人間観察法
これは安岡先生の独断場であろう。呻吟語を引用しつつ先生は語られた。人間観察法、それが「六験」と「八観」である。
「六験」
験は試すことだ。人間を験すのである。如何なる方法で人物を験すのか。
1.「之を喜ばしめて以てその守を験す」
之とはその人物、何を験すのか、先ず喜ばせてその守、即ち節操が守れるかのテストである。人間、いい調子になり喜ぶと、ついつい原則とかルール、或いは掟をまあいいかと破る性癖がある。そこを観ているのだ。酒、女、お金に、だらしないか見抜かれる。しっかりしている人物は、少々の誘惑には墜ちないものだ、それは守が堅固なのだ。眼識高い人は観ている。
2.「之を楽しませて以てその僻を観る」
こうなると怖いような気がする。楽しませてその人物の偏りの面を験すのだ。楽しい感情に溺れさせてその人物の弱点を見抜くのだ。
3.「之を怒らしめて以てその節を験す」
わざと怒らせて、節度があるかを観察する、験すのだ。怒りと言う感情を爆発させることは理性の節度が無いことである。本物かどうか験すのである。
4.「之を懼れしめて以てその特(独)を験す」
恐れさせるような事をしてみて依存性、独立性、自主性の有無を験す。独とは独立性、自主性。
5.「之を哀しましめて以てその人を験す」
悲しませることでその人柄を験す。悲しい時は全人格が現れる。
6.「之を苦しましめて以てその志を験す」
困難に直面させて、その志が本物かどうか確認する。艱難に耐えて理想―志を実現するのに動揺がなければその人物は本物である。