二つの自己に引き裂かれた日本 岸田秀 心理学者 

自民党は対米依存を基本方針とし、反米の心情は経済発展で満足させるという形で米国に対する日本国民の外的自己と内的自己の葛藤を何とかごまかしてきたが、バブルが崩壊し経済力が日本人の自尊心の維持に役立たなくなったり、対米依存の屈辱が目立ち始め、自民党政権が愛想を尽かされた頃、沖縄問題などで何やら対米強攻策を取るらしいとか、本当に優雅に暮らしているらしい官僚をどうとかするとかが期待されて民主党が人気を博し、政権交替が実現した。 

民主党はとにかく選挙で勝てばいい、あとはどうにかなると思っていたらしく、国民が喜びそうなマニュフェストを掲げたが、化けの皮はすぐ剥がれ、今や不人気のどん底である。 

自民党であれ民主党であれ、馬鹿はばかり揃っているわけではあるまいに、政権を取ると、ふらふらして所信が定まらないのは、政治家は国民が選ぶのだから、国民がふらふらして所信が定まっていないからである。 

私は予てから日本国民は米国に卑屈に迎合する外的自己と、米国を軽侮する誇り高い内的自己とに分裂していると主張しているが、近代以来、日本はそのどちらかの極端に走り、両自己を統合して安定した中庸わ保つということがなかった。

日米戦争中は、内的自己に凝り固まり外的自己は抑圧され、敗戦後は外的自己がのさばって内的自己は排除された。

抑圧され排除された自己にしても消滅するわけではないから、心のどこかで蠢いており、表に出ている自己をぐらつかせ、混乱させ、背後からその足を引っ張る。

表の自己を代表しているのが時の政府であるが、そういうわけで、日本政府は常にぐらついている。

この問題を解決する為には、どれほど偉い賢明な政治家がいてもダメてあって、国民が戦争中の軍国主義も敗戦後の平和主義も夫々半分の正当性しかないことを認め、この二つの半正当性を共に不可欠の要因として組み込んで統合する新しい思想を構築する必要がある。