日本、あれやこれや その48
平成20年4月

4月1日 インド初代大統領ネール 「アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国々に大きな影響を与えた。私は少年時代、どんなにそれに感激したかを、おまえによく話したことがあったものだ。沢山のアジアの少年少女、そして大人が、同じ感激をした」

百年前の1904年に日露戦争、当時の世界地図は、地球上の殆ど凡てを欧米白人列強が植民地化していた。アフリカ、東南アジアは彼らの分捕り合戦でズタズタであった。

4月2日 西欧白人の支配構図 1875年当時には地球の67パーセント、1914年には地球の84パーセントを西欧白人が支配していたのである。 当時、実質的に彼らの植民地支配を免れていたのは、「日本とタイ国」ぐらいなものであった。
4月3日 乾坤一擲の戦い 当時、ロシアがドンドン南下して朝鮮半島を植民地化しようとしていた。日本はロシアと闘いたくなかった。朝鮮は将にロシア化せんとしていた。 日本はロシアと乾坤(けんこん)一擲(いってき)の闘いをしたのである。苦闘の末、日本はロシアに勝利し植民地化を免れたのである。
4月4日 抑圧された人々の狂喜(きょうき)乱舞(らんぶ) 欧米に植民地化されていて、抑圧された人々は、アジアの名も知らぬ小国・日本が、西欧の巨大国ロシアに勝利したので狂喜乱舞した。 イギリスの歴史最大の収奪と抑圧に苦しんでいたインド・ネールも冒頭の言葉のように欣喜したのである。
4月5日 ネールの驚嘆 「日本は明治維新で、驀進を始めるや、失われた時を埋め合わせ、ヨーロッパ諸国に追いつき、彼らを打ち負かした」。 「ひとり日本だけが、肩を聳やかして白人と対等の地位に立ちヨーロッパに対した」
4月6日 日ロ戦争が世界に及ぼした影響

西欧文明の強力な軍事力や工業力には敵わないと思い込み、強力な西欧の力の前に支配されるのが当然と思っていた植民地の人々に「小国を以てあの大国を打ち破れるなら、自分たちに出来ないことはない」と独立運動に目覚めさせることとな

った。
インドのガンディも「日本がロシアの武力に対して輝かしい勝利をおさめた事を知って感動に身震いした」と云った。中国の孫文すら、スエズ運河を通る際、日本人と間違えられてアラブ人から大変祝福されたというエピソードがある。
4月7日 初代ビルマ首相バー・モア 「最初のアジア人の目覚めは日本のロシアの勝利。それは凡て虐げられた民衆に新しい夢を与えた歴史的夜明けであった。私は今でも日ロ戦争と、日本の勝利の感動を思い起こすことができる。(中略)ビルマ人は英国統治 下にて初めて、アジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。」
それは我々に新しい誇りを与えてくれた。歴史的に見れば日本の勝利は、アジア人の目覚めの発端、またはその出発点とも呼べるものであった。
4月8日 独立・解放運動に点火 その他、トルコ、イラン、フィンランド、エジプト、などの国々も驚嘆し、歓声の声をあげた。黒人の解放運動にも火がついた。独立運動は日本 の勝利が一つの大きな原動力となったのである。他方、西欧サイドは、有色人種の独立運動が活発化し、植民地化、奴隷化することは、最早や不可能となった。
4月9日 日本が負けておれば? インド詩人タゴールは言う「もし、日本が日ロ戦争に負けていたら、世界の趨勢はどうなったか。タゴールは言う「アジアに於いて日本だけが、ある日突然ヨーロッパが世界を制覇したその同じ力を以て、ヨーロッパに逆襲できると考えたのである。その覚醒がなかったら日本もまたヨーロッパの車輪の下敷きにされ

再びであり再び立ち上がる術はなかったであろう」。負けておれば、日本は植民地化され、今でもロシア領であったであろう。西欧に歯向かえる者は世界に居なくなり、それで白人の世界制覇は完了していたであろう。アジア人は今でも欧米の植民地であり奴隷であったと思われる。日本の勝利で白人は世界制覇を断念したのである。 

4月10日 李登輝(りとうき)」物語  李登輝は、自分の人生に最大の影響を与えたのは日本の教育であると言い、更に有り難いとまで言うのである。「若い時に受けた日本教育が持っていた非常に純粋な人間的な側面、つまり、人間とは何ぞや、我々は、どう生きるべきか、生死とは、と言った問題を、 あの時代に体得できたことを私は個人として非常に感謝している。日本文化について私に理解があるとしたら、あの時代に私が受け取ったものが非常に大きかったということに尽きるだろう。本当に感謝している」。  
4月11日 日本教育が持っていた非常に純粋な人間的な側面 李登輝は、自分の人生に最大の影響を与えたのは日本の教育であると言い、更に有り難いとまで言うのである。
「若い時に受けた日本教育が持っていた非常に純粋な人間的な側面、つまり人間とは何ぞや、我々はどう生きるべきか、
 
