宮脇淳子氏の名著悲しい歴史の国の韓国人」より その四

平成27年5月  実に的確に真実を指摘されておるので一部引用する。

1日 済州島で6万人の島民を虐殺した李承晩大統領 それでは、南の李承晩政権はどうであったのかと言うと、こちらもその成立の過程で多くの血が流されています。1948年に済州島で四・三事件が起きて朝鮮戦争を挟んで1954年まで6万人が殺されました。事件のきっかけは南朝鮮が北朝鮮抜きで単独選挙で建国しようとしたことにあります。単独選挙に反対した左派の島民が43日に武装蜂起したのに対して、警察や右派青年団が乗り込んで弾圧し、さらに韓国軍による殺戮へと発展していったのです。
2日 済州島民は誇り高く

済州島は高麗時代はモンゴルの直轄地でモンゴル馬の放牧地になっていました。その後、流人の島とされてきたこともあって、古い時代から差別を受けていました。政争に敗れた貴人たちが流されてきた島なので島民は誇り高く自立心の強い人たちです。

3日 真っ赤なウソつき
吉田清治

済州島で従軍慰安婦狩りをしたと言う吉田清治の証言が真っ赤なウソだというのは、済州島に聞き取りにいったジャーナリストには直ぐわかることでした。何故なら、もし女性が強制連行されたりしたら、済州島の男が黙ってはいない、みんなで袋叩きにして殺すと済州島の人が言っているからです。

4日 気位の高く在り得ない

それほど気位の高い人たちですから、激しく抵抗した。その為に島民の5人に一人が殺されたのです。こんなことし日本の統治下では一度もなかったことです。

5日 李承晩

李承晩は、南朝鮮だけの独自選挙に際しても反対派を600人も殺害して選挙に勝って初代大韓民国大統領に就任しているのです。だから韓国でも李承晩は人気がありません。

6日 逃げた李承晩

しかも、朝鮮戦争で北朝鮮軍が侵攻してくると自分だけ直ぐにソウルから釜山まで逃げています。朝鮮半島の歴代の王たちと全く同じ行動で民衆よりも先に指導者が逃げ出すのです。ところが、アメリカを中心とする国連軍が仁川に上陸して反転攻勢に転じると李承番はマッカーサーに「モスクワに原子爆弾を落とせ」と言ってアメリカを呆れさせています。

7日 李承番は最悪の大統領

日本にとつても李承番は最悪の大統領でした。朝鮮戦争中の1952年に、それまで日本の海域を制限していたマッカーサー・ラインに代えて一方的に李承番ラインを設定して排他的経済水域を拡大し、日本の漁船を手当たり次第拿捕して逮捕、抑留、銃撃するなど、やりたい放題でした。この李承晩ラインがのちに竹島を韓国に支配される原因になるのです。

8日 南北それぞれの指導者の資質にも大きな問題

南北分断は悲劇だが指導者の資質にも問題あり戦後の朝鮮半島における悲劇は、北をソ連、南をアメリカによって分断占領されたことから始まりますが、南北それぞれの指導者の資質にも大きな問題がありました。李承番大統領は「北進統一」と言い、金日成主席は「国土完璧」と言う。南北どちらの憲法でも相手の国は無いことになっている。こうなると朝鮮戦争が起こるのは必然です。

9日 1950625 1950625日に戦車を先頭に北朝鮮軍が怒涛のように38度線を越えて進軍しました。日本は長い間、朝鮮戦争は南が仕掛けたと教科書にまで書かれていましたが、これは当時の日本では左派勢力が圧倒的に強く、社会主義は全て善で、資本主義は人民を搾取する悪の勢力という図式がまかり通っていたからです。
10日 日本の左派勢力の欺瞞 極端な例で言えばソ連の核はきれいで、アメリカの核はきたないとまで言われていたのです。いかにイデオロギーが真実を捻じ曲げるかという好例です。
11日 世界最大級のダムを建設した日本
水豊ダム

