毒杯を飲む勇気がない 中野 翠 コラムニスト 

@乱暴な言い方になるけれど、民主党政権は「女の政治」だからダメなんじゃないか?

「女」という言葉に語弊があるなら「ドメスティック」と言い替えてもいい。決まった収入の中で、こまかく上手にやりくりすることは、サラリーマンの妻にとって大切なことだけれど、それと大して変わらない感覚で、国の政治を考えているように思う。 

民主党のほとんど唯一の売りになっているのが「事業仕分け」であること、

内政的な事柄に関しては、「子供手当て」など、キレイゴトを並べ立てている一方、外交面では、何のアイディアもなく手も足も出ないこと・・・などから、そう思う。 

主婦が働きに出るようになれば、それまでとは違った意識を持たなければ通用しないように、野党だった民主党も政権についた以上、思い切った意識改革が必要だったのでは? 

政権につくと言うのは、ある種、毒杯を飲むということだろう。それだけの勇気や気概が感じられない。 

もう一つ、「政治主導」と言いながら、官僚をうまく使える人材がいない、いても上に出てこられない?のも大問題。

功罪半ばするけど、田中角栄には官僚を惚れさせるだけの力があったようじゃないの。

有能な官僚にソッポを向かれるようじゃあ政治が機能するはずがない。

A私には難しくて答えられません。敢えて言えば「勇気」?

B突き詰めれば「言葉」ということになるのでは。日本語の中に日本人の倫理観や美意識や知恵などの全てが込められている。言葉と正しく向き合い、深くかみしめてゆくこと。色々にものを失っても、日本語の豊かさが保たれていれば、国家としての落ち着きは失われない。

政治家こそ、言葉で勝負する人間であるばすなのに、手垢のついた定型の言葉に依存し、もつぱら事をごまかす為に使っているのは許し難い、ついでに言えば、おなじみの「粛々として」という言葉だって、殆ど誤用じゃないか。