生死とは、と言った問題を、あの時代に体得できたことを私は個人として非常に感謝している。日本文化について私に理解があるとしたら、あの時代に私が受け取ったものが非常に大きかったということに尽きるだろう。本当に感謝している」。
4月12日

李登輝は日本の本も沢山読んでいて言う。「日本の思想、伝統、文化といったものの影響は、私の中では非常に大きい。日本の古典もよく読みましたよ。「古事記」を読み、本居宣長の「玉勝間」を紐解き、「源氏物語」や「枕草子」「平家物語」などに至るまでね。

岩波文庫なども読み漁って当時700冊以上持っていた」これは日本人顔負け、学者も顔負けであろう。「青春時代の魂の遍歴に最も大きな影響を与えた本を二冊あげよと言われれば」、ゲーテの「ファウスト」、倉田百三の「出家とその弟子」、トマス・カーライルの「衣装哲学」だという。

4月13日 日本人なら、是非共読むべし

カーライルの「衣装哲学」の深奥を読み下すのに難渋していた李登輝が見つけたのが、新渡戸稲造の講義録であった。今まで理解に苦しんでいたものが、それを見て氷解したと言う。それから新渡戸に心酔して行った。

そして新渡戸の武士道に到達する。「日本人なら、是非共読むべし」と言う。「日本の武士道は素晴らしいのであり天下無比のパワーを秘めている。このような「不言実行」あるのみの不文律を築き上げた民族の血を引く日本人は、もっともっと自信と誇りを持ち、積極的に「國際社会のリーダー」の役割を果してゆくべきだ」と言う。 

4月14日 「大和魂」の精髄

李登輝は「日本精神、即ち「義」を重んじ、「誠」を以て、「率先垂範」、「実践躬行」するという「大和魂」の精髄が、今猶、脈々として「武士道」精神の中に生き残っていると信じきっているからこそ、日本と日本人を愛し、尊敬している」と言う。

「この大和魂こそ、日本人が最も誇りに思うべき普遍的真理であり、人類社会が今直面している危機的状況を乗り切っていく為に、絶対に必要不可欠な精神的指針ではないか」と言う。
4月15日

李登輝は続ける「武士道」は何も武芸礼賛軍事書に非ず武士の厳しい戒律が書かれた本でもない。寧ろ日本人に於ける道徳の道を説いたものだ」。

新渡戸は、その書の巻頭に言う「ある時ベルギーの学者と話している時、その学者が日本には宗教教育が無いと知り驚き宗教教育無くして、どのような教育をするのかと聞かれた際、新渡戸は愕然とし答えられなかったと言う。
4月16日

新渡戸の言葉

新渡戸は「何故なら私が幼い頃学んだ「人の(みち)たる教訓」は学校で受けたものではなかったからだ。そこで私に「善悪の観念」を作り出させた様々な要素を分析してみるとそのような観念を吹き込んだものは武士道であったことに漸く思い当った」と言う。

外国、特に西欧では、宗教教育が道徳教育になっていることが多いが、日本の場合は著しく異なり、宗教による道徳教育はありませんでした。それに代り、「目に見えない、明文化されてもいない、だから本にもなっていない(武士道)というものが道徳の規範でした。文字に書かれていないが、代々口から口へ伝えられ、人から人へ伝わり、心から心へ伝わっていく。 

4月17日 明文化されない文化 日本には明文化されない文化がある。例えば神道、キリスト教などと違い、神道は聖書も無く、明文化された教義も無い。 このように日本は「明文化されていない文化」の文明なのである。明文化しなくてもよい、その必要がない土壌なのであろう。
4月18日 モーゼ、論語、孟子の民は モーゼの十戒は「殺してはいけない」、「盗んではいけない」、「偽証してはならない」などと言うのは、そのような行為が実際に沢山あったからその戒めとして発したのである。 中国の、孔子や孟子の儒教なども、行いが出来ない民だからこそ、しつこく教えた、それが「論語」等の文章化され継承されたのである。 
4月19日 古代から高い日本人のレベル

