隠徳とは
「常に心懸けて隠徳を積むべし。
隠徳とは善事をなして、其善を人の知らんことを求めざるをいふ。
貧窮を救ひ、飢寒を憐み、老人を助け、病人をいたはり、生あるものを殺さず、萬慈悲を心の根とすれば、自然に天道の冥加にかなひて、家長久なるべし」。
解説
常に心がけて隠徳を積むが宜しい。隠の字は陰でもよく、自分のなす善い行いを他人に知らせる、或は知ってもらうということを求めないことを言いまして、大変好い着眼であります。
何か善いことをすると直ぐ表彰しますから、表彰してもらおうと売名の為に善い事をする者が出るかもしれません。
これは真実でないから害があります。
その意味において隠徳というものは最も正しく、最も大事なことであります。
人間は為にすることころがあってはいけません。
人が為すと書いて「偽」という字が生まれ、その意味はうそであります。
人間はとかく真実を離れてうそをやりますが、それは宜しくない。
やはり真実が何よりも大事であります。
従って隠徳を行うと正直なもので何ともいえない心の満足を感ずるものです。
安岡正篤先生の言葉