徳永圀典の「論語」 B
平成19年4月
1日 | 孟武伯、孝を問う。子曰く、父母は唯其の疾を之れ憂う。 |
孟武伯問孝。子曰。父母唯其疾之憂。 |
人の子たる者は、常に父母の身に病いなきよう、父母の起居動作、寒暑などに念いを致すべきだ。 |
3日 | 子游、孝を問う。子曰く、今の孝は是れ能く養うを謂う。犬馬に至るまで皆能く養うあり。敬せずんば、何を以て別たんや。 |
子游問孝。子曰。今之孝者。謂能養至於犬馬。皆能有養。不敬何以別乎。 学而編・第七 |
門人の子游が、孝行はいかにするべきか聞いた。孔子は、今日の人は、孝と言えばただ飲食、衣服を不自由のないようにすれば足りるとしているが、これは孝の道に至っていない。食べ物だけなら犬や馬も同じだ。父母を敬愛してこそ孝道といえる。 |
5日 | 子夏、孝を問う。子曰く、色難し。事あれば弟子其の労に服し、酒食あれば先生に餞す。曾ち之を以て孝と為さんや。 |
子夏問孝。子曰。色難。有事弟子服其労。有酒食先生餞。曾是以為孝乎。 |
子夏が孔子に孝の道について聞いた。子が父母に仕えて孝をするのは命令を待つのではなく顔色を見て意のある処を察してなすのが善い。酒や食事は先ず父母に捧げてこそ孝というのだ。 |
7日 |
子曰く、吾回と言う、終日違わざること愚かなるが如し。退いて其 |
子曰。吾與回言。終日不違如愚。退而省其私亦足以発。回也不愚。 学而編。第九 |
孔子は言った、顔回に教えるが終日黙して聞くのみで反問もなく愚人のようだ。だが、退出後の言動を察するに、大いに新しい工夫もしている。顔回は決して愚かではないと賢明さを賞賛した。顔回は孔子門弟十哲の一人である。 |
9日 | 子曰く、其の以す所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察れば、人焉んぞかくさんや。人焉んぞなさんや。 |
子曰。視其所以。観其所由。察其所安。人焉かくさん哉。 |
人を見る三法。以は行為を視る、由は行為のよってきた動機。観は視より深い観察、察は外面では観れない所を洞察、即ち何に安心かを察。焉は何も、かくは隠す。人を知る方法である。人を知るは古来より難事である。 |
11日 | 子曰く。故きを温ねて新しきを知る、以て師と為るべし。 |
子曰。温故而知新。可以為師矣。 |
温故知新。古い事蹟を研究し新しい理義を発明、新知識を得る。この人こそ師の任に耐え得る人だ。 |
13日 | 子曰く、君子は器ならず。 |
子曰。君子不器。 |
長たる徳のある人とは器物のようなものではない。器物を使う人のことである。 |
15日 | 子貢、君子を問う。子曰く、先ず行う、其の言は而る後に之に従う。 |
子貢問君子曰。先行其言而後従之。 |
子貢は能弁家の弟子。君子に就いて聞いた、孔子は「君子が重しとするのは道徳実行である。言うだけでは君子の道ではない」と。 |
17日 | 子曰く、君子は周せずして比せず、小人は比して周せず。 |
子曰。君子周而不比。小人比而不周。 |
周も比も共に人との親厚を示す。だが、周は公であり普遍であり、比は偏党で私である。君子は周でなくてはならぬ。 |
19日 | 子曰く、学びて思わざれば則ち罔く、思うて学ばざれば則ち殆し。 |
子曰。学而不思則罔。思而不学則殆 |
師の教えを学んでも思考がなければ活学とならない。学ぶことと考えることとの二者の必要を説いた。 |
21日 | 子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。 |
子曰。攻乎異端。害也己。 |
万物には陽も陰もあり、十人十色、全て同じものなし、違いを攻めても何もならぬ、害だけ残る。 |
23日 | 子曰く、由、女に之を知るを誨えんか。之を知るを之を知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。 |
子曰。由。誨女知之乎。知之為知之。不知為不知。是知也。 |
由は弟子の子路のこと、性質は勇を好むが粗野、熟慮に欠ける。知るを知るとし、知らぬことは知らぬとせよと子路への戒めである。 |
25日 | 子張、禄を干めんことを学ぶ。子曰く、多く聞きて疑わしきを闕き、慎みて其の余りを言えば、則ち尤寡なし。多く見て殆きを闕き、慎みて其の余りを行えば、則ち悔寡なし。言に尤寡なく行に悔寡なければ、禄は其の中に在り。 |
子張学干禄。子曰。多聞閥疑。慎言其余則寡尤。多見閥殆慎行其余則寡悔。行寡悔。禄在其中矣。 学而編・第十八 |
子張が官吏の道を聞いた、孔子「仕官したら学問して広く見聞し、言行を慎めば咎めはない。見聞を多くして言行の慎みを忘れなければ後悔しない。言葉を慎み、行為に後悔なければ、求めなくても、相当の地位まで登用されるであろう。」 |
27日 | 哀公問うて曰く、何を為さば則ち民服せん。孔子対えて曰く、直きを挙げて諸を枉れるに錯けば則ち民服す。枉れるを挙げて諸を直きに錯けば則ち民服せず。 |
哀公問曰。何為則民服。孔子対曰。挙直錯諸枉則民服。挙枉錯諸直則民不服。 |
哀公は魯国の君主。荻生徂徠は「直きを挙げて、これを枉れるに錯くは、材を積むの道を以て喩をなす。直きものを以てこれを枉れるものの上に置けば、則ち枉れるものは直きものに圧せられて自ら直くなる」。民心の公に従えば民は服する。不正を憎むのは人の正性だから。 |
29日 |
季康子問う、民をして敬忠にして以て勸ましむるには、之を如何にせん。子曰く、之に臨むに荘を以てすれば則ち敬す。孝慈なれば則ち忠あり。善を挙げて不能を教うれば則ち勸む。 |
季康子問。使民敬忠以勸如之何。子曰。臨之以荘則敬。孝慈則忠。挙善而教不能則勸。 学而編・第二十 |
季康子は魯国の太夫「民をして上を尊敬し忠誠をさせ、善に奮励させるにはどうしたらよいか」孔子は答えた「人民は上の真似をするもの、上の致し方次第で善人にも悪人にもなる。上の者は容貌端正に威厳を備え、孝行や慈愛を見せれば自然と民は忠誠となる。上の者は下から善人を選び、善導すればみな奮励し善い方に向かう」 |