聖徳太子の「十七条の憲法」もモーゼ、孔子、孟子のようには説きません。日本の場合は、「当たり前」の事であり書く必要が無かったのが真実である。

外国では、明文化し厳しく教えなければならなかった。日本では古代から常識以前の当然のことなのであった。孔子の教えは、それを確認したに過ぎないのでのである。

4月20日 ヒュースケン オランダ人だが幕末のアメリカ全権大使ハリスの通訳、ハリスの片腕として日米外交交渉に寄与した。薩摩藩の攘夷派に暗殺された。残念なことをしたものだ。次の彼の言葉を知るがよい。
「いま私が、いとしさを覚え始めている国よ、この進歩は本当に進歩なのか? 
この文明は本当にあなたの為の文明なのか?
この国の人々の質朴な習俗と共に、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、至る所に満ちている子供達の愉しい笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見出すことが出来なかった私には、おおも神よ、この幸福な情景が今や、終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ちこもうとしているように思われてならないのである」。
4月21日 西洋の悪徳 外交交渉、特にアングロサクソンのアメリカは戦後でも日本人に恫喝に近いことをされているしその戦略、戦術は日本人を越えた容赦のない残虐性がある。ヒュースケンのボス・ハリスも同様であった。交渉で困惑している日本の幕府役人に対し通訳の彼は 「可哀相に!私は同情を覚えた」と云っている。このように優しい人柄のいいヒュースケンは日本の事をも心配し、今後欧米の「悪徳」が日本に入り日本を蝕むと懸念したのが前日の言葉である。愛想のいい闊達な若者の彼は、みなから愛され、日本人にも外国人にも人気かあった。 
4月22日 ヒュースケンの感動

それは、富士山を見た時の彼の感動である。「谷間におりて、天城の山頂に去来する雲から外に出ると田畑がひらけてくる。やわらかな陽射しを受けて、うっとりとするような美しい渓谷が目の前に横たわっている。とある山をひと巡りすると

立ち並ぶ松の枝ごしに太陽に輝く白峰が見えた。
それは一目で富士ヤマであることが分かった。今日初めて見る山の姿であるが、一生忘れることはあるまい。この美しさに匹敵するものが世の中にあろうとは思えない。(中略、続く)。
4月23日 ヒュースケンの感動 「ここでは稔り豊かな田園の只中に大地と齢を競うかのような松の林や楠の老樹が帝国の古い神々の祠堂に深い影をさしかけるところ豊かさと清けさのこの殿堂を背後から包むようにして、たぐい稀な富士ヤマのすっきりした稜線が左右の均整を保ちながら高く聳えたち清浄な白雪は夕日に映え

て、恰もコイヌール(大きなダイヤモンド)のように、青い山肌を薄墨色にかげらせている。私は感動の余り思わず馬の手綱を引いた。脱帽して「素晴らしい富士ヤマ」と叫んだ。頭に悠久の白雪を戴き、緑なす日本の国原に、勢威四隣を払って聳え立つ、この東海の王者に久遠の栄光おれ!」と讃えている。 

4月24日 ベルツ「日本よ、さようなら」 ドイツの医師、東京大学教授。日本女性と結婚、1876年来日。 「もし日本人が現在 アメリカの新聞を読んでいて、しかもあちらの凡てを真似ようというのであれば、その時は、その時は、日本よ、さようならである。
4月25日 アメリカの真似を怖れた ベルツは日本の西洋化をよく思わず、「日本であること」を大切に考えていた。欧米の真似をして日本本来の良い所を失くしてしまうのを怖れていた。 「はき違えたアメリカ渡来の自由精神である」と言い「自由を標榜して事を行うアメリカ」に警戒心を抱いていた。 
4月26日

伝来の日本喪失を憂う外国人

ベルツのように日本の本来の良さを失うのを怖れた外国人は沢山いた。 「西洋と出会う以前に日本人が本来もっていた、つまり生活の芸術化、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらの全てを純粋に保って忘れずにいて欲しいものです」アインシュタイン。
4月27日 外国人識者の日本評価 ラフカディオ・ハーンは、「日本の場合は危険がある。古くからの質素で健全な、自然で節度ある誠実な生活様式を捨て去る危険性である。質素さを保つ限り日本は強いだろう。しかし贅沢な思考を取り入れたなら弱くなっていくと考える」。 マハティール、マレーシア首相は「日本人にとって最大の危機は、外国の脅威でもなんでもない。日本人が日本に自信をなくし、外国のシステムに同調することで自らを救おうとしていることこそが、最大の危機なのではないか」、「日本固有の文化にもっと誇りを持つべきです」。「あなた方の文化は、本当に優れているのです。日本の力を忘れてはいませんか」。
4月28日 外国人の日本評価のまとめ 西洋文明を取り入れることは、害悪があるので余程気をつけ、日本本来の素晴らしい伝統文化や日本人らしさを大切にすべし。 勝れた伝統ある文化を持っている日本こそ、それをベースとしてアジアや世界のリーダーたり得る。
4月29日 世界の偉人の忠告 西欧人自らが、西欧のものは有害で野蛮でさえあると言う人が実に多い。そして、その導入には気をつけよと言うのである。遅きに失しているが瞬時に改善しなくてはいけない。 素晴らしい伝統ある日本人が世界をリードできるというのである。だが、いかんせん日本人の自覚が欠如している。 
4月30日 ベルツの驚き

ベルツは明治憲法の式典の際、明治天皇の他、最後の将軍であった徳川慶喜や、その次期将軍予定であった徳川家達公が参列したのを見て驚嘆した。

敗軍の将が殺されるどころか、現政権担当者と一緒に参列していたからである。
これは西欧では考えられない。西欧では、敗者は常に断頭台である。この点、日本では、一旦負ければそれまでで、必要以上に血は流さない。