老子・荘子を読む その四
平成21年4月度
4月1日 | 来たるものを拒まず・・ |
「その来たるや却くべからず。その去るや止むべからざるなり」 (田子方篇) |
私は、これといって人様より優れている点があるわけではないし。思うに、地位や名声というものは、向こうからやってくるのを拒むことはできないし、逃げて行くのを無理に引きとめることもできない。 だから、やって来ようが逃げて行こうが自分には関り無いことだと思っていっこうに気にしないのである。これは楚の国の評判高い賢者・孫叔敖の言葉である。 |
4月2日 | 束の間の人生 |
「人、天地の間に生くるは、白駒の郤を過ぐるが若く、忽然たるのみ」 |
白い駒、郤は隙と同じで戸の隙間。荘子によれば、人間がこの世にあるのは仮の姿、変化の中の一つの過程に過ぎない。だから、生まれて来たからと云って、喜ぶこともないし、死んで行くからと云って悲しむこともないと云う。 |
4月3日 | 人知を超えたもの |
「至言は言を去て、至為は為を去つ。知の知る所を斎りとすれば則ち浅し」 (知北遊篇) |
言葉では表現し切れない深いものがある。行為も最高のものにしようとすれば作意を捨てなくてはならぬ。知識も、人間の理解し得る範囲に限定すれば、どうしても底の浅いものになる。荘子は「無為自然」が念頭にあったのであろう。人知の中で満足していては底の浅い知識しか持ち得ない。人間としての器量まで浅くなる。 |
4月4日 | 歳計を |
「日にこれを計りて足らず、歳にこれを計りて余りあり」 |
庚桑楚は無為自然を体得した人物、彼は利口ぶる召使、仁者ぶる女中にみな暇をだした。そして愚かな人間や気のきかない連中ばかりを手元においた。不思議なことに彼の徳に感化されて村は目に見えて豊かとなった。その日その日の勘定は合わずとも長い目の帳尻が合えばそれでよいのである。日計よりも歳計、歳計よりも十年の計、十年の計よりも一生の計で対処したいものである。 |
4月5日 | 身の置き所 |
「函車の獣も介りにして山を離るれば則ち罔罟の患いを免れず。呑舟の魚も碍して水を失えば則ち蟻能くこれを苦しむ」 (庚桑楚篇) |
どんな人物でも身の置き所を誤ると、折角の能力を発揮できないばかりか、自分の身すら危険にさらされるという意味。 |
4月6日 | 心ゆたかな人生は |
「汝の形を全うし、汝の生を抱ち、汝の思慮をして営々たらしむること勿れ」 (庚桑楚篇) |
心豊かな人生を送るのに、どうすればいいか。庚桑楚という隠君子の答えである。 「そなたの肉体を全うし、そなたの生命を安らかに保ち、余計なことを、あくせく思い患わぬようにするがよい」という。 汝の思慮をして営々・・、毎日、怒ったり悩んだりしたことが、一週間とか一カ月も経つときれいに忘れ去っていることが多い。 随分とつまらぬことに拘泥していたと反省させられるものだ。 心の健康にマイナスである。 何故、かくもツマラヌことに拘るのか、それは、一面的な価値観に災いされているからだ。 |
4月7日 | 煩悶は生を全うせず |
「不仁なれば則ち人を害し、仁なれば則ち反って我が身を愁えしむ。不義なれば則ち彼を傷つけ、義なれば則ち反って我が己を愁えしむ」 |
義と仁は人倫の規範、「仁」は他人への思いやり、いたわり。 「義」は人間としての正しい道。 この二つが欠けていると人を傷つけたり害する。 仁は他人を助けたい気持ち、だが中々実行が難しい。 義は曲がっておれば正したい気持ち。 これらの中で我が身を愁うのが大方の人間の実情。それらに捉われて苦しむのは生を全うする所以ではないというのだ。 |
4月8日 | 身を委ねる |
「行きて之く所を知らず、居りて為す所を知らず、物と委蛇してその波を同じくす。これ衛生の経のみ」 (庚桑楚篇) |
衛生は養生、与えられた生命を全うすること。 「経」とは不変の真理。 それは、「歩いていても、どこに向うかという目的意識も持たない、坐っていても何をしようかという思慮分別も持たない、ただ外界の動きに身を委ねて少しも逆らわない」 |
4月9日 | 身を委ねる 2 |
大いなるものの意思を受け入れ、自然のリズムに合わせて生きてゆく、そのような生き方を言う。これを具体的に荘子は次のように指摘する。 |
@自分のペースを守り、見失わない。 A根本原理を把握して吉凶を判断する。 B能力の限界を心得て危険に手を出さない。 C頼るのは飽くまで自分。 D拘りを捨て愚者のように無欲、赤ちゃんのように無心になる。 |
4月10日 | 包容力に欠ける人間は |
「人を容るる能わざる者は親しむことなし。親しむことなき者は人を尽くす」 |
