潜水艦で学んだ指揮官論 細谷孝至 元海軍大尉 

私の父は海軍の軍人でした。ですから、自分も同じ道に歩んだのは自然な成り行きでした。海軍兵学校を卒業し候補生の時から潜水艦に乗りました。

終戦を迎えたのは、ちょうど大連から石油を満載した潜水艦で呉に戻ってきた時でした。途中、米国の潜水艦から攻撃を受けながらも、なんとかたどり着いたのです。

玉音放送は、岩国の近くにある大竹の海軍潜水学校で聞きました。また原爆投下直後の広島の惨状も目の当たりにしました。

そして、自分は軍人ですから、「国民を守る」という任務を全うできず、この使命は終ったものだと考えました。これからは自分自身の為ではなく家族や国民が一刻も早く立ち直れるように頑張ろうと誓ったことを覚えています。

終戦の年、10月頃の台風に襲われた時には崖崩れの現場の復旧作業などに当たりました。また旧海軍の船を使った復員輸送にも関わりました。

私は指揮官でしたから、常に全体のことを考えるようにしていました。潜水艦では、誰か一人がミスすれば艦のみんなが死んでしまう。「指揮官の能力次第で勝敗が決まる」と言われていたものでした。

翻って現在の内閣を考えると、我が国の指揮官である菅直人総理大臣から、日本の将来の姿をどうしたいと言う話は聞かないですね。哀れな悲しい現状と思わざるを得ません。

私自身は、不戦を誓った日本はスイスのような永世中立国を目指すべきだと考えています。「日出づる国」としての真の独立を果たす為にも、自国の身を守るための陸海空の戦力は持つべきです。

その為には憲法を改正する必要があります。また、徴兵制度のもとで、2-3年間の体験をすれば、組織や社会の一員として、国を守る、或は家族、社会、地域を守るという概念が身につくのではないでしょうか。

今は、まだ絵空事かもしれませんが、世界平和に貢献するためにも「永世中立国として、東に日本、西にスイスあり」が望ましい道であると考えます。