金日成がなぜ南を武力で統一できるかと考えたかと言いうと、前にも述べましたが、北は農業の適地ではなかったことと、鉱物資源には恵まれていたので日本が北に工業地帯を開発したからです。工場を動かす電力を供給するため当時では世界最大級のダムを北に建設しています。いまでも北朝鮮が稼動させている水豊ダムです。地上の楽園ではなかったにしろ、南より北のほうが近代化が進んでいました。それが金日成が南に侵攻した理由だったのです。

12日 朝鮮戦争のさなかに韓国人同士が殺しあった

緒戦は北朝鮮の圧勝でした。韓国軍は総崩れになって後退します。李承晩大統領は漢江の橋を爆破して部下を見捨てて自分だけ釜山に逃げます。国連軍司令官マッカーサーの仁川上陸作戦が成功し、戦局は一変して国連軍が優勢になります。そこで李承晩大統領はソウルに戻りますが彼の次にやったことが凄いのです。

13日 江華島民虐殺事件

1951年、江華島民虐殺事件が起こりました。江華島は北朝鮮軍に一時占領されていましたが、その時に北を支援したという理由で島民を虐殺したのです。さらに、国民防衛軍幹部の物資横領で9万人の韓国軍兵士を朝鮮戦争の最中に餓死させています。その理由は、李承晩が日本嫌いだったからとしか言えません。日本の陸軍士官学校出の将軍が嫌いで、日本の訓練を受けた部隊は嫌いで、日本の息がかかったものは全て気に入らなかったからです。

14日 国家存亡の危機のさなかに内輪もめする歴史が韓国

朝鮮戦争のさなかに同じ韓国人同士が内紛を起こして殺しあっているのです。敵と戦わなければならない時に、仲間内の争いが同時に起こるのは朝鮮半島の歴史のなかで何度も繰り返されたパターンです。在日韓国人のある作家が、自国の国家存亡の危機のさなかに内輪もめする歴史だと悔しがっていたことを思い出します。

15日 李承晩ラインの無法
火事場泥棒当たり前の韓国

1952年になると、一月に李承晩ラインを勝手に宣言して日本漁船の拿捕、日本人漁民の殺傷、抑留が頻発します。1953年4月には、韓国が竹島を占拠します。どさくさまぎれに自分の利益を見境無く追求するのもしばしば朝鮮半島に見られる現象です。彼らにとつては火事場泥棒は当たり前なのです。

16日 韓国は国家としての役割を果たしていません。自国の戦争なのに他人事で、主体性が全くない。

朝鮮戦争は19537月に停戦協定がまとまりますが、これはアメリカが停戦協定に署名しただけで韓国は承認していません。韓国の要人が署名していないのです。大韓民国は国家としての役割を果たしていません。自国の戦争なのに他人事で、主体性が全くない。だから北は主体(チュチュ)思想を持ち出して南の韓国をバカにするのです。

17日 四捨五入改憲

彼らの法治のいいかげんさ

そして、1954年には、李承晩大統領が憲法では大統領は三選できないと言う規定を撤廃するために改憲案を提出します。これが有名な「四捨五入改憲」です。投票では、一票足りなかったにもかかわらず、四捨五入したら賛成多数だとして三選を可能にしてしまつたからてせす。法律はいかようにも解釈できるとする彼らの法治のいいかげんさをよく表す事件です。

18日

日本統治の遺産を全て焼き尽くした朝鮮戦争

朝鮮戦争は本当に悲惨な戦争でした。韓国軍の死亡、負傷、行方不明者は99万人、北朝鮮を合わせると死亡、負傷、行方不明者は191万人に上ります。
19日
20日

統治能力に問題の韓国人

米軍だけでも15万人、中国軍は90万人。全てを合わせると軍人だけで死亡、負傷、行方不明者は300万人、民間人は200万人です。日本がシナ大陸を侵略したと言われる15年戦争(実際は全く違いますが)と同じレベルです。朝鮮戦争のたった三年間で日本の15年に及ぶ戦争と同じ程度の犠牲者が出ているので゛す。軍事技術が飛躍的に進んでいたことを割り引いても、当時の南北朝鮮の人口は2500万人、戸数は500万戸です。全戸数の八割において一名の被害者が出たという割合で、北から100万人が南へ逃げました。離散家族人口は1000万人に及んだと言われます。当時の南北朝鮮の人口は2500万人、戸数は500万戸です。全戸数の八割において一名の被害者が出たという割合で、北から100万人が南へ逃げました。