他人を包容していけない人間は親愛の情に欠けている。 親愛の情に欠けている人間は、他人を容赦なく痛めつける。 そのような人間は一時的に成功しても、長続きしない。 包容力に欠けるからである。 |
4月11日 | 包容力の第一歩 |
荘子の言う包容力の身につけ方は 「物と窮しくする者は物入る。物と且む者は、その身すらこれ容るる能わず。焉んぞ能く人を容れん」である。 |
他人に対して、自分を虚しくすることが出来れば全ての人間が慕い寄ってくる。逆に、他人に対して壁を作るなら自分の身さえ受け入れることができない。まして他人を包容することなど無理な相談だ。わかり易く言うと、人と話すとき、相手の意見にじっくり耳を傾ける。これは包容力の第一歩である。 |
4月12日 | 無為自然こそ |
「寇は陰陽より大なるはなく、天地の間には逃るる所なし。陰陽これを賊うにあらず、心則ちこれを使しむるなり」 |
寇とは敵のこと。人間の敵は、陰陽の調和が破れるほど大きな敵はない。そのような事態になったら、この広い世界、どこにも逃げて行くところはないと云うのだ。世界は、陰と陽のバランスの上にあると考えた中国人。だが、荘子はいう、陰陽の不調和は人間を害する大敵だが、根本は、陰陽の気が人間を害するのではなく、実は自分の心の乱れがそうさせるのだという。どんな事態になっても、慌てず騒がず平常心で対処する為には、無為自然の大いなる道を体得するしかないという。 |
4月13日 | 形式に拘らない 1 |
「至礼は人とせざるあり。至義は物とせず。至知は謀らず。至仁は親しむことなし。至信は金を辟く」 (庚桑楚篇) |
最高の礼というものは他人だということを意識しない。 最高の義というものは対象を差別しない。 最高の知というものは、謀をめぐらさない。最高の仁というものは、親愛の情を見せない。 最高の信というものは、証文を必要としない。 |
4月14日 | 形式に拘らない 1 |
「至礼は人とせざるあり」について荘子は、仮に市場での人ごみの中で他人の足を踏んだらどうするか。大概の人は「失礼しました」と言い丁寧に詫びることはしない。処が踏んだのが兄の足であったら、軽くさすっただけですまし、親の足なら別に改まった挨拶などしないであろう。最高の礼というものは、形式などに囚われず自ずから通じ合えるものがあれば、それでよいのかもしれない。 |
「至信は金を辟く」の金とは、誓約のしるしに用いる黄金製の品物、婚約の時に交換される金の指輪のようなものだ。 信頼できない相手からそんなものを幾つ貰った処で何の足しにもならぬ。逆にお互い信じ合っておれば改めてそんなものを交換する必要はないのである。 |
4月15日 | 本生を全うする |
「民を愛するは民を害うの始めなり。義をなし兵を偃むるは、兵を造すの本なり」 (徐無鬼篇) |
民を愛するとか義のため、平和のためという言葉は恰好いいが、結果はきまって民を害い、戦争を引き起こしている。どうしても、心の安らぎを得たいということであれば、何よりも先ず、己の本性を全うし、無為自然の道従うことだという。そうすれば自ずから世の中は平和に治まるので、こと改めて平和を語ることもなくなるという。 |
4月16日 | 治世と馬飼い |
「天下を為むる者は、また奚を以ってか馬を牧う者に異ならんや。またその馬を害う者を去らんのみ」 |
天下を治めると言っても、馬を飼うのと別に何の変わりもありません。馬の本性を害するものを取り除いてやるだけのことですよ」。 |
4月17日 | 賢と謙虚 |
「賢を以って人に臨めば、いまだ人を得る者あらざるなり。賢を以って人に下れば、いまだ人を得ざる者あらざるなり」 (徐無鬼篇) |
徳を人に分かつ人物を聖人、財を人に分かつ人物を賢人という。この賢を鼻の先にぶらさけで人々に臨めば総スカン |
4月18日 | 沈黙 |
「丘や不言の言を聞けり」 (徐無鬼篇) |
丘とは孔子の名、楚王から政治のコツを聞かれた孔子が答えた言葉である。「言うは言わざるに如かず」という言葉がある。能弁より沈黙が説得効果も高い。 |
4月19日 | 人物論 |
「狗は善く吠ゆるを以って良となさず。人は善く言うを以って賢となさず」 (徐無鬼篇) |
呂新吾という明代の人は、その著書「呻吟語」で、人物を三ランクに分類している。 「深沈重厚なるは、これ第一等の資質、 磊落豪雄なるは、これ第二等の資質、 聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と。 |
4月20日 | 田舎者その一 |
「濡需なる者は豕の蝨これなり。疎鬣を択び、自から以って広宮大囿となす」 (徐無鬼篇) |
