戦友たちは何のために占守島で死んだのか
白崎勇次郎
千島列島北東端の占守島では、終戦から3日後の1945年8月18日、突如、ソ連軍の砲撃に続いて上陸部隊による攻撃が加えられ、日本軍との間で壮絶な戦闘が始まった。詳細は、浅田次郎氏の「終らざる夏」に記されているが、私はその生き残りである。
ロシアは、北方領土について、「領土問題は解決済み」、「第二次世界大戦の結果を考えるべきだ」などと、領有権を正当化させようとしている。
然し、第二次世界大戦の戦勝国で、占領した土地を返還していないのは、ソ連=ロシアによる北方領土だけなのだ。
南千島の北方四島は、1855年(安政元年)、日露和親条約によって日本領になった。
さらに、1875年(明治8年)、樺太・千島交換条約に画定されている。
それなのに、ソ連は、戦後、日本領土で停戦している日本軍を攻撃し、占領した。
占守島の4日間の戦いで、日本兵は約1000人が死傷した。
しかも、日本が受託したポツダム宣言には、戦争犯罪人以外の兵士の速やかな帰国が保証されていたのに、私を含めて65万人以上の兵士がシベリアで強制労働させられた。故郷に帰れず病死した日本兵も多い。
私たちは、戦陣訓で「生きて虜囚の辱を受けず」と教育を受けた。捕虜となって樺太に上陸する際、日本人に会うのが怖かったが、夜の闇が幸いした。
その時、どこからか、「兵隊さ〜ん、ご苦労さまでした〜」と婦人の大声が聞こえた。
私はその声に救われた。その後、私の抑留生活は3年に及んだ。
私は今も戦友たちのことが脳裏から離れない。なぜ、戦後の戦闘によって日本固有の領土が奪われ、多くの日本人が死ななければならなかったのか。
私は、武力は否定するが、ロシアに対して、北方4島のみならず、「全千島を返せ!」と日本あげて世論を高めたいと考えている。
正しいことは、きちんと何度も言う。
それが人間としての誇りと元気を取り戻す第一歩ではないだろうか。