徳永圀典の「比較日本文明論」その一

思い切って、実に思い切ってかかるテーマを決断した。私の最後の長編になる予感がする。戦後に育った年代の人々を通観するに、驚くべく日本の関する知識が欠けていることに慨嘆する。古来の家族制度の崩壊、戦後の欧米個人主義的思想による日本古来の風習、伝統の断絶、それは占領政策による伝統文化破壊に起因する。私どもの年齢が最後の伝統的日本人の掉尾となるかもしれないとの危惧を抱きつつ始める。

       平成291月吉日 

         徳永岫雲斎圀典

はじめに

東京裁判により日本人が戦争犯罪国に仕立て上げられ洗脳されてしまった後遺症は実に驚くべく深い。日本的なものは全て悪であると刷り込まれ、日本人としてのアイデンティティを喪失したままと言える。日本文明はハンチントン教授の指摘を待つまでもなく平安時代には既にシナ文明から独立し世界八大文明の一つに数えられている。

日本文明は極めて独創性が高い。米国CIAによる調査統計にも世界の国家は日本は連綿として続いている世界最古の国である。ちなみに、ギネスでは世界最古の国は日本であり、日本神話上は紀元前660211日(旧暦:神武天皇元年11日)、初代天皇即位・記紀説。現実的には4世紀頃とあります。

日本に独創性無くして、どうして万世一系の天皇制を維持できたのか、明治維新という無血革命で近代化を一早く極東で成し遂げ得たのか。18-19世紀、欧米の植民地化を防ぎ、敗戦後の急激な復興、そして21世紀劈頭でも、世界最先端を進む近代国家となっている。日本人の独創性、優秀性によると考えるのが妥当であろう。私の目で見てもまだまだひ弱な戦後世代の日本文明認識である。私は、日本文明の真価を解明し披露したいと決断した。視点は下記である。

一、日本文明の正体とは

二、世界にない日本的なもの

三、中国文明との本質的相違

四、西洋文明の行き詰まりーー西欧原理の終焉

五、世界の救世主たる日本の原理

六、   その他

一、   日本文明の正体 

日本は、今日、世界最先端技術を保有している。それは頭抜けていると思われる。世界からCOOL JAPNと称される程日本文化は世界に浸透しつつある。その究極の原因は「手技(てわざ)」の卓越性にあると考える。

そこで先ず「日本人の手」に関して日本語に使われている事例をくどい程に集めているので、ご披露してみよう。

1.手技(てわざ)

人間は四本足の動物から離脱した直立猿人の子孫といわれる。後足だけで直立し歩行し、移動手段の前足を解放し「手」として他の動物と断然異なる進化することとなったと思う。人間は、前足、即ち「手」で食物を取り、道具を造り、作業して大脳を大きく発達させて文化を生んだのである。両手で水を掬って飲めるのは人間だけであろう。人間は「手の動物」、「手の人」、工作人、ラテン語でホモ・ファーベルと云う。「手こそ、創造神が人間のみに与えた最高の宝」でありましょう。人間の文化、文明は「手」から生まれている、まさに「手の内」にある。

縄文時代から人間は手で土をこねて土器を作った、小屋を建てた、道具を考案しました。槍を研いで獲物を捕り様々な器具を生み出して生活を豊かにし続けている。道具を作るために工夫します、そうなると「脳」が発達します。「手と脳」には相互作用があり密接に結びついている。手を動かす程、頭脳明晰になると云われる。「手は外に飛び出した脳」、「手は脳の出店」と言われる所以でもあります。手と脳とは百万本の繊維で繋がっているという。つらつら考えてみますに、手に匹敵するような精密機械はないのではないか。

戦後日本は、茫然自失の廃墟の焼け野原から奇跡と云われる飛躍的な発展を遂げ21世紀の現在、世界の最先端技術国となっています。私は、「手」こそ日本経済発展の謎を解く鍵であると信じております。

2. 日本文化と「手

昔から日本人は「手」を手品のように動かして優れた文化を生み出しています。手の民族です、西陣織の物凄さ、友禅染の見事さ、京都の繊細にして絢爛たる文化は他国に比類ないものがあります。現代では、筑波研究学園都市から市中の中小企業に代表されるようなテクノロジー、全て日本人の手が生んだ先端技術の成果にほかなりません。日本人は「頭ではなくて手で考え、手で行動する「しっかりと手に入れた」ものですね。「手から手へ」脈々と文化が伝承されてきておりますのはご高承の通りであります。