濡需なる者とは、外に広大な世界のあることも知らず、飲んだり、食ったり、泣いたり笑ったり、日常的な生活の中に埋没している人間のことである。荘子によれば、それは豚にたかっている蝨のようなものだという。何故なら、ブタの毛のマバラナ背中のあたりに住みついて、恰も大邸宅に住んでいるかのように太平楽をきめこんでいるからである。 |
4月21日 | 田舎者その二 |
だが、ブタの虱の太平楽は束の間の平安に過ぎない。やがてブタ殺しがやってくると、ブタを殺して下から火をつけると、虱もブタと共に丸焼きにされる。大状況が変われば、小状況の平安など、あっと言う間にふっとんでしまう。 |
人間も同様、狭い世界の富貴栄達に安住して広大な世界に目ざめない限り、本当の平安は得られない。そこに濡需なる者の危うさがあると荘子はいう。 |
4月22日 |
蝸牛角上の争 |
「所謂、蝸なるものあり、君これを知るか」 (則陽篇) |
蝸牛、かたつむりのことである。蝸牛角上の争いという言葉がある。小さい蝸牛の角の上の争いで、小さい問題を争点にする愚かしさを言う。 |
4月23日 | 人間の本性と 社会の関係 |
「力足らざれば則ち偽り、知足らざれば則ち欺き、財足らざれば則ち盗む」 (則陽篇) |
力が足りなかったら、ごまかすようになる。 知が足りなかったら、だますようになる。 財が足りなかったら、盗みをはたらくようになる。 人間と言うものは、ややもするとこういう方向に走り勝ちなものだという、だから、力や知や財を重視する社会では偽りや欺きや盗みは後を絶たないということになる。 |
4月24日 | 六十に六十化す |
「きょ伯玉、行年六十にして六十化す。いまだかってこれを是とするに始まりて卒りにこれをしりぞくるに非を以ってせずんばあらざるなり」 (則陽篇) |
六十になるまでに六十回も自分の生き方を変えた。初めは正しいと肯定したことでも、終わりには間違っていたと否定しないことは、一度もなかった。 淮南子には「きょ伯玉、年五十にして四十九の非を知る」とある。 |
4月25日 | 変化の原理 |
「随序のあい理むる、橋運のあい使しむる、窮まれば則ち反り、終れば則ち始まる」 (則陽篇) |
随序のあい理むる、これは陰陽の変化、四季の移り変わりが秩序正しく行われること。橋運のあい使しむるとは、はねつるべの反覆運動が規則正しく行われること。そのような変化や運動は、「行きつく所まで行けば、また元に戻り、終ればまた初めに返っていくのが自然の道理である。この世の中の全てのものは、このような有為転変を免れない。人生もまた然りなのである。 |
4月26日 | 変化は宇宙の原理 |
易経にもある、「窮すれば則ち変ず、変ずれば則ち通ず」と。これは、宇宙の原理は「変化」であると喝破している私にとり真理の言葉である。 |
禍は福となり、福は禍となり、やって来たかと思うとまた逃げて行く。時には激しく、時には緩慢に、万物は流転してやまない。荘子は、その変化をもたらす根源の理法は容易に把握できない、だから主体性をもって、そういう変化に身をゆだねるような生き方がよいのだという。 |
4月27日 | 忠について1 |
「人主、その臣の忠なるを欲せざるはなし。而れども忠いまだ必ずしも信ぜられず」 (外物篇) |
世のトップで部下に忠誠を求めない者はいない。 |
4月28日 | 忠について2 |
荘子の外物とは、地位や名声、富など自分の外にある一切のもののこと。そんなものは頼りにならない、忠もその一つで、頼りにならぬものを頼りにするのは最も不味い処世である。 |
現代の組織でも忠は軽視できない。 忠誠心に期待をかけられる、だが、トップはそんなものを当てにしなくても成り立つ組織に心がけるべきであろう。 部下は、自分と組織とは割り切ってやるのがいいかもしれない。 |
4月29日 | 当て |
「吾、斗升の水を得て然ち生きんのみ」 (外物篇) |
これには挿話があるが要するに、当てにならないものを当てにして生きることの阿呆らしさの話である。 与えられた条件の中で我々は精一杯生きるとかあるまい。 |
4月30日 | 人間の知恵 |
「神亀能く元君に見れて余且の網を避くる能わず。知は能く七十二鑽して遺筴なきも、腸を剥かるるの患を避くる能わず」 (外物篇) |
元君の夢枕に立つほどの神通力を持った亀でも、余且のように平凡な漁師の網から逃がれることが出来なかった。 七十二回占って一度も外さない予知能力を持ちながら、腸を引き裂かれる禍を避けることができなかった。 人間の知恵など高が知れていると荘子はいうのである。 |