21日

戦争による破壊によって南だけで工場、建物の44%、機械施設は42%、発電設備の80%が被害を受けました。せつかく日本の統治時代に近代化を実現していたのにその遺産が灰燼に帰してしまったのです。

22日

当時の南北朝鮮の人口は2500万人、戸数は500万戸です。全戸数の八割において一名の被害者が出たという割合で、北から100万人が南へ逃げました。離散家族人口は1000万人に及んだと言われます。

23日

北朝鮮軍によって慶宋南道まで追い詰められた李承晩大統領の政府は、公平できちんとした規範にもとづく徴兵制度を持たず、貧しい村の子弟を手当たり次第に引っ張っていって戦場に送り込みました。

24日 愛国心が無い、国を良くする心を持たぬ韓国人、中国人もだ

日本はそんなことはしていません。日本の徴兵制度はきちんと機能していました。朝鮮半島での徴兵は戦争末期になってからですし、愛国心に溢れた現地の人たちの志願もあってのことです。徴兵してくれないのは日本人並みに扱ってもらっていないと韓国人は逆に怒っていたほどです。

25日

満州でも殺戮がひどくなるのは日本が敗けたあとです。中国人同士の国共内戦で、国民党軍と共産党軍が町の取り合いをしながら虐殺を重ねた。このために満州はめちゃくちゃに破壊されたのです。朝鮮は中国よりもっと悲惨でした。朝鮮の国土が荒廃したのは朝鮮戦争が原因であって、日韓併合で荒廃したわけではないのです。米ソという二大国の対立に巻き込まれたとは言え、彼らは自ら招いた戦争の悲劇の責任の持って行き場を失って日本統治に投影して日本を非難することで自らを納得させているのですその後、南の大韓民国は朴正き大統領の時代に飛躍的な経済発展を遂げますが、それも日本の援助があってのことです。朝鮮半島は近隣の大国が隆盛になる過程で、そのおこぼれにあずかる形でしか発展することはないというのも、半島の歴史の法則の一つです。

26日

なぜ韓国人は日本を目の敵にするのか

日本の朝鮮統治で初めてコリアンという意識が生まれた

日本は朝鮮半島に住む人たちを、戦前も戦中も民族としてし朝鮮人と呼んでいましたが。英語では「コリアン」と言います。国名としてのコリアの語源は高麗(コリョ)ですが、高麗は高句(コク)(リョ)を継いだことを自負していました。元朝のフビライの時代、ヨーロッパからアジアにやってきたマルコ・ポーロなどが日本の「ジパング」と同様にこの国名をヨーロッパに伝えたので高麗は滅びてもヨーロッパではこれをコリアと呼ぶわけです。朝鮮と韓については、漢字の史料に古くからどちらも現れます。然し、古い時代に出てくる「朝鮮」も「韓」も半島を統一した国家ではなく集団の名前なのです。それで南と北は相手と違う名前を選んで、南は大韓民国(略して韓国)と言い、北は朝鮮民主主義人民共和国と名乗りました。ただ英語では自分たちの民族名をどちらもコリアンと言っています。
27日 独自の歴史なし

しかし、これまでも述べてきたように朝鮮人は5000年前からいて、しかし、これまでも述べてきたように朝鮮人は5000年前からいて、独自の歴史を紡いできたのかと言えば、そんなことは全く無かったのです。日韓併合のあと、日本が統治した土地の中で日本人でない人たちがコリアンになったのです。
日本が統治する1910年までは同じ民族だと国内で意識していたことは一度もありません。両班階級の人間が奴婢階級と自分たちは同じ人間だなどと思ったはずがないのです。朝鮮半島に住む人たちは五つの階級に厳然と分かれていて相手を人間扱いしていないので民族という自覚はなかったのです。を紡いできたのかと言えば、そんなことは全く無かったのです。日韓併合のあと、日本が統治した土地の中で日本人でない人たちがコリアンになったのです。日本が統治する1910年までは同じ民族だと国内で意識していたことは一度もありません。両班階級の人間が奴婢階級と自分たちは同じ人間だなどと思ったはずがないのです。朝鮮半島に住む人たちは五つの階級に厳然と分かれていて相手を人間扱いしていないので民族という自覚はなかったのです。
28日 韓国、中国の反日は、彼らの国が続いている限り、