3.「手」のつく言葉 

一説のよると1000以上の「手」の大和言葉があると云われます。これを探求すれば学位が取れるのではないかと思えるほどらしい。日本の本質が探究できるかもしれません。

渡部昇一先生によると、大和言葉は、柔らかく、母の肌の如くであり、乳房の如く「やさしさ」があると云う。日本人の「魂のふるさと」でありましょう。手のつく大和言葉は、近世の欧米文化に毒されることなく、変質することなく、語り継がれ深く静かに溶け込んでいると申されます。だから、内々で砕けて話す時など、ついつい手のつく言葉が飛び出す。

「寛大なご処置を」という文語的、漢文的な表向きの表現の裏では、個人的に「お手柔らかに」と云うでしょう。「和解が成立した」は「手を結んだ」の大和言葉が優しい。「八方処置を講ぜり」など堅苦しいが大和言葉では「手を尽くした」と簡単です。この例のように日本人が本音で話す時には、ふと大和言葉が言い表します。

「手応えがある」、「手が早い」、「手塩にかけて」などなどは、日本語独特の言い回しで日本文化の核心、コアから滲み出ていると云える言葉でしょう。

「手に余る」は英語でintractable 、「お手上げ」はgive up、「手を切る」、cut off conection、「手落ち」があるはcareless error、「手形」はbill、「切手」はstamp、手はhandですが、手handに拘っていては翻訳できませんね。

このように、英語には「手」が使用されていません。日本人だけのようであります、正に「手の文化」なのです。こんなことなどは学校教育では教えておりません。にも関らず日本人は、俳句のように簡潔な表現方法を身につけて自在に操っております。手の文化の結晶であります。

4.日本人の労働は手仕事

 豊葦原瑞穂の国と云われる日本、原始時代から今日まで基本的生活の基盤は一貫して水田稲作農耕。一定の村落の限られた中での定住生活である。狩猟民族のように移住をしない。だから、全ての生活の糧は「手」で稼ぎ出して生きてきた.。中近東とかヨーロッパ文明諸国は、遊牧、牧畜、狩猟生活で大平原や砂漠を足で歩き回り暮らしを立ててきた。足で稼ぐ民族である。日本人にとり手は人間自体を表現するのが基本原則のようである。人は動く動物、その働きを日本人は、足や口ではなく、「手」が全てを受け持つ。

「歌い手」、「聞き手」、「やり手」、「相手」、「売り手」、「若手」と「手」即ち「人」となっています。英語では、ゼントルマン、ステイトマンとなり「手」では人を表現しませんね。

明治になり野球が日本に入った時、ピッチャー、キャッチャー、ファーストなど、投手、捕手、一塁手と凡てに「手」をつけて訳した。自分自身を指して、「手前」、また「お手植えの松」とか「手下を差し向ける」「手を貸す」、「殿様手ずから」となる。「手形」は自分自身の「証」だし、「手相」は運命の証となる。

日本人は「手作りの料理、菓子、道具」が特別に珍重される。自分の「手」をかけて直接作るものこそ尊いものとしている。機械文明の21世紀でも、「手打ちうどん」、「手延べそうめん」など手料理は特別なものと認識し、「生きた人間の暖かい心が通う」ものとする。

「手間をかけた労働」、手を動かすから「手間賃」となる。各自の「手間」に応じて「手間賃」となり「手当」が支給さけるわけであります。

日本では「手」が即ち「金」となる。外国語には「手当」の表現はない。沢山ありますよ、皆勤手当、超過勤務手当、扶養手当、社員は正規のサラリーよりかはこの手当に親しみを感じ一層会社に忠誠を尽くす。

そうです、「手」は働きを代弁しています、「手に職をつける」と職種や技能を「手」で分類している。

我が家の「働き手」は一人だが、隣は「人手」が三人だとか。日本人は、太古の昔から「手の民」だと皆さん思われることでありましょう。

石川啄木の歌、「はたらけど働けどなおわが生活(くらし)楽にならざり、ぢっと手を見る」と云いました。手に向かって愚痴をこぼしている。太古の昔より日本人は「手一本」で稼いできた民族と言えます。

手一本で世界のホンダに仕上げた本田宗一郎氏の著書があります、題して「私の手が語る」です。自転車屋の小僧から、手一本で成功した歴史を、「手の傷の跡」で語っています。資源の乏しい日本が、手だけで稼いで経済大国になりました、その代表が本田氏ですかね。

5.戦うのも手

敵と戦うのも、戦争やゲームの相手でも、全て手ですね。作戦や勝負の才能や、策略は全て手です。「それは良い手」だ、「手早く」「手を打った」「敵を手に取る」という表現もあります。負ける場合も「手抜かりがあった」、敵の「手に乗り」、防御に「手を焼いた」「手に負えぬ相手」で「お手上げだ」となる。

