徳永の「神道・神社の解説」A               平成24年5月

1日 注連縄日本一

出雲大社の神楽殿に掛かるもので、長さ13メートル、重さ5トンである。

2日

「おかげ参り」

江戸時代に起こった全国的な伊勢神宮への参詣ブームを言う。奉公人や子供が、主人や親に無断で参詣することも多く「抜け参り」とも言われた。江戸時代には、約60年周期で三度の大きな流行があった。

宝永2年、1705年には、330万人?370万人。
明和8年、1771年には、約200万人、
文政13年、1830年には、約427万人が

「おかげ参り」をしたとの記録が残っている。当時の日本の人口が3000万人前後であったから凄まじい流行である。

3日 神宮式年遷宮

20年毎に、社殿はじめ、御装束、神宝類などを新しく調え、旧殿から神にお移り頂くことを神宮式年遷宮という。式年遷宮とは伊勢神宮のものを指す。
他の遷宮のある神社は、出雲大社、住吉大社、香取大社、鹿島神宮、宇佐神宮、春日大社、諏訪大社なども遷宮を行う。
式年遷宮の制度は、戦乱の続いた中世に一時地帯から持統天皇4年、690年から平成5年、690年の持統天皇4年、690年から平成5年、1993年の第61回まで連綿と受け継がれている。
神宮の創建以来のこの式年遷宮の費用は、常に国費や公費で賄われてきたが敗戦後、アメリカ軍の命令で一宗教法人となった為に、昭和28年、1953年以後は、広く国民の奉賛を仰いで行われている。来年の平成25年は第62回の式年遷宮を迎える。

4日

(あら)(たま)

神々の側面は、恰も別神の如きに見受けられるほど強い個性を持つ。神の持つ荒ぶる側面、怒りの側面が「荒魂」である。
神の祟り、血生臭い争い、天変地異を起こすなどが荒魂の活動。古くはこの怒りを静めるために供物を神に捧げ、祭りを行ってきた。

5日 和魂(にぎたま)

神の優しささ、愛情に満ちた面を「和魂」と言う。
「和魂」に仕え、幸福を祈るのが現在の神道の基本的な形である。

6日 (くし)(みたま)

「和魂」は、「(さき)(みたま)」と「(くし)(みたま)」の2つの魂に分類されて、運によって幸をあたえるのが「幸魂」、神の奇跡を直接に及ぼすのが「奇魂」の働きである。

7日 御饌(みけ)

神前に供え、神に捧げる食料や飲物を「みけ」と言う。。御饌に備えたものは、神の恩恵にあずかるとの意味から、必ず後で頂く。神棚に備えた食品や飲物も立派な御饌であり、感謝を表すために必ず後で頂戴すること。 神酒、水、塩、飯、米、餅、魚介類、野菜、果物、海草、鳥などが主なもの。 御饌には、生のまま神前に供えられる「生饌(せいせん)」と、加工して供える「熟饌(じゅくせん)」がある。熟饌には神聖な炎として、火打ち石などによって厳粛に起こされた炎のみを用いる。

8日 直会(なおらい)

  祭儀の後に、神前に供えた「熟饌」をそのまま、もしくは「生饌」を調理したものを、参会者が会して宴を催していただくことを直会(なおらい)と呼ぶ。 直会とは、「なおりあい」のことで、祭儀を終えた各人が、各々の生活に「なおる」ための一つの儀式という説もある。この「直会」が神の供物のお下がりを頂戴し、神に近づこう、神と融合しようと願う厳粛な行事である。 また、人間が食することのできないようなものを神前に供えてはいなかったという証明のためにも、直会は祭儀に必要な要素になるわけです。 家庭でも、神棚に供えた御饌は、必ず後からいただくこと。

9日 地鎮祭

建物を建築する場合に行う地鎮祭は悪霊を追い払い土地を神聖なものに変える儀式だとか建築の成功を祈る祭礼だと思っている人が多いが、実際の意味は少し違う。地鎮祭は、土地の神に対して人間がその上に家を建てる非礼をわびる真心を示す。さらにその神の加護によってその家に対して災いが起きぬように、土地の神の怒りを鎮める祭礼である。つまり、人間が勝手に家などを建て、神の領域を汚す非礼に対して「たたり」を及ぼさぬように、その怒りを鎮めるものなのだ。言うなれば、建築のための、神への届け出の祭りと言える。

10日 御神輿(おみこし)

もともと高貴な人の乗り物である御輿を神の乗り物として見立て様々な祭礼の際に用いたのが「御神輿」の始め。人間が神とともにあるように、重い神輿を多数の人間が一団となって担ぎ、その苦労によって神に感謝を捧げる意味がある。暴力的なまでに荒々しい神輿の祭礼は、いつのまにか荒くれ男の楽しみのひとつになっている感がああるが、神輿を激しく揺さぶる(これを神輿を「揉む」もしくは神輿を「ねる」という)ことによって神の威光を盛り立て、人間と神が一体となって行動する様を象徴した神聖な行事である。

11日 斎宮(さいぐう) 「いつきのみや」とも訓む斎宮は、伊勢神宮において天照大神に奉仕するため、皇族の中から占いによって選ばれた未婚の内親王(皇女)のこと。この風習は崇神天皇の時代に始まり、後醍醐天皇の時代まで続いた。後醍醐天皇以降は廃絶し、「祭主(まつりぬし)」がその役割を行っている。
12日

