安岡正篤の言葉    平成27年4月 鳥取木鶏会 

貴老―理想的老人

 人間は生ける限り、常にぼけないで、なるべく有意義なことに興味を持ち、道理を尋ね、情熱を抱き続けることが肝腎である。不老長生とは徒に年を取ることではない。いつまでも、人生に興味を持ち、情熱を抱き続けて勉強することである。こういう人を老人に対して貴老と呼ぶ。     人間を磨く

 

機に注意

 すべて物事には機というものがある。ここと言うところを活かすか、逸するかで大局に大きくひびく一点を言うのである。商売に商機あり、政治にも政機がある。物理学者もシンギュラー・ポイント、singular pointを重視する。数理や普遍的原則ばかりでなく、特異的に注意せねばならぬ事を説いている。一片の煙草の吸殻はそれ自体何ものでもないが、この微物が時に大山火事を惹き起こすのである。

                新憂楽志

 

公害は私害

公は私に対する文字であるところから、内に対して外という風に解釈して、公害を何か自分からかけ離れた外の害のように思っている。ところが公害というものは全てこれ私害の大きくなったものです。各人がよく心得て正しい生活しておれば、こんな問題は生じなかったはずであります。処がその心がけと智慧が足りなかったことが積もり積もって現在のような結果になったわけですから、とても一朝一夕に改まるものではありません。        人物を修める

鍛錬が必要

我々の個人生活、肉体生活でもそうでありまして、余り平穏無事に過ぎるとだらしなくなる。やはり身体というもの、健康というものは絶えず鍛錬しなければなりません。精神もそうでありまして、何も苦しみがないと精神が延びてしまってつまらなくなります。人間の頭というものはそういう風に出来ておるのです。従って、難問題と取り組めば取り組むほど宜しい。   偉大なる対話  

徳永圀典選