高千穂に降臨し、その後、瓊瓊(にに)(ぎの)(みこと)の子孫が大和の国へ来て天皇のご先祖になられた。国の開闢(かいびゃく)()からお米、瑞穂の国なのであり、我々の祖先のロマンを感じるではないか。このような長い歴史があり天皇は皇居で天照大神をお祀りしてこられた。

21日 ここに居たいと思う 第十代の天皇・()(じん)天皇の時代、日本書紀によると、疫病が国中に起り多くの民が死亡した。さらに災害が次々と発生し、どうするべきか占いをする。それにより天照大神を皇居の外の適した場所にお祀りすることとなった。最初にお祀りしたのが、笠縫邑(かさぬいむら)、奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社に近い檜原神社と推定されている。次ぎの第十一代・垂仁天皇の皇女の倭姫命はさらに良い地を求めて長い旅をされ、夢のお告げがあり宇陀の佐々波多の宮、近江、美濃など各地を巡幸され伊勢の国へ入られます。そして現在の内宮の地、五十鈴川の川上に辿り着いて「ここに居たいと思う」との天照大神の声を聞かれた。
22日 二千年一貫して続いている どうして伊勢なのか、日本書紀によると「神風の伊勢の国は、常世(とこよ)の浪の重浪(しげなみ)()する国なり。(かた)(くに)可怜(うまし)(くに)なり。()の国に居らむと(おも)ふ」との理由であった。要するに天照大神ご自身が選ばれた土地で、垂仁天皇26年の秋、9月に神宮はご鎮座された。これが現在続いている神嘗祭の日である。二千年一貫して続いているのだ、凄い国・日本だと誇りにしてよい。
23日 伊勢神宮の創立記念日が
神嘗祭
神嘗祭は言うならば伊勢神宮の創立記念日である。伊勢神宮の神職によると、伊勢神宮は正式な、古来からの神嘗祭をする所と定義して良いのではないか。なぜなら、天皇陛下がじきじきに、天照大神が民の主食にせよと授けられたお米を「今年も約束通り作りました」とご報告する所が伊勢神宮だからである。その神嘗祭の20年毎の大きな神嘗祭、それは建物から神宝や装束、総て一新する大きな神嘗祭が「式年遷宮」なのである。式年遷宮は我が国の最も重要なお祭りで、戦前までは国家挙げての公の儀式であった。日本国民を元気づける祭りなのである。
24日 日本のお米の由来と皇室 日本のお米、縄文時代の後期に伝わって来たものだ。天照大神が高天原でこの米の種を手に入れた時、これから民の主食にと大層喜ばれたのであろう、瓊瓊(にに)(ぎの)(みこと)に托された。であるから子孫の歴代天皇は、お米を自ら作られて天照大神との約束通り「瑞穂の国で、今年もお米を作りました、豊作でした、来年も宜しくお願いします」と祈り続けて来たのである。素晴らしい伝統ではないか。ご鎮座以来、毎日、朝夕「今年も神嘗祭が無事に奉仕でき、皇室を中心に日本国中の人々が平和に暮せますように」と祈り続けられでいるのだ。
25日 なぜ鏡がご神体なのか 伊勢神宮の内宮には皇室の御祖(みおやの)(かみ)であり、日本人のご先祖でもある天照大神が祀られている。そのご神体は三種の神器の一つ「八咫(やたの)(かがみ)」である。なぜ鏡がご神体なのか。それは愚生がしばしば述べているように、鏡は裸の己れを写す。明るさの象徴でもある。また、民族の永遠性を確認するものとも言える。自分自身を見る度に祖先と類似の己れの顔―生命の永遠性を確認もしているのだ。そう、命の繋がり、天照大神の心、魂、これを分霊と称して伝えられてきているだ。命の繋がり、これこそ分霊なのであろう。枕を粗末にしないのは子供の時の躾であるが枕は魂が宿る場所だから、そのように親が躾けていたのであろう。日本人の感性では魂の入れ物だからである。橋の欄干上の擬宝珠(ぎぼし)、神社の柱の上の宝珠(ぎぼし)は魂の図だと言われる。
26日 外宮 内宮ご鎮座後500年、現在から1500年前、第二十一代雄略天皇時代に外宮が創建された。雄略天皇は夢のお告げで、丹波の国にいらっしると言う豊受大御神を探しに行くと、天橋立付近に豊受姫の神様が祀られていたので伊勢へお招きすることになったのが外宮である。お米を中心とした、衣食住、エネルギーなど産業を司る神である。この二つの神様を内と外にお祀りして「伊勢の神宮」として代々の天皇がお祀りしてこられたのである。豊受大御神にはご鎮座以来、神饌をお供えするお祭りが今日まで朝夕欠かさす行われ()(ごと)朝夕(あさゆう)大御饌(おおみけ)(さい)である。
27日 式年遷宮 今年は遷宮第62回である。20年に一度だから1200年は続いている歴史的なものだ。足掛け8年にら亘るものの総仕上げ年だ。そして、清々しい神宮に再生するのだ。日本人の叡知、ここに極まれりと痛感する。素晴らしい祖先を日本人は持っている。中国とか韓国とか中近東とかを見ると実に、さもしい人間集団に見えてくるではないか。
28日 てて長き例となせ

日本文化の真髄
飛鳥時代、天武天皇が定め、持統天皇4年、即ち西暦690年に第一回遷宮が行われている。天武天皇は「立てて長き例となせ」とのたまわれた。世界中に、こんな国はありませんね。素晴らしい日本です。これは「(とこ)(わか)」という哲学だ。伊勢にお参りすることも(とこ)若力(わかりき)頂戴することになる。常に瑞々(みずみず)しく、生まれ変わり、永遠に若くを願う日本文化の真髄であろう。太陽、或は大自然の運行がその根元にあるのであろう。洵に理に適っている。
29日 天照大神蘇り それは天照大神蘇りの儀式であろう。古いお宮へは10時に古米で作った神饌をお供えし、そして遷御され神様が蘇えられる。新しい正殿で、今度は新米で神嘗祭が行われる。お米、稲は日本人にとり「命」であり、命の根は「いね」、元気の元である。この行事を繰り返すことで永遠に瑞穂の国が繁栄し続けるのである。叡知と言わずしてどう言うのか知らぬ。 
30日 常に若々しく、常に瑞々しい日本であれ!! 神宝と装束
余談であり本論でもあるのが遷宮の時に一新される神様の装束や神宝である。2500点あるそうだ。真心込めて作られた、その時代の最高の神様の調度品である。国宝級の職人さんの持てる技術と精神を傾注した品々ばかりと言う。これを20年毎に作り変える。これは日本の技術、伝統、文化の次世代への引継ぎである。正倉院御物に匹敵するような調度品が1300以上継続されているのだ。誇りに思う。凄いシステムだ、こんな国は世界にはない。また、近代国家にはない。将に日本とは人類遺産と称して良い国なのである。これ亦、(とこ)(わか)である。常に若々しく、常に瑞々しい日本であれ!!