(うず)(まさ) 

夜は()けぬかへさば遠しよしやこの

鬼のすみかに宿や借らまし  太田垣蓮月 

わだつみの底かとぞ思ふ月かげの

     なかに眠れる太秦の里  吉井 勇 

ここは東映、松竹などのスタジオがあるので有名。 

(うず)(まさ)、まともにはこれをうずまさとは読めない。古代からのもので、

太秦の語源は、(しん)(おう)献ずる所の絲綿絹帛(しめんけんぱく)(ちん)服用するに柔軟にして肌膚に温暖なり、姓を波多公と賜ふ、勇略天皇の御世、絲綿絹帛悉く積むで丘の如し、天皇之を喜び、号を賜ふて()都万(ずま)()()ふ」と姓氏録にある。

 

(はた)氏は百済から来日し、染織を司った()(づきの)(きみ)の子孫、次第に勢力を強めその長者の泰川勝が聖徳太子から仏像を賜り寺、即ち広隆寺の起源という。 

広隆寺の祭りは「牛祭」という。中国風俗的な祭り。 

              岫雲斎圀典