態勢を挽回する時、「手を尽くして」「大手より搦め手」を「押しの一手」で攻め込んだので、それが「決め手」となり勝負がついた・・・。

「手こずる」というのは、安永の頃ですから1770年代からの流行語らしい。処置に困る、持て余すことですね。「手練手管を駆使し」、これは人を欺く手段や手際わを指し、酷い悪巧みの者を警戒する時に使います。

「切手」にまでなぜ手かです。勝負には「得手」、「苦手」、「王手」、「手合わせ」、勝負には「手がかり」を掴み、あらゆる「手口」を使って「仕手戦」を張るわけです。謀反を起こして裏切ることを「手の平を返す」と申しますが、大打撃を受けることは「深手を負う」と云います。勝負の世界、日本人は手を様々に器用に使い沢山の「手」を生み出しています。角力でも、元々は「上手投げ」「下手投げ」「小手投げ」など「四十八手」あったが現在は「七十手」らしい。

6.人間生活と手

日常生活でも、「得手」「勝手」、「やり手」「聞き手」「苦手」と云った手、「素手」「空手」もあります。最後に出るのが「決め手」「奥の手」「王手」となります。手を出す順序で「先手」、「後手」、手の優劣では「上手(じょうず)下手(へた)」、「上手(うわて)下手(したて)」となります。手の老若で「奥手」「中手」「若手」、仏像には「千手(せんじゅ)観音」がある。驚きますでしょう・・・。

人間関係が成立するのを「手を結んだ」、人間関係を断つのは「手を切る」、英語ではcut the hand、これでは残虐物語となるが日本語だと柔らかくなる。

「切手」「小切手」手は小さいものの美称に近い。「火の手」、「十手」「空手」も小さい意味がありそうだ。「手短かに」と云うのは手頃、手軽の、日本人好みが溢れている。

話し言葉の中で、そっと添えて語調を整えるものも繊細な感性が伺えて日本人らしい。例えば「手広く」、「手厚く」「手始め」など、手を省いても意味の通ずのに手を添えてしまう日本人。「手頃に」、「手軽に」、「手痛い」「手土産」「手荒な」「手心」などは軽い意味の添語であります。事を始めるのは「手」だから「手土産」「手始めに」としてしまう。

日本民族の「手の文化」の残像が見て取れるのである。

「手違い」、「手間取る」、「手遅れ」、「手加減」、手直し」、「手落ち」、「手助け」など日常語の中に日本文化のルーツが脈々と語り継がれておるのであります。

7読み書き算盤や遊び

このよう手は生産活動のみならず、学問、芸能、遊戯などあらゆる面で、日本文化の創造の担い手であります。基本的教養も「読み・書き・算盤」も「手本」を見ての「手」の繰り返しで習得したものでした。

よく学ぶのも「手」なら、よく遊ぶのも「手」でありました。「お手玉」、「おはじき」、「あやとり」「ジャンケン」「折り紙」など全て「手の遊び」であり「手の器用さ」を養ったわけです。女の子のままごと、「手毬」「着せ替え人形」「男の子のメンコ」「凧揚げ」「笹舟」「笹笛」「双六」「影絵遊び」など、全て「手慰み」ですね。遊びながら我々は「手の訓練」に励んでおったわけです。

8大人になってからは

大人になってからは、「茶道」「華道」「武道」「書道」「踊り」「盆栽」などなどの趣味や芸道も全て「手の技能」の習熟であります。「手の芸術」と申せます。ここでは、「手慰み」、「お点前」、「お手並み拝見」、「お手のもの」などの言葉が賑やかです。人差し指は方向を的確に示す、指図もできる、動物は不可能。日本語には沢山方向とか分類を表す「手」の語がある。

土の盛ってある方向は「土手」、山のある方向を「山手」、川の方向は「川手」と云う。「二手に分かれる」とか「追手」、「行手をさえぎる」などの手は、明白に方向を示している。「大手門」、「搦手」、「追手前」などはこの分類です。

手が方角により物を分類できることから、手は品物を種類分けする時に使われます。呉服屋が「その手のものは」うちで扱っておりませんとか「その手に乗るな」、そんな「手合いの言うことを聞くな」、「派手な人」全ての分類に使われる手の奇妙な使い方です。

9.箸の文化とフォークの文化

手の器用な日本人、決定的な役割を果たしてきたのが、食事に使う「箸」でしょうか。最近は、親がきちんと教えていないのかいい大人とかタレントが実にお粗末な箸の使い方をして乱れています。

手の器用な日本人、手の文化を育ててきた背景として決定的な役割をしたのが食事の「箸」であります。植物中心の日本人の食生活では、鳥の「(くちばし)」の代わりに箸で、「飯粒」や「豆粒」をつまむ必要がありました。箸では、手と指の微妙な動きが必要です。太古の昔から、死ぬまで、何世代にわたり使い続けたのが「箸の文化」であります。