或いは彼らが自分たちを民族と思っている限り未来永劫続く

日韓併合によって日本人が朝鮮半島を統治したことで彼らは日本人ではないと言うことを理解するようになったのです。民族というのは今までは当たり前のように言われますが、実は民族は基本的に世界中で18世紀末から19世紀にかけて国民国家が形成されてからしか存在しない概念なのです。ナショナリズムという考え方も、ネーション・ステート、つまり国民もなかった国家がなければありません。国民国家はアメリカ独立戦争とフランス革命まで世界中どこにもなかった国家体制でした。既にここに何重にも欺瞞やウソがあるのです。

そもそもコリアンは日本に対抗する概念として生まれているので日本をライバル視し、日本に勝つことが彼らの存在を確認する手段になっています。

同じように中国人も不幸なことに、「天照大神の子孫の大和民族」に対抗して自分たちは「黄帝の子孫の中華民族」であるとして中国という国づくりをしました。「我々は中国人」としてまとまるのは日本人が敵のときだけで、敵がいなくなれば国内で権力闘争が始まります。

このように韓国、中国の反日は、彼らの国が続いている限り、或いは彼らが自分たちを民族と思っている限り未来永劫続くと思ったほうがいいでしょう。

29日 朝鮮半島が独自の歴史を成立させた時代は一度もなかった 朝鮮半島だけで歴史が成り立った時代は一度もなく、常にその領域も支配層も入れ替わってきています。倉山満氏が「ウソだらけの日韓近現代史」で書いているように朝鮮半島は「場」(theater)ではあっても「主体」(actor)ではなかつたのです。自分たちが主体となって歴史を動かして社会を変えてきたわけではありません。処が、マルクス主義に影響された戦後の朝鮮・韓国人や日本の左翼は、朝鮮は自立的に発展してきたと言う。現在の朝鮮半島は独自の発展過程を経てきたと解釈するのですが、歴史を検証していけばそのような事実は全く無く完全にファンタジーの理論にすぎません。朝鮮半島は地政学的な条件によって隣接する大国との関係のなかでの興亡という外敵要因によって国が作られた歴史しかないのです。
戦後の日本が、こうした朝鮮半島の歴史の成り立ちと矛盾を理解していなかった事も事態を複雑化させています。彼らから無理難題を押し付けられた政治家は、きちんと反論することもせずに妥協して事態を鎮静化させることしかしてこなかった。また朝日新聞を筆頭に日本のマスコミは、反政府、反権威を自分たちの立場として反日を煽ってきた、今日の日韓関係の悪化は自らまいた種でもあるのです。
30日 南北朝鮮の建国そのものがフィクションで成り立っている 繰り返しますが、日韓併合以後の36年間、日本統治下の朝鮮半島では近代的な国家建設が進みました。朝鮮の人たちも一流国の国民になれたことを喜んで、生活水準も上がり、人口も増えていった。それが日本の敗戦で日本を見限って、それまで日本人として生きてきたことを隠さなければならなくなった。その時々に最も強いほうの属下に入る(事大主義)ことで生存を図ってきたので、日本にいた朝鮮人の一部は戦勝国の側に立って、恰も日本との戦争に勝った民族であるかのように振舞った。然し、彼らは決して日本に勝ったわけではありません。そこに戦後スタートした南北朝鮮の体制が抱える根本的な矛盾があるのです。
韓国では毎年815日を「光復節」として祝います。1945815日の日本の敗戦と同時に植民地から解放されて民族として独立したと言うのが「光復」の意味ですが、これは真赤なウソで、このとき独立などしていないのです。
朝鮮半島はヤルタ会談で決まった通りに、北はソ連、南はアメリカの占領下に置かれます。処が戦後すぐに米ソ冷戦が始まり、東西の対立が激化していきます。そこで韓国は南単独の選挙によって李承晩大統領を選出して1948年にアメリカからの独立を果たします。
決して日本から独立したわけではないのです。韓国は独立戦争で勝ち取られた国ではないために、国家の正統性がありません。そこでウソの「歴史認識」を捏造して自らを騙し続け、日本にもそれを認めさせようとやっきになるのです。
31日 ヤルタ・ポツダム体制が中国・韓国のウソを補強している






