先ずは常識人たれ 児玉清 俳優 

政治に関わることは実に難しい。あらゆる能力を要求されるからだが、岡目八目的に茶の間で日本の政治家

を眺めていて、今、一番痛感するのは、それ以前の普通の人間としての常識の無さと、日本の未来を背負っているのだ、という自覚と意識を持っていないように見えてしまうことだ。 

現在、日本は未曾有の岐路に立たされている。少子化と高齢化社会がもたらす近き将来の労働力不足。

武力を背景にゴリ押ししてくる諸外国との外交問題に領土問題。 

また不況に押し潰される中小企業と経済問題。

赤字国債、税収不足に伴う消費税問題等々。

退っぴきならない問題が山積しているのに、傍らから見ていると恰も他人事のようにただ傍観しているとしか思えない。 

いや、危機感すらなく、ただ誰かがババを引いて失脚するのを待っているだけのようだ。 

この国、わが祖国日本をどういう国にするのか。どのようにしたら混迷する21世紀にあって日本を素晴らしい国として残せるか。と言った政治家にとって一番大事なビジョンを誰も示さないばかりか、そこに必要な信念と決断する勇気すら誰も見せてくれない。

常に目先のことだけ。しっかりと国民を説得して、今我慢すれば先にはこういう世界が待っているのだ、と納得させ実行する信念と決断力を持つ政治家がいない。

偉そうないい方でなく、茶の間で眺めていると、誰もが御身大事が一番で、国のことを考えていないように見える。 

当たり前のことに気づかないからだ。その想像力と思慮の無さに、だから呆然としてしまう。 

さらに大人としての良識と常識に欠けているように思えてならないのは、自分の発言が周囲に与える影響にも考えが及ばないことだ。 

何で、市井に棲むごくごく普通の人間が気づきことに政治家は気づかないのか。先ずは常識人になること、大人の良識を備えることこそが今の日本の危機を救うことだ。