欧米の肉食文化ではフォークやナイフですが、握るだけでありまして、手指を全く使わないですね。   この「つまむ」と「握る」、或いは「すくう」と「突く」の僅かな食生活の違いなのですが、これを毎日、毎日、一生涯、何世代、何世紀にわたり続けると、この彼我の文化や技術に決定的な相違が生まれてくるのですね。文化の遠因となります。

日本人は、イワシの小骨を箸で器用に選り分けて2000年経過しているわけです。箸の手品師だと白人が云うのも聊かの誇張ではありません。素戔嗚尊が簸川で箸の流れるのを見て上流に人の住むのを知った神話があります。当時はピンセット型の竹折箸でした、だから箸は「竹冠(たけかんむり)」ですね。「神や人の霊が宿るものとしての箸」は神事儀礼の祭器でした。8世紀の奈良時代から現在の箸が日常生活の食器として一般化したと云われます。

「箸」は食べ物と口とを「ハシ渡しするもの」、「端と端を結びつけるもの」という意味も含んでいます。宗教と密接な関係を持ちます。弥生時代から継承されています宮中の新嘗祭、大嘗祭では、箸のルーツと考えられる先述の「竹折り箸」が現在でも使われていると言います。天皇はこの竹折箸を使われて神饌を神に供えられて後に神と共食されていますね。

ここで世界の食文化を調べますと、

手食い  アフリカ、中近東、東南アジア  4

箸食い  中国、韓国、日本        3

フォーク、ナイフ、スプーン  欧米    3

箸は最高の段階

日本の子供たちを観察して見ると、        赤ん坊  手掴みで食べる やがてスプーンとなる

幼稚園時代になる頃には箸が使えるようになっている。この観察だけでも、箸は、食器文化の最高発達段階の位置にあると認定可能です。かかる観点から勘案すれば、白人たちは食文化では一生涯幼稚園程度のままと言うことになります。

日本の「箸文化」は、中国とか韓国と異なります。中国とか韓国は木の箸だけでなく、銀や象牙の箸も併用しています。必ず「匙」をつけて食事しています。この習俗が日本に伝来したのですが、日本には木が多く、手先が器用でしたから、木の箸だけでウドン、ソバを食べられるようになり、匙を使う必要が消滅したわけです。日本のみ、文字通り「匙を投げてしまいました」。

箸は日本人の礼儀の標

箸は日本人にとり、命の杖、また人々の守るべき「礼儀の(しるし)」でありました。そして調理の方法、食卓の形、食事の作法など、日本の食文化は「箸使い」を軸として形成されています。この単純な箸に驚くべき多様な機能を持たせて食事しています。

つまり、「はさむ」、「「切る」、「裂く」、「ほぐす」、「はがす」、「まぜる」、「押さえる」、「くるむ」、「()える」、「支える」、「運ぶ」と

多彩で、デリケートであります。繊細、優美、知的レベルの高い国民性が表現されているわけであります。

これは現代の世界に突出している先端技術を生むルーツであると指摘できます。この単純簡素な二本の箸が日本を創りあけたと申しても過言ではないのであります。

東西の箸使い                 国民は、目をつぶっていても10円玉と100円玉の僅か2グラムの差を選別する。           関西出身者 13-15グラムの軽い箸好み     東京人は  20-22グラム           東北人は  23-25グラムの重い箸        西軽東重の状態ですね。             文化の古い京都人は 1グラムの重さの違いにも微妙に反応するという。文化の高さ、手の感触の繊細さ、鋭敏さは無関係ではありません。かかる理由で、  京都箸  軽い唐木を使い           東京箸  あすなろの木              東北箸  水に沈む木の鉄木や黒檀を用いる

箸にも棒にもかからぬ、奇妙な譬えですが、日本人は、うどん、ソバ、箸一本で自在に処理できます。日本人の箸に乗らないものは何もない。

だからです、全く、手に負えぬ人のことを「箸にも棒にもかからぬ」と言うのです。それ程に、一般国民は箸使いの名人でありましたが、戦後は、実に奇妙な箸使いの大人が増えました。

 

家庭の躾は箸から

だから、家庭の躾は「箸」からなのであります。単純のようで実に微妙な動きをする箸。だから子供の箸使いにより、親の躾や、家庭環境が判断されるのです。学校給食により子供達は箸を満足に使えなくなっています。パン食でスプーンが普及したからです。これは重大な文化的悪影響があります。

戦後の子供は、だから「ボタン文明」に慣れて、マッチが擦れない、紐が結べない、ナイフで鉛筆が削れない。リンゴの皮が剥けない、これは先端技術国にとりゆゆしきものなのであります。日本人劣化の一因なのですね。    

結論は「手の文化国・日本」ということになります。