戦後教育の誤り  曽野綾子  作家 

日本人が停滞と閉塞に怯えるようになった理由。 

第一の原因は、

教育の基本をなくしたからです。戦後教育は、人間の基本的な「しつけ」を怠りました。

師と仰ぐ人を尊敬してその教えに耳を傾けること。

辛いことも努力して続けること。

正直であること。

人間の能力は決して平等ではないが、それを補うことは可能であるのみならす、それによって(ひら)ける独特の生涯もあるということ。

他人の人生に対して、深い関心を抱くことの出来る人に育てること。

人の為に尽すことのできる大人にすること。 

日本語の「読み書き話す」という三つの基本的能力を充分に開発すること。

日本人であるという意識の元に自国の繁栄に尽くし、その上で他国の人にも人間的な深い関心を抱く能力を持たせること。

これらを悉くなおざりにして来たのが戦後教育です。 

第二の原因は、

日教組的教育が「人権とは要求することである」という誤った定義を植えつけたことに端を発しています。

私は「人間の幸福とは、多く受けて、多く与えることだ」と思っています。

この「義務を伴った自由」が人間の本来の姿です。然し、戦後教育はこの点を誤りました。 

第三の原因は、

勇気の欠如です。勇気というものが、戦争中の戦いに寄与した悪だ、と誰かが教えたのでしょうか、戦後教育は、自分はこう思う、これが自分のなすべき道だという哲学の一切を失った、世にも情けない烏合の衆を作り出しました。 

会社勤めは会社の意向、マスコミは読者の評判を恐れ、自分が人道主義者と外部から思われることに狂奔した結果、差別語さえ使わなければ人道的な人間である、と判断したのだろう、と思います。

そのようにして、戦後の言論統制・弾圧に参加した記者、編集者のあまりにも多かったことに、私は長年絶望してきました。 

日本語の勇気にあたるギリシャ語の「アレーテー」という言葉は、「徳、男らしさ、卓越、奉仕貢献」をも同時に意味しますが、そのような人物に会うことは、ごく稀、ほとんど皆無という状態でした。