国家観念なき大衆 小野田寛郎 自然塾理事長 

太平洋戦争と言い直させられた戦争の、戦前戦中を必死で生きて来た者にとって,現状を切歯扼腕することは当然だと思う。 

だが、一方で喜んでいる者も居ることは確かな様だ。

靖国参拝は致しませんと公言して政権を獲れたのだから、それが何よりの証拠である。 

概して、戦いが終れば、勝敗に拘わらず互いに戦死者に禮を尽すことは人間普通の心情である。

他国の戦死者に対して行うべきことを自国の戦死者に行わない為政者が、国の為に尽す誠心などあろう筈がない。忘恩の徒である 

葉隠論語に武士道とは死ぬことと見つけたりと原則を示し、理屈は何れにも付くものなりと責任回避を戒めている。 

一言で言えば、現内閣、与党は、国家観念が欠如していると言える。此を推した大衆もだ。 

確かに敗戦国日本は、戦勝国に逆らうことは至難であったにせよ、日本弱体化政策に輪をかけた様な際限なき自由と権利を主張し、人栄え国亡ぶ途を突き進んだ結果が今日であろう。 

私は、毎年正月はブラジルの牧場で過し、新年の書き初めに所感を幾枚か書く。今年は先ず、

衆為相愚不識亡 (衆、愚を相と為し、亡ぶを(しら)ず。現政権を指す。衆は大衆の意)

次いで、

自業自得可問己(自業自得、己に問うべし)で、自己の行為の責任は自分でとる覚悟が必要だと感じて書いた。 

私は過去30年間、孤立無援の戦場で自分の身を自分で守り、食料を調達して生き抜いて来た。勿論、武器として唯一、小銃を利用した。独立して生きることの難しさを知っている。

識烈な国際間の生存競争の中で互いに表面は平和な顔であっても、国家意識のない国民は亡びる。