魚は頭から腐る 佐藤 優  作家 

ロシアに「魚は頭から腐る」と言う俚諺(りげん)がある。

日本が五里霧中の状態に入ってしまったのは、官僚、国会議員などの政治エリート(魚の頭)が時代状況の変化に対応できず、能力低下を引き起こしているからと私は見ている。

政治エリートのほとんどが偏差値秀才だ。偏差値秀才であることと頭の良さには直接的関係がない。

偏差値秀才に求められる能力は、教科書を暗記し(必ずしも理解する必要はない)、その内容を1-2時間の制限的時間内に復元する能力である。確かにこのような能力は官僚としての必要条件である。

ただし、この能力があれば政治エリートとしての機能を果たせるわけではない。他者の気持ちになって考えることが出来るかどうかが、政治家と官僚の双方に求められる重要な能力なのだが、現行の大学入試、国家公務員採用試験、司法試験などでは「人間力」を測ることができない。

国会議員にも官僚と同質な偏差値秀才が増えてしまった。田中角栄元首相、野中広務元内閣官房長官のような偏差値秀才とは別の基準で社会から叩上げられてきたエリートがいつの間にか居なくなった。

その為、普通の国民の気持ちや、交渉相手となる外国の内在的論理が分らない政治家ばかりになってしまった。

そして当事者にとっては深刻なのであろうが、国民には関係のない権力闘争に政治エリートがエネルギーの殆どを傾けている。

このような状況から脱出する為、政治エリートに求められるのは、優れた小説や歴史書を読むことだ。そうすれば、代理経験を積むことが出来る。

ギボン「ローマ帝国衰亡史」、火野葦平「陸軍」、五味川純平「戦争と人間」。「ゴルバチョフ回想録」あたりがお勧めだ。これらの書物を通じて、「魚は頭から腐る」という追体験をすることだ。

そうすれば、「最小不幸社会の実現」という不幸を前提とするイカレタ政治哲学が諸悪の根源であることが分かる。

日本が危機から脱出する為には、「最小不幸社会の実現」という亡国の思想を垂れ流す輩を一刻も早く政治舞台から退場させることが不可欠だ。