祝詞と祭文

祝詞と祭文は、どちらも祭りを行う際に唱えられるものだが性格は違う。祝詞は祭りの際、神に対して神主が奏上するもの。
一方、祭文は天皇の勅使が唱えるものだが、もともと陰陽道系の祝詞のことも祭文と呼んでいたので、その名残が残っているものとも考えられる。祝詞の中で、お祓いのときに唱えるものを「(はらえ)(ごと)」(はらえのことば)と呼ぶ。
13日 (しゃく)

檜や一位(いちい)、桐、象牙などで作られた板。男性神職は祭式の時、必ず持っている。身体が真っ直ぐに姿勢良くなっていることを表すためのものと言われているが、諸説ある。

14日 三種の神器 ヤタノカガミアメノムラクモノツルギヤサカニノマガタマを三種の神器と称す。 これらの神器は歴代の天皇の皇位継承のみしるしとされ、神鏡は皇大神宮の御正体、御剣は熱田神宮の御正体、また神璽は宮中にてお祀りされている。 神器の意義について北畠親房は「鏡は私の心なく万象を照らす、即ち正直の意。剣は剛利決断の徳あり、即ち知恵の意。玉は柔和善順の徳あり、即ち慈悲の意」とその神皇正統記に記している。
15日 言霊(ことだま)

人の発する言葉の中にこもる精霊、またその威力をいう。 言語の霊力を信ずるのは人類的発想であるが、我が国にあっては神々、貴人の発する聖なる詞が祝詞(のりと)寿()(ごと)()(ごと)(となえ)(ごと)(かたり)(ごと)等とよばれ、特定の言語表現にこもるとされる。
“そらみつ倭の国は皇神のいつくしき国 言霊のさきはふ国とかたりつぎ”(万葉集)

16日 神勅

神の発せられる(ことば)又は命令を意味し、代表的なものとして

T)開闢(かいびゃく)神話における地上世界秩序建設の神勅:

宇宙の元霊神たる(あめの)御中主(みなかぬしの)(かみ)、日雲神社御祭神)をはじめとする天神(あまつかみ)によるイザナギ、イザナミ二神への「この漂える国を修理固(つくりかため)(なせ)との御神勅。この神勅により、宇宙の元霊力を受け継がれた最高最貴の天照大神が御出現になり、地上世界を主宰される。この天照大神の霊力を受け継がれているのが直系のご子孫である世々の天皇さまであらせられる。

17日

U)天孫降臨神話における三大神勅:
高天原から葦原(あしはらの)中国(なかつくに)=日本列島への天孫降臨にあたり天照大神からの神勅であり

18日 @宝祚(ほうそ)無窮(むきゅう)の神勅
「葦原の千五百(ちいほ)(あき)の瑞穂国は是れ吾が子孫(うみのこ)(きみ)たるべき(くに)なり。宜しく(いまし)皇孫(すめみま)()きて()らせ。(さき)くませ。宝祚(あまつひつぎ)の栄え隆えまさむこと当に天壌(あめつち)(きわま)りなかるべし。」(=この日本の国は天照大神の直系の子孫たる代々の天皇さまが統治されるべき国であるとのおことばであり、天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)の神勅・天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)の神勅とも称され、大化の改新、明治維新の断行などの原動力となっている)
19日

A
同床共殿(どうしょうきょうでん)の神勅:
()()()(たからの)(かがみ)()まさん事、当に(あれ)を視るが如くすべし。(とも)(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)(ひとつ)にして以ちて(いはひの)(かがみ)と為すべし。」(=神鏡を御正体として祀る皇室祭祀ならびに神宮祭祀の起源をなすもの)

20日

B斎庭之(ゆにはの)(いなほ)の神勅:
()が高天原にきこしめす斎庭(ゆには)(いなほ)を以て、亦吾が(みこ))に(まか)せまつるべし。」(=五穀を神聖なるものとし、宮中における新嘗祭として実践されている)

21日

尚C神籬(ひもろぎ)磐境(いわさか)の神勅(=祭祀は皇統の弥栄えを基本とすること)D()殿(でん)防護(ぼうご)の神勅(=国民は皇室への忠誠を怠らぬこと)を併せて五大神勅という。

22日 鎮魂(たましずめ)

タマシズメともいわれる。身体に宿っている御魂を振起して生命力を旺盛にしたり外部の強い威力を持つ魂を身体に取り入れて生命力を強化すること或いは魂が遊離しないように身体に鎮めること等を意味する。

23日 御杖代(みつえしろ)

神霊が降臨されて依り()かれるヒモロギである杖の代わりの意味で、霊威をその身に抱かれた方のことをいう。天照大神の霊威をその身に抱かれて大神をお祭りすべき宮地をもとめて諸国を巡幸し、最終的に伊勢に神宮を創建された(やまと)(ひめの)(みこと)の代名詞としても用いられる。

24日

禊祓(みそぎはらえ)

禊とは神聖な水に浸かって心身の穢れを洗い清めること。祓とは社会の掟を破った者に対してその社会の神または人々の前に犯した罪に相応した贖い物を出させてその罪を解除すること。(イザナギノミコトの阿波岐原における禊、スサノホノミコトの罪を犯しての祓が起源説話)。

25日 正直・清浄

古代においては禊と祓は別のものであったが、中世以降に倫理的、精神的な祓を行う様になり、現代に至っては禊と祓は不離一体のものである。正直・清浄をその最重要徳目とする神道において禊・祓は極めて大切な行ないである。

26日 明治天皇御製

“くにたみも常にこころをあらわなむ 身もすそがわの清きながれに”            完