相と知識と精神
学校でやる勉強とか、単に本を読むとか暗記したりするような知性の働き、これは脳の働きとしては、極めて機械的なものである。「労働知」という。
この働きが、もっと練られてきて、「性命的」になってくると、「深い知力」となってくる。
学校の秀才が、必ずしも、否、社会の於いては、破れたり、嫌悪されたりするものが多い。これは、脳の機械的働きが出来ていても、「メジテイト」が出来ないからだと言われる。
われの思想とか知識とか学問、というものは、理屈っぽい段階から、直感的になり、物を動かす動的な力、つまり感化力のあるものにならねば本物ではない。
そうなると、段々と具体化してこなければならぬ。
本に書いてあるだけではなく、その人の顔に書いてある、一挙手、一投足、一言一行に現れるようにならなければならないと言う。特に指導層には不可欠な人間的要素だと私は確信している。
私は指導者でないから、自分のことは棚に上げて論評するのである。
このような人間の傾向が格別に最近、日本の指導者の顔に見られており、甚だ情けない暗澹たる気持ちに襲われる昨今である。
更に述べれば、指導者の「人格」、あるいは言動、思想、知識・学問とかが別々の中途半端で、学んだ「真理」とか「哲学」がembody、エンボディ、つまり「体現」されていないから生じていると思うのである。
つまり、「真理とか学問とか知識」がその指導者の、
或はトップの「相」とならねばならぬという事である。
かかる観点で、最近の各界のトップの相を見ると、嘆かわしい人々が極端に多く残念である。
もっと、赤裸々に表現すれば、50歳から60歳の組織のトップの面相が、私から見ると、「お兄ちゃん」という面が多いのだ。
これの原因は、やはり、頭が良くて、一流大学を成績優秀で卒業し、公務員の上級試験もパスし、それだけで、スイスイとトップになったのであろうと推察するのである。それは、経済界とかも然りであり、学校の教員も例外ではない。
私は思うに、それを一言で言えば「精神性」の欠けた面相だということだ。実社会で、或は個人の生活で、成長段階で、耐え忍ぶことの経験のない、知識と口先きだけの過程しか経験のない証左であると直感するのである。
そういう連中が、政界、財界、官界を問わず指導者にいる、これは極めて日本国の運営という点で危険な状態を迎えつつあると悲しむのである。
現実の洞察の直感を披瀝したい。
小沢一郎――人間性、精神性は全く感じない。人物はよくない、権力的、唯物 的な人物。
麻生太郎――坊ちゃんにしては逞しい。媚びる点が災いしている。
鳩山由紀夫―肌感覚で人間の味わいの分かる人間ではなさそうだ。
菅直人――精神性の完全欠如、人間性も欠如、口先男、
人相が一段と劣化してきた。
興石 東――ひねた相だ、悪いことばかり考えてきた男ではないか。最近有頂天になっている。
塩川正十郎―さすがはいい顔している。こんな練れた人物こそトップにいて欲しい。
橋下知事ーーこんな人物こそ日本のトップになつて欲しい。申し分無し。
安倍前総理
福田前総理ーーこの人物は、元来、総理になるべきでなかつた。ヒネタ性癖で床の間には無理。
亀井静香−人間は悪くなさそうだが、真っ当な街道を歩いていないかも、トップとしての魅力は絶無の相となった。
福島瑞穂―本来的に、日本人ではないような気がする性質である。日本人として嫌な女だ。
某地方の官僚――トップだが、最近、初めてテレビ・新聞で顔をみて、その軽さ、そのお兄ちゃん程度にあっけに取られた。権威あるポストの人とは思えなかった。劣化の著しい日本人の典型を見た思いがした。本コラム執筆の動機となった。