日本人はきちんと説明することが非常に重要


日本の外務省の態度の怠慢は問題


GHQの占領政策以来の間違った歴史ばかり教えられてきたことを糾さなければなりません

北朝鮮も韓国も、日本と戦って植民地支配を脱却して独立したというフィクションの建国神話で成り立っています。そのフィクションに従えば少なくとも反日パルチザン活動をしていたとされる金日成が建国した北朝鮮のほうに正統性があることになります。いま韓国で親北派が勢力を伸ばしているのも、国家としての正統性は北のほうが優位だからです。韓国の朴・現大統領が反日政策を取っているのも、親日派とされる父親の朴・元大統領のイメージを打ち消す必要があることと同時に、反日こそが国家の正統性を高めるからなのです。だから朴大統領は反日を止められないのです。韓国人も反日をやめられない。反日が自国のアイデンティティの基礎になっているのです。それはウソを競い合っているのと同じです。よりウソをついたほうが正統というおかしなゲームのルールで両国は競争しているのです。
日本人ならば歴史の矛盾に直ぐ気づいて対応を取るでしょうが、朝鮮半島ではウソでもなんでも主張したほうが勝ちの世界ですから、史実がどうだろうと関係ないのです。朴・現大統領が歴史認識問題を日本につきつけていますが、彼らは本当の歴史になど興味はありません。自分たちのほうが正しいと言うことを主張するために歴史を持ち出しているだけなのです。 
韓国人と中国人を説得することは不可能です。彼らが説得されると言うことは、自分自身の歴史を否定することになるからです。彼らを相手に議論かることほど不毛なことはありません。
然し、世界の他の国の人たちには本当のことを知らせなければいけません。処がアメリカは戦後世界の秩序を決めたヤルタ・ポツダム体制を維持するためには、韓国や中国の言い分のほうがアメリカにとっても都合がいいので、彼らの主張に加担することになります。
実際にオバマ大統領が韓国を訪問した時に、従軍慰安婦の問題を深刻な人権問題だと述べて、朴大統領に同調しています。
戦後体制そのものが韓国、中国のウソを補強する仕組みとなっているのです。だから朴大統領はアメリカに告げ口に行き、中国人もまた普通のアメリカ人を騙して反日的な歴史観を植えつけようとしています。そのために歴史をめぐる世界情勢では日本に不利になっているのです。
然し、アメリカ人は理を尽くして説明して納得すればそれまでの態度を改めて行動する人たちなので、日本人はきちんと説明することが非常に重要です。
その意味では、日本の外務省の態度の怠慢は問題です。韓国、中国の政治宣伝に対して、そのたびにきちんと説明してこなかった事が今日の日本の立場を弱いものにしているのです。また、日本の政治家も外交の場で、覇気を持って堂々と主張すべきは主張することが重要なのは言うまでもありません。
然し、世界に説明する前に、日本人がGHQの占領政策以来の間違った歴史ばかり教えられてきたことを糾さなければなりません。日本人自身がこれまでの歴史をきちんと理解しておく必要があるのです。従って、私の学者としての使命は、先ず日本人のマインド・コントロールを解くことにあります。
これは外交や政治とは別の問題です。外交や政治は弁論のみならず駆引きや妥協も必要でしょう。しかし学者は史料を調査研究することで、かろうじて見えてくる史実にもっとも近いと思われる歴史を提供する。それをどのように使うか、或いはどのように考えるかは個人の自由です。韓国や中国とは違って日本は本当に自由な社会で、誰がどんなことを考えても自由です。然し、その自由な思考の材料となる歴史の真実だけは提供したい。これこそが私の学者としての使命だと思っています。完