()王寺(おうじ) 

薄紅葉(うすもみじ)仏の墓をいづれとも    富安風生 

ここは、竹の枯れ落ち葉や、小柴垣を巡らした小門のたたずまいなど、
哀れをもよおす風情に溢れている。
 

昔、平清盛の寵を受けた祇王が、新しく現われた(ほとけ)御前(ごぜ)の為に、その座を追われたので、 

萌出(もえで)るも枯るるも同じ野辺の草

       何れか秋にあはではつべき 

の歌を残して自宅へ帰ったが、(ほとけ)御前(ごぜ)がふさいでいるので舞いに来い、と清盛に求められ、
感慨に耐えず遂に嵯峨のこの地に隠棲した。

その後、妹の祇女や母刀自も黒髪を下して都を出て三人一緒にここに籠った。 

やがて(ほとけ)御前(ごぜ)も世の無常を感じて
「一つの身とならん」とやって来て四人とも尼の姿でここで仲良く後世を希う
こととなった。
 

平家物語、祇王の項の終りに

遅速(ちそく)こそありけれ、四人の尼共(あまども)、みな往生の素懐(そっかい)を遂げるとぞ聞えし。

されば後白河の法皇の長講堂の過去帳にも祇王、祇女、仏、とぢ等が尊霊と、
四人一所に入れられけり、あはれなりし事どもなり」と結んでいる。 

私は、このような哀れをもよおす歴史的背景を思い浮かべつつ鑑賞したものだが・・・。 

                 岫雲斎圀典