新東京銀行に思う 

1.バブル破綻後、日本の大銀行が呻吟し、政治の金融無策もあり、遂に、戦後の蓄積を総て投げ打ちその上に公的資金の注入をして銀行は蘇生した。政治の生贄となったが蘇生した。       

現在のメガバンク三行の不良債権比率は確か1l台である。私が住友銀行支店長時代の記憶では、不良債権は5l以内では、決して悪くないものだと記憶している。現在地方銀行のいいとこでも4l程度はざらに見られる。

2.アメリカのサブプライム問題で、日本のメガバンクが、アメリカの銀行の出資要請を蹴ったのは大正解であった。みずほ銀行だけは、メリルリンチに4000億程度出資した。世界的規模の不良債権はヘッジファンドを含めて100兆円と拡大しているから、この後遺症は甚大であるから出資しないのが正解である。

3.さて、「新銀行東京」、設立当時、石原知事の意欲は実にいいのだが、私が咄嗟に思ったのは、「銀行経営は、生半なものではない、果して公務員的発想で巧く行くか」であった。当時、銀行の融資が伸びないのを銀行無能のように発言したのをお門違いだと記憶している。

4.あの、生意気な面した、日本銀行出身の木村剛が、「日本新興銀行」を設立した。日本銀行のように、公務員で「自ら汗を出して集めない金」で銀行経営する。「生きた金銭感覚」が無い奴が経営するから、とんでもない不良債権を作るのである。案の定、木村の日本振興銀行は行き詰まった。新東京銀行の資金源も税金である。木村の経営と同様なことが起きたに過ぎないのである。

5.だから、銀行協会も、手厳しく新東京銀行を批判するのは当然である。税金資金で、民間業務を圧迫しておきながら、汗無しで集めた金での融資が無責任となり、乱脈融資となり不良債権になるのは当然なのである。銀行経営は生半可なものではないのだ。

6.関東系の銀行は、元富士銀行ように公金を原資とするか、日本興行銀行の如く、労せずして、「紙切れ一枚」の割引債券で何千億も集める銀行の名前は両行とも消え去ったのが銀行業の本質を明確に示しているのである。

7.関西系金融機関が皆強いのは、関東系のような原資ではないからである。野村證券、日本生命、住友銀行等、日本の強い金融機関は関西系なのである。汗して集めた金を融資するのだから命懸けの融資である。それは審査であり融資先の経営者の人物判定である。それは生きた闘いなのである。それを、木村剛の日本振興銀行も、石原知事の新東京銀行もしていなかったから破綻したのである。

8.ついでに、新生銀行、この銀行はまだ1500億円の公的資金の返済をしていない。不良債権を数兆円、政府から免除され外資に身売りして。このザマである。当時、アメリカ人取締役が億単位の報酬を得て問題となったが、後は知らぬ顔である。この新生銀行を、マスメディアは、チヤホヤしたものだ。まだ公的資金を返していないのだ。日本の大銀行は全額返済している。実に、メデイアとかアメリカ系の銀行はいい加減なものである。

9.問題の「新東京銀行」、聞く処では、金融庁が一度も検査していない。これは、実に金融庁もいい加減なものである。公的資金を受けたメガバンクの頭取やら役員は、五味とかいう助平で生意気な長官は生意気なことを言い、銀行を痛めつけ(なぶ)ったものだ。金融庁も弱いもの苛めに過ぎないいい加減だ。

10.                    金融の本質を知らぬ連中が、権力を嵩に来て行政をしている構図が見てとれる。三和銀行は確かに、観察してきたが、実に行儀の悪い、国家観の欠如した銀行ではあった。だが消滅させる程ではなかった。三和銀行は、MОF担当が、当時の証券局長を収賄したことを暴露したが、その他の不行儀の累積もあり大蔵省に報復を受けたのであろう。 

公務員には金銭感覚が欠如している。だから連中に銀行経営などさせてはならぬのである。 

税金を使うだけの連中には経営は、どだい無理なのである。 

平成20年4月3日

徳永日本学研究所 代表 徳永圀典