日本人の金銭感覚
歴史的にバブルは珍しくない、大正時代、船成金の内田信也は列車転覆事故に遭い叫んだ、
俺は神戸の内田だカネは幾らでも出す、助けて呉れは語り草。
バブルは必ず弾け投機の限界は必ずくる、歴史が示す原則だ。
 元禄時代[紀国屋ミカンのようにカネをまき]、度胸と才覚で儲けた金を惜しげなく使うのは納得できる。現代の金にまつわる話はコソコソ、ウソが多くてやり切れない、人間がさもしくなった。さもしさ、卑しさ[金は不浄に集まる]の諺通りだ。

[浮世の沙汰も金次第]、[金が人も世も悪くする]、[金は凡ての諸悪の根源]、昔の人は真理を見抜いている。
金に色は無いが持つ人の心色に染まる。使い方即ちソフトに教養、人格、哲学が現れる。
カネと権力は麻薬、余程の哲学と克己心が無いと嵌ってしまう。諺にある[金箱の底に厄神が住む]。
それでも身に着かぬのが人間、[親子の仲にもお金は他人]、[悪銭身につかず]。
バブル期に公職者の卑しさに端を発して汚職やスキャンダルが多発、禁欲哲学の欠如が原因であった。

金と酒と女、これは人類不変の真理。一度踏み外せばとめどない誘惑執着が襲いかかる。恥も外聞も忘れ行き着く処迄行かねば目が覚めぬ。ワイロは何時の世にもある、奈良時代迄の賄賂は殆どが土地、平安時代以降は官位、土地、女となる。現代は接待、女、酒、ゴルフ。

色々問題を引き起こすお金、ひたむきに求め続けるお金、カネ無しでは生きては行けぬ。お金は限りなく人間を幸せに近付けるが幸せそのものはカネでは得られぬ。

カネとは何なのか。問題は金と云うハードではなく使い方とか得る方法、言わばソフトに問題がある。

これは中々深いものがあり普通の人は儲け方より使い方の賢明さが肝心と云う事。

 日本人と欧米人・華僑、東京と大阪、それぞれ金銭感覚が違う。

一代成功の松下幸之助、本田宗一郎など日本人は禅僧の如くなり財布を持たぬ。欧米人は宝石を飾りたてパリッとし尊敬されるが日本人は一代ではねと言う処がある。
第一、徳川家康は[商は()なり]と言い士・農・工・商の最後にした。
江戸商人の金銭哲学は[小富は勤にあり大富は天にありされど天をあてにせず]、
[富貴には上なく欲は果てなきものなれば人の富貴を羨む事絶ゆる時なし。足るを知れば貧しくとも富み、足るを知らねば富めども貧し]と慎ましい。

      徳永日本学研究所 代表 徳永圀典

鳥取木鶏会    会